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13 2日目―絶望の口づけ

「……え……?」 喉の奥から漏れた声は、自分でも驚くほどか細かった。 凛の言葉が理解できず、一瞬、思考が凍りつく。 「交換条件。止めてあげるから、僕にキスして?」 まるで、何でもないお願いを告げるような調子だった。 しかし、そこに“逃げ道”など存在しないことを――俺の本能が、直感的に察知していた。 「……っ……ふざけんな……!」 「ふざけてないよ?」 凛の声は、淡々としていてブレがない。 そのまま俺の手首をそっと握る指先の優しさが、逆に恐ろしい。 「ほら、どうする?」 (……クソ……) これまでの屈辱を思い出す。 身体の奥に刻み込まれた記憶が、俺を追い詰める。 拒めば、また―― 「……っ……」 喉が詰まる。 息が苦しい。 この場から逃れたくて、それでも逃げられなくて―― (……やるしか、ない……?) 「キス」 その一言だけで済むのならば―― 「……っ……わかったよ……」 呟くように告げた言葉に、凛は満足げに目を細めた。 「うん、偉いね」 その一言が、胸の奥を刺す。 支配されていることを実感させられる。 悔しい。なのに、抵抗できなかった。 「……」 凛は一度、俺の手を放す。 まるで解放されたかのような感覚。 だが、自由ではなかった。 俺は膝をつき、迷いながらも上体を起こし、凛の顔へと近づけていく。 そして――唇が触れ合った。 「ん……」 その瞬間、凛の手が俺の頬を優しく包み込む。 「っ……!」 小さな接触のはずだった。 なのに、身体の奥がぞくりと震えた。 異様な熱が唇に集まる。 「れーちゃんの唇、柔らかいね」 囁かれる声が、耳の奥に絡みつくようだった。 (やばい……) 「ほら、もう少しちゃんとして?」 (……っ……!!) 終わらせてくれない。 1回で済むはずがない。 そう思いながら、もう一度、俺は唇を重ねた。 凛の舌が、まるで自然な動作のように唇の表面を舐め、 そのまま、俺の口腔へと侵入してきた。 「……っあ……」 逃げようとしたわけじゃなかった。 けど、身体が震えた。 拒絶よりも、圧倒的な違和感と羞恥が全身を襲った。 だって、凛は「そういう相手」じゃなかったはずだった。 少なくとも、俺にとっては―― (……そんなの……) けれど、嫌悪感はどこにもなかった。 その事実に気づいたとき、足元から崩れ落ちるような絶望に襲われた。 凛の舌が、俺の口の中をゆっくりと舐め、甘く柔らかく蹂躙する。 その動きひとつで、背筋が震える。 まるで身体が勝手に反応してしまっていた。 「あは、れーちゃん……本当に、可愛い……」 くちゅ、ちゅ、といやらしい音を立てながら唇が離れる。 それだけで喉の奥が熱を帯びて、微かに息が詰まる。 「うん、いい子」 満足げに微笑む凛の声は、優しくて、柔らかい。 それが何よりも――怖かった。 「れーちゃん、疲れたでしょ? 少し休もうか。お水は飲もうね」 (……何なんだよ、こいつ……) さっきまで支配していた相手が、急に「優しさ」を向けてくる。 そのギャップに頭が混乱する。 けれど、身体は逆らえなかった。 与えられるがままに、水分を摂り、俺は言葉も出さずにベッドへと倒れ込んだ。 毛布がかけられ、頭を撫でられる。 「いい子」と繰り返されながら。 ※ どれだけ時間が経ったのかは分からない。 再び目を開けると、凛がベッドの端に腰を下ろしていた。 「お水、飲む?」 透明なグラスが差し出される。 それを、俺は黙って見つめた。 (……これ、拒否したら……) どうなるか。 考える前に喉の渇きがそれを上回った。 身体が、水を求めている。 「……」 無言のまま、渋々とグラスを受け取った。 「うん、偉いね」 「っ……!」 また、その言葉。 “従ったこと”を褒められる感覚に、どうしようもなく苛立つ。 (……こんなの……) ゴクッ、と一口飲む。 喉が潤うと同時に、胃がじんわりと反応する。 (……そういえば、腹も……) 空腹だった。 けれど、それを口にすることは―― 何かに屈したような気がして、俺は唇を噛んで黙った。 「……じゃあ、次の準備しようか」 「え……?」 タイミングを測ったかのように、凛が立ち上がる。 「……次……?」 俺の問いに、凛は当然のように応じた。 「うん、5回目の注射」 ――また、あれだ。 再び始まる、身体の「変化」の時間が。 凛の手に握られているのは、見間違いようのない――注射器だった。

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