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14 2日目―5回目の注射とフェロモン
昨日から何度も打たれているはずなのに、
「5回目」というその言葉が、やけに現実味を持って胸に刺さった。
「待て、待て待て……!凜……!!」
「昨日と同じだよ。大丈夫、痛くしないから」
「そういう問題じゃないんだよ!!」
「でも、もうここまできたら、止められないよね?」
(っ……!!)
凜の指が俺の腕を掴む。
その動きは決して乱暴ではない。けれど、抗えない力がそこにあった。
穏やかな口調のまま、俺を固定する手は、確実に「今までとは違う」。
(……いや、今だって――)
そう思って腕を振り払おうとした。
だけど――
「っ……!?」
肩に力が入らない。
握った拳が、まるで他人のもののように感じる。
(……嘘だろ……?)
「ほら、大人しくして」
「っ……!!」
「れーちゃんの身体、もう準備が進んでるんだから」
「っ……進んでない……っ!!!」
「本当に?」
凜が、静かに俺の目を覗き込む。
その表情は優しく、淡々としている。
まるで既に「答えは出ている」と言わんばかりに。
――チクリ。
「っ……!」
刹那の痛みが、肌に走る。
注射針が刺さる感触。けれど、痛みはもう怖くない。
怖いのは、それによって「何が変わっていくのか」だ。
「これで、また少し進むね」
穏やかな声とともに、凜の手が俺の腕をそっと撫でた。
だが俺の意識は、その感触ではなく、己の内側へと向かっていた。
(……やっぱり……力が……)
αの頃の「当然」だった強さが、今の俺にはもうない気がした。
少しずつ、自分が“削られている”感覚。
それが、じわじわと現実になっていく。
(……嘘だ……)
俺はまだ――変わっていないはずなのに。
まだ“α”のはずなのに。
「じゃあ、どこまで変わったか、試してみようか」
「……は?」
「れーちゃん、ちょっとじっとして」
「……っ……何だよ」
凜の顔が、すっと近づいてくる。
その距離が急速に詰まるたび、警戒心が強まっていく。
「……おい、近――」
そのとき、凜の鼻先が俺の首筋を掠めた。
「っ……!」
(なっ……今の……)
肌が一瞬で粟立つ。
が、それよりも先に、もっと強烈な感覚が頭を突き抜けた。
(……っっっ!!!???)
「うん、やっぱり匂いが変わってきてる」
「は……?」
「昨日より、甘い匂いになってるよ」
「……っ!!!」
信じられない言葉。
でも、それと同時に、鼻腔をくすぐる不自然な“甘さ”が、自分のものとは思えなかった。
(……何だ……この香り……?)
どこかフルーティーで、けれど甘く熟れた果実のような匂い。
しかも、それが「俺自身」からしているなんて――
脳の奥がじわじわと重くなる。
引き込まれるような、不快だけど抗えない感覚。
「……れーちゃん、僕の匂い、どう?」
「……は?」
「ちゃんと、感じるでしょ?」
「……何を……」
「αのフェロモン」
(――!!!!!!!!)
突き刺さるような現実。
それが意味することは、あまりにも明確だった。
「普通、α同士なら分からないよね」
そう。
本来、αはαのフェロモンを感知しない。
それが“普通”なのに――
「……っ……」
「でも、れーちゃんには分かるでしょ?」
「っ……そ、んな……」
全身が震えた。
認めたくない。信じたくない。
でも、感じてしまった事実を否定できなかった。
「Ωになってきてるんだよ」
「っ……!!!」
否定の言葉を出したかった。
けれど喉が詰まり、声は出ない。
ただ、呆然としたまま、凜に頭を撫でられるしかなかった――。
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20250831:改稿
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