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第18話 クリスマスカラーの花
17 クリスマスカラーの花
実家の車はレクサスである。エンジン音は静かで遮蔽率も高いから外の音も入らない。はっきり言って静か過ぎる。ついさっきドラマ顔負けの土下座シーンを見た逸生やカーキは、ばつが悪く黙り込むばかりである。
隆生が運転席に座り、佐藤和生が助手席に座る。逸生は後部座席で弟の後頭部を眺めては時々カーキの横顔を盗み見る。
気づけば後部座席には弟の荷物が置いてあった。
「これは?」と小声で呟いただけなのに、何しろ静かな車内である。
「あ、いったん本城駅に行く。俺そこで降りて名古屋に帰るから。兄貴、もう運転できるだろ?」
と言う隆生である。
「はあ……」
逸生は不得要領に頷くしかない。
「先生は園芸倶楽部の顧問をお辞めになるそうですね。母がすっかり落ち込んでまして。もし父の暴言がお気に障ってなら……」
「いや、全然そういうことじゃないです。農業試験場の仕事も忙しくなりますし。もしかしたら来年度に転勤があるかも知れないので」
「え?」
という逸生の小さな呟きも前の席に届いたらしい。カーキがちらりとこちらに目をやる。
「後任の先生は僕よりずっとベテランですから。園芸品種にはかなり詳しいから安心ですよ」
「そうですか。先生もお忙しいですね。転勤といえば僕も来年には東京本社から真柴本城支社に転勤なんですよ。今からアパート探しで大変ですよ」
営業部員は社交に余念がないのだった。
「ちなみに。一応うちの兄貴もそうなんですよ」
「そう……というと?」
「先生と同じ、同性愛者なんですよ」
「おいっ!」
という声を出すより早く、運転席の背もたれを蹴っていた。隆生は眉をしかめてバックミラーの逸生を見やっただけである。
斜め前でカーキはただぽかんと口を開けている。
「いや大丈夫です。僕はおやじと違いますから。偏見はないですよ。会社で一応コンプライアンスの教育も受けてますし」
「あの……お言葉ですけど。アウティングという言葉は習われましたか?」
佐藤和生が反撃に出た。
「…………」
隆生は黙り込んでワイパーを動かした。いや雨は降っていない。慌ててワイパーの動きを止めると、
「あっ、アウティング! なるほど。いやあ、ははははは」
「笑って誤魔化すな!」
突っ込む兄である。
「悪かったよ」
振り向いて言う弟に、
「前を見て運転しろっ!」
また突っ込む。
弟の隣ではカーキの肩がふるふる揺れている。笑いをこらえているらしい。
隆生は車を本城駅のロータリーに入れると運転席を降りた。逸生が荷物を渡して運転席に回ろうとすると、耳元で囁いた。
「アウティング? 悪かったよ。先生が気を悪くしてまた庭を見てくれなかったら……」
「大丈夫だよ。それよりおまえこそ土下座なんて……いつも会社であんなことさせられてるのか?」
「まさか。一度やって見たかったんだ」
へらへら笑う弟を睨んでしまう。勤め先がブラック企業ではないかと心配してやったのに。
「だって、よほどのことしなきゃ、家に来てくれなさそうだったし」
「まあ……それはそうだな」
柔和なようでなかなか頑固なカーキである。頷く逸生の肩を叩いて、
「じゃあな。一応おふくろの賞状も見てやれよ」
弟は二階改札口に向かうエスカレーターに乗るのだった。
逸生が運転席に座ろうとすると、既にカーキがそこでハンドルを握っていた。
「逸生さん、具合が悪いんでしょう。顔が真っ青だよ。運転は僕がするよ」
「……すまない」
と助手席に回るのだった。
本城駅からフォックスヒルズバス停に向かって運転しながらカーキは、
