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10 2日目―剃毛の朝
「……れーちゃん、起きて」
凛の声が、耳奥を撫でるようにして届いてくる。
柔らかい、けれど抗いがたい甘さを纏って。
「……っ……」
重たい瞼をわずかに動かせば、記憶の底に沈んでいた昨夜の断片が、鮮やかすぎるほどの解像度で浮かび上がってきた。
痛みも、恥も、濡れた肌の感触も、全部だ。
目を逸らしたいのに、身体ははっきりと覚えている。
視界に入ったのは、ベッドの傍に佇む凛の姿だった。
穏やかな眼差しは、何ひとつ変わっていない。
まるで昨夜の出来事が「普通」のことであるかのように。
「おはよう、れーちゃん」
「……っ……」
返せる言葉なんてない。
体は熱を帯びていた。火照っている。
でも、まだ誤魔化せる程度――
(……まだ、隠せる……)
そう自分に言い聞かせて、布団を押しのけ、起き上がろうとしたその瞬間。
「今日は、剃るね」
「…………は?」
あまりにも唐突に、その言葉は放たれた。
「れーちゃんの、毛」
「…………っっっっっ!!!!!!!!?」
まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚。
理解が追いつくより先に、全身の血が引いていく。
「は!? ちょっ、おまっ……!!??」
――ガチャ。
間髪入れず、冷たい金属音。
手首に、硬い感触が絡みついた。
「っ!!??」
「危ないから、手は固定するね。れーちゃん、暴れるでしょ? 暴れたら切れちゃうから」
凛が手に取ったのは――銀色の、カミソリ。
(……嘘……だろ……?)
呼吸が詰まる。
心臓が嫌な音を立てる。
この状況の意味を、脳がようやく認識し始めた。
凜はまるで芸術家のような目で俺の身体を眺めていた。
「れーちゃんの脇は綺麗だね。あ、そうか、撮影とかあるもんねぇ」
指先が、優しく肌をなぞる。
その動作が余計におぞましい。
「ここは、剃る必要ないね」
(っっ……!!!!!!!)
声にならない悲鳴が喉に引っかかる。
「でも、こっちは……ふふ、ちょっと伸びてるね」
視線が、下腹部へと降りていく。
そして――
ふにり、と指が恥骨の上を押した。
その一瞬の感触だけで、肺が痙攣する。
(――!!!!!!!!!!!!!)
「れーちゃん、少し冷たいよ」
「っ……!!」
ぷしゅっ、と泡の弾ける音。
次の瞬間、ひんやりとした感触が下腹部に広がる。
「っ……やめ……っ……!!」
腰を引こうとしても、凛の手が膝を押さえつけ、逃げ場を奪っていた。
「ほら、大人しくして?」
静かで、優しい声だった。
その音色が、逆に狂気を際立たせている。
泡が、まるで儀式のように丁寧に塗り広げられる。
(やだやだやだやだやだ……!)
「……っ……!!!」
「ふふ、すごく敏感になってるね」
「っ……!!!」
泡の冷たさが、逆に肌を敏感にさせていく。
研ぎ澄まされていく感覚が恐ろしい。
「ちゃんと綺麗にするね」
――そっ……
「っ……!!!」
刃が、肌を滑りはじめる。
(っ……!!!!!!!!!)
怖い。
本当に、怖い。
声を出したくても、出ない。
人は、ここまで恐怖すると――声すら出せないのか。
凜の手は驚くほど慎重で、丁寧だった。
ただの作業としてではなく、まるで俺の肌そのものを愛でるかのように。
毛が、一筋ずつ、静かに削がれていく。
「うん、すごく綺麗になってるよ」
その声は、褒めているようですらあった。
「……っ……やめろ……!!」
絞り出すような声が喉から漏れる。
「ダメだよ、最後までちゃんとやらなきゃ」
それは命令ではなく、やさしい諭しだった。
だからこそ恐ろしい。
(なんで……俺が……こんな……)
「うん、もう少し……」
凛の指が、泡を拭いながら、肌をなぞっていく。
「れーちゃんの肌、すごくスベスベになったね」
そして、カミソリの仕事は完璧に終わり――
そこにあるのは、何も隠すもののない、無防備な素肌。
(っ……!!!!!)
「これで……うん、完璧」
カミソリを置く音。
それと同時に、凛の瞳が細められた。
「見て、れーちゃん」
ゆっくりと俺の肌を撫でながら。
「赤ちゃんみたいに綺麗だよ」
(――!!!!!!!!!!!!!!!!)
脳が、音を立てて沸騰する。
「っ……っっ……!!!」
羞恥と屈辱で、喉がつまる。
涙すら出ない。
感情のすべてが麻痺している。
「今後は僕がずっとお手入れしてあげるね」
(……俺が、何をしたって言うんだ……)
今朝の空気は温かく、空調も完璧に保たれていた。
でも、俺の心は、これ以上ないほど凍え切っていた。
こうして――
俺の「2日目の朝」は、最悪の羞恥と絶望で、その幕を開けた。
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20250831:改稿
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