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27 3日目ー番2
この瞬間のために、僕はすべてを積み上げてきた。
幾年もかけて整えた計画、投与のタイミング、反応の観察、そして――あらゆる“拒絶”の可能性への対処。
何ひとつ無駄はなかった。
言葉にならない感情を一つずつ翻訳するように、僕は彼に近づくための方法を、手探りで、けれど確実に構築してきた。
運が良かったのだと思う。
いや、そう信じるようにしてきた。
製薬会社の息子として生まれ、研究のリソースに不自由しなかったこと。
αという立場を持って生まれ落ちたこと。
才能、家柄、役割、そのすべてが、僕をこの夜へと導いてくれた。
そして今、ようやく辿り着いた。
れーちゃんをこの手に収める、たった一つの正解へ。
「……綺麗だよ、れーちゃん」
ベッドに沈むその身体。
何も纏っていないというのに、淡い光沢をまとった絹のように、どこか神聖ですらある。
乱れた吐息も、熱に揺れる睫毛も、僕には祝福のように見えた。
かつての彼は、まるで風のようだった。
自由で、触れられなくて、笑いかけてくれても、その目の奥に僕はいなかった。
一緒にいても、僕はどこか「他人」だった。
手を伸ばしても届かない。いつも遠くを見ていて、僕を真正面から捉えてくれることはなかった。
でも今、ここにいる。
僕のすぐ手の中に、まるで眠るように委ねられている。
「大丈夫、れーちゃん。苦しくないようにするから……」
そっと頬に触れる。
熱い。呼吸もきっと苦しいはずだ。
それでも、この“移行”は止められない。
いや、止めてはいけない。
彼を“完成”させる夜が、今ここにあるのだから。
れーちゃんは、もはやアルファではない。
でも、まだ完全なオメガにもなりきっていない。
今はまだ狭間にいる。
だからこそ――この夜こそが決定的なのだ。
僕が彼を“完成”させる、最初で最後の“儀式”。
首筋にそっと唇を落とす。
微かな震えが、僕の唇に伝わってきた。
そこにある鼓動は、僕を待ち構えるかのように高鳴っている。
「番に、なろうね」
僕の声は、思っていたよりも穏やかだった。
震えもせず、淡々と、けれどどこまでも深く、真っ直ぐに響いた。
胸の奥で眠っていた感情が、いまようやく言葉になった。
「もう、れーちゃんはどこにも行かない。だって、君の身体は僕で満たされるようにできてるから」
本当に、よく出来ていた。
れーちゃんの反応は、一つひとつが理想的で、美しかった。
声に反応し、フェロモンに晒されるたびに、彼の身体は確実に熱を帯びていった。
僕の触れる指に、息を止め、声を飲み、身体を震わせる。
その一つひとつが、僕の想定を優しく上回っていた。
――いや、想像なんて、とうに追い越していた。
まさか、ここまで、とは。
「れーちゃんの中に、僕が入ると……ね、どうなると思う?」
優しく囁いた。
その問いを、すぐに答えることはしなかった。
言葉の余韻が空気に溶けて、れーちゃんの耳と皮膚に染み渡っていくのを待った。
「君の身体の奥にある“オメガの核”が、目を覚ますんだよ。僕の匂いと、僕の体温と遺伝子で、完全に開花する」
その瞬間を、僕は幾度となく夢で見てきた。
れーちゃんが僕を受け入れ、逃げられずに、抗えずに、
ようやく“僕だけのもの”になる光景。
それは幻想なんかじゃない。
いま、現実に変わっていく。
「さあ、もう少し、深く繋がろう?」
れーちゃんの瞳が、涙の膜に濡れていた。
それは苦痛ではない。
もはや、快楽にも近い、ある種の“納得”にも見えた。
(……分かってるよね。君の身体は、僕を受け入れるように設計されてる)
指を絡めて、手を包み、彼の耳元に温かい息を吹きかける。
その瞬間、皮膚がぞくりと粟立つ。
もう彼の全身は、僕の存在に最適化されてしまっていた。
これは恋じゃない。
愛すら、足りない。
もっと、深いもの。
執着よりも純粋で、欲望よりも澄んでいる。
“運命”という言葉ですら、もう形を失うほどに――
「僕だけのれーちゃんになってくれて、ありがとう」
小さく、耳元に呟く。
その声が彼の鼓膜を震わせるだけでなく、心を満たしてくれることを祈りながら。
そして、もう一度、首筋にそっと唇を落とした。
それは“刻印”だった。
僕が彼を“番”に定めた証。
そして、彼がこの世界の誰でもなく――僕のものであると示す、確固たる宣言。
「僕の、れーちゃん」
この言葉が、れーちゃんの意識の最奥にまで届くように。
僕は何度でも言う。
彼の細胞のひとつひとつに刻み込むつもりで、繰り返す。
「愛してる。ずっと昔から、ずっと、これからも」
たとえ、彼が逃げても。
叫んでも。
拒んだとしても――
もう遅い。
僕の名も、温度も、匂いも、声も――
すべて、彼の身体に、心に、深く染み渡ってしまっている。
“番”となった彼を、
これからもずっと抱きしめて、
壊さないように、閉じ込めて、
息の仕方さえ教えてあげるように、飼いならしてゆく。
それが僕の愛。
そして――君に唯一、許された幸せなんだよ。れーちゃん。
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20250831:改稿
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