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第11話 オープンガーデン

10 オープンガーデン 「いらっしゃいませ。こちらにお名前とご住所をお書きください」  実家の門を開けるなり声をかけたのは佐藤和生だった。嬉しそうに逸生の顔を見てにやにやしている。  隣に立っている母は、真新しいストライプのガーデニングエプロンを着用している。その下の綿シャツやチノパンも下ろし立てのようである。 「こちらを首に掛けてください。市内のオープンガーデンは全部で八軒あります。この参加証明書を掛けてくだされば、どこのお宅にも入れます」  母は逸生の首にストラップ付の参加証明書を下げる。面食らって母と佐藤和生を見比べてしまう。  母はすがるような目で佐藤和生を見ている。 「これでいいですか。佐藤先生?」 「どこのお宅でも入り口でご記名いただきますので。よろしく、逸生さん」  佐藤先生は母に聞かせるようにして画板に留めたノートを逸生に差し出す。よく見ればその首にも〝真柴本城園芸倶楽部 指導員 佐藤和生〟と書かれた名札が下がっているのだった。  十月の第二月曜日はスポーツの日である。土日と休みが続いて逸生の会社は三連休になった。  佐藤和生と共に休みを過ごせると思っていたのに、アルバイトがあると断られた。それがこれだったらしい。真柴本城市主催のオープンガーデンで顧問として働いているのだ。  土日はたまった家事を済ませて(無趣味な逸生である)スポーツの日になってから実家に戻ったのだ。 「始まるのは十時からじゃないの?」  スマホの時計を確かめるとまだ九時半である。 「練習よ」と更に母は〝オープンガーデンマップ〟というイラスト入りのA4サイズの地図を渡すのだった。 「ほら、これがオープンガーデンに参加しているお宅の地図。ここから歩いて行けるのはバス停裏の久野(ひさの)さん家ぐらいね。他はどこも離れてるから、車でないと移動は大変よ」  説明している母の背後から玄関ドアを開けて、 「何だ、逸生が来たのか。隆生達はまだか?」  顔を出したのは父である。  相変わらず夫婦仲が気になる長男ではある。ちらちらと両親の顔色を窺っているうちに、 「じゃあ、千帆子さん、僕はこれで……」  と佐藤和生は門を出て行くのだった。 「どの花もきれいに咲いているから大丈夫ですよ。千帆子さん、自信をもってください。時間があればまた午後にでも伺います」  門扉を締めながら「失礼します」と佐藤和生が見つめたのは逸生ではなく、その背後にいる父親だった。佐藤先生も例の夫婦喧嘩について気を使っているのかも知れない。  その後、逸生は玄関からではなく庭に回ってテラスから家に入った。そこにもダイニングチェアや丸椅子を数脚出して、疲れた客が休めるようにしているのだった。  とはいえ立ち止まって見渡せる広さの庭である。植えられた花の一つ一つを子細に眺めたとて疲れることはなかった。  逸生は何度か家に入ったり庭を回ったりしたが、正午になっても客は一人も来なかった。 「早いけどお昼にしましょう」  母がテラスに持って来たのは、ちらし寿司をおにぎりにした物と漬物だけだった。どおりで家の中に酢飯の匂いが漂っていたはずである。  ターシャ・テューダー風ハーブガーデンを眺めながらおにぎりを頬張る。母の作るちらし寿司には酢蓮も入っているので飯の合間にシャキシャキした歯触りがあるのが嬉しい。  漬物は野沢菜である。母が長野県出身なので何かといえば親戚が送って来るのだ。 「逸生、食べたらちょっと久野(ひさの)さん()のお庭を見てらっしゃい。ほら、敵情視察よ」 「えーっ?」  と思いっきり不満な声を出す。 〝敵情視察〟もないだろう。久野さんの家はもともと農家である。植物を育てるプロなのだ。園芸倶楽部には属していないが、毎年のようにオープンガーデンでは入賞しているという。にわかガーデナーの主婦など敵どころか、歯牙にもかけまい。  ちなみに賞の審査員は主催者である市役所職員と一般投票によるものである。逸生も母に急かされて、もらったマップのQRコードから投票した。もちろん〝戸倉千帆子のハーブガーデン〟に一票。  家からフォックスヒルズバス停まで歩いて、新聞屋の裏手に回ると竹林の先に久野さん家がある。門に着くまでに長い塀の横を延々と歩いた。広い敷地面積は佐藤和生の実家を上回る気がした。  門前には折り畳み式の会議用テーブルがあり、マップや参加証ストラップが鳩サブレ―の缶に入れられ、記名帳も広げられている。  テーブルの向こう側でパイプ椅子に座っているのは若い女性である。首には参加証ストラップを下げている。 「ご苦労様でーす。ここに住所とお名前をお願いしまーす」  近くにいるのに遠くにいるように呼び掛ける若い女性に、逸生は思わず足を止めてしまった。  黒髪、茶髪に白い毛とコリー犬のように頭を染め分けたあの女性である。カーキに脱がされた花柄の袖付きエプロンを今日も着ている。 「あの……佐藤和生の実家でバーベキューしてた……」 「えっ? あっ! ああ、カーキの友達!」  気づくなり女性はテーブル越しに逸生に抱き着こうとしている。思いっきり背後に飛び退る逸生である。結果、女性は逸生の両腕を掴むに留めた。握手のつもりか両手を握ってぶんぶん振るようにしながら自己紹介をする。 「久野礼衣良(ひさのれいら)です。カーキの従姉妹(いとこ)。同い年」  ついでにエプロンのポケットからスマホを出して、 「連絡先交換して」  当り前のように差し出す画面には犬の顔があった。佐藤和生の実家でぴょんぴょん飛び跳ねていた小麦色の和犬である。 「……ヤマトだっけ?」  思わず言ってしまえば、連絡先の交換を受け入れたに等しい。 「うん。佐藤ヤマト。人間の年なら七十オーバーの爺様だよ。うちの爺ちゃんといい勝負」 「爺ちゃんて……ここの家は佐藤先生の親戚?」 「んーと……そうなるのかな? 私の母親がカーキの父親の妹なの。元・佐藤で結婚して今は久野。この家は私の父方のお祖父ちゃん家」  そういう関係の家をどう呼ぶかは知らないが、田舎では何かと血が繋がっているらしい。  少なくともフォックスヒルズに建売住宅をローン購入した両親は真柴本城市内に親戚はいない。父親は埼玉県で母親が長野県の出身なのだから。  門の中に入ると目の前には庭師が造った日本庭園がある。もちろんそれはオープンガーデンとは別なのだが、見学者はその眼福に思わず評価を上げてしまうだろう。  菱垣の向こうには山野草を植えて鄙びた風情に設えた田舎風の庭がある。それが今回参加の庭だった。 「いらっしゃい」  と迎える麦わら帽子を被った好々爺が礼衣良の爺ちゃんこと久野氏、例年の優勝者らしい。日に焼けた浅黒い肌も貫禄に満ちている。 「今年は万葉植物園を目指しましてな。どうぞ見てやってください」。  既に見学に来ていた人々が「ホトトギスが綺麗なこと」「リンドウも咲きそうね」など派手さに欠ける花々に見入っている。 「ここにカタクリの名札が……」「来年の春に咲く予定です」などと芽も出ていない植物にまで言及している。  正直、素人の逸生からすれば実に地味な庭に見える。だから家に戻るなり玄関先の受付に控えていた母親に、 「久野さんの庭も大したことなかったよ。家の方が綺麗な花がたくさん咲いてるし」  とお世辞抜きで言えた。  玄関先の記名ノートには出かける前より名前が増えている。よく見れば弟の隆生や真田百香の名前もあるのだった。 「ほら、庭に隆生たちも来てるから」  母に急かされて仕方なく庭に回った。そうして思わず回れ右をしそうになったが、 「お義兄さん! 〝敵情視察〟をなさったんですね」  と声を上げる百香に曖昧な笑顔を見せるしかなかった。  百香の背後に谷津理知がいた。 「ドレスのデザインの参考になるかと思って。理知さんもお誘いしたんです」 「お邪魔しています」  黒髪に金髪メッシュの頭を下げられて、逸生も仕方なく頭を下げた。  距離を縮めないのは身に触れられたくないのはもちろん、あのトワレの香りも感じたくないからである。  横目でテラスを見れば、隆生は椅子に座ってちらし寿司の握り飯を頬張っている。逸生はテラスから室内に入ってしまおうと足を向けた。 「先日は失礼しました。一度お会いしてお詫びを……」  にこやかに近づいて来る理知に鉈で切り落とすように、 「別にもういいです。義妹(いもうと)のドレスについてはよろしくお願いします」  と言い放つと足早に家の中に入るのだった。  リビングルームのソファではいつもの位置に座った父親がボリュームを下げたテレビでゴルフ中継を眺めていた。そうして逸生を手招きすると、ぼそりと言うのだった。 「あの佐藤先生というのは何なんだ? お母さんを〝千帆子さん〟なんて馴れ馴れしく呼んで」 「知るかよ!」  自分でもびっくりする程の大声が出た。父親も口をあんぐり開けて、背の高い息子の顔を見上げている。 「じ……自分で訊けばいいだろう」  言い訳がましく言うと、二階の自室に逃げる様に上がって行った。  そしてベッドに寝転んでため息をついたはずだが、気がつくとうたた寝をしていた。  庭からざわざわと人の声がする。かなり客が来たらしい。  ベッドから身を起こすと逸生は目を擦りながら庭に面した窓を開けた。なかなか盛況のようである。母も喜んでいることだろう。  人数を数え始めて思わず首をかしげた。ハーブガーデンにいるのは見覚えのある人間ばかりだった。  両親と弟夫妻、理知と佐藤和生と久野礼衣良と麦わら帽子を被った久野老人。  それより驚いたのは寝起きの耳にいきなり飛び込んで来た台詞である。 「大丈夫ですよ。カーキは同性愛者だから」  思わず窓框に両手をかけて身を乗り出してしまった。  発言したのはあのコリー犬のような髪色をした従姉妹である。 「女にはまるで興味がないから。よその奥さんに手を出したりしません」 「ちょ、礼衣良! 何、何をおまえ……」  慌てふためいて礼衣良を羽交い絞めせんばかりなのは当のカーキである。二人と向かい合っている父と母がどんな表情をしているのか逸生の位置からは見えなかった。 「だって、カーキはゲイじゃん」 「そ、そういう……こんな所で……」 「よその奥さんと不倫したって疑われてんだよ? カミングアウトした方が全然ましじゃん」 「いや、今は仕事中だし……」  という言い訳は、さすがの公務員ではある。  佐藤和生はちらりとこちらを見上げたが、二階の窓から覗いている逸生に気がついたかどうかはわからない。  目が合ったような気もするが、すいと視線を外すのだった。

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