「いいよね。僕も男の兄弟がほしかったな」
しみじみ言うのだった。その横顔を見つめて助手席の逸生は、
「僕は礼衣良さんみたいな妹が欲しかったけどね」
と言ってから思い出して続ける。
「実は礼衣良さんに……僕とカーキがつきあってること打ち明けたんだ。話の成り行きで」
「らしいね。礼衣良から聞いた。でも……」
カーキはウィンカーを出して左折する。
「過去形にしようよ。〝つきあってた〟もう別れるんだから」
「僕は嫌だ。現在形でいい」
「来年度は転勤で引っ越すかも知れないし……」
というカーキの言葉を遮って、逸生は人差し指で進路を示した。
「この道、右に曲がってずっとまっすぐ行って。それからまた右に曲がって」
「え? 家から離れちゃうよ」
「ホテルスワンに行ける」
「…………」
「オープンガーデンの前から、もうずっとやってない」
レクサスはただまっすぐ前に進んで左に折れた。実家の前に道に出る。ようやくカーキが言ったのは、
「千帆子さんが待ってるから」
だけだった。
「じゃあ、母の用が済んだら行こう」
「二日酔いの奴とはやりたくない」
と言うわりにカーキの耳は薄紅色に染まっていた。
テラスではガーデンエプロンや手袋を着けた母が、佐藤和生の指導の下プランターのシュウメイギクを掘り返している。密集した根を切って梳いて植え直すらしい。
逸生はといえば、今になって靴箱の上に飾ってある額入りの賞状を眺めるのだった。
そして玄関を出て庭に繋がっているレンガの小道を眺めて感心する。以前、母が植え替えていたクリスマスローズは既に花がついている。花なのに若草色だったり赤紫色だったり逸生には見慣れぬ色である。
「ほら、よく見て。道の片側が緑で片側が赤。クリスマスカラーで出迎えてるのよ」
とは母の弁である。
門柱の内にあるモッコウバラのアーチには未だに葉が繁り黄色い花も咲いている。十二月になれば剪定すると言っていた。ガーデナー戸倉千帆子の丹精した庭は晩秋でも枯れた寂しさがない。
クリスマスローズに導かれてテラスに回ると、隅っこに何足かの靴が並べられていた。普段使いのクロックスやデッキシューズそれに父のゴルフシューズもある。昨夜、逸生の嘔吐で汚された靴を洗って干してあるらしい。日常の靴はともかく、ゴルフシューズはつい先日父が靴紐を通していた新品のはずである。これはもう弁償ものだろうと腕を組む。
そして作業を続ける母やカーキを眺めた。
「記念品て何をもらったの?」
声をかけると母はエプロンのポケットから種の小袋を出して誇らしげに言う。
「カスミソウの種。ステキな花が咲くの。これも佐藤先生と一緒に植えたかったのよ」
母の足元にある土塊の中に太いミミズがのたくっているのが見える。
思わず逸生はサンダルを突っ掛けた足で踏み付けようとするが、母は「あらやだ」と移植ゴテですくい上げる。
「ええっ⁉」
思わず声を上げてしまった。
「ミミズ……それ、お母さん、虫、ミミズだよ?」
「ミミズは土を耕してくれるの。ゴキとは違うんだから」
と母は移植ゴテの上の虫をハーブガーデンに向かってぽいと投げる。細長い虫は草むらの中に姿を消した。佐藤和生も満足げに頷いている。
「ミミズもカマキリも益虫だから。無下に退治しなくても大丈夫なんだ」
父が誤解したあの時、母の胸から捕獲したカマキリをカーキが空に放つのを、見たこともないのにまざまざと思い浮かべる逸生である。おそらく顔には柔らかな笑みを浮かべていたに違いない。
そして何故かは知らねど、やはりこいつと別れてはいけないと心の底から思うのだった。
作業を終えると三人はダイニングキッチンで昼食をとった。食卓に並ぶのは、さつま芋もご飯や蕪と豚肉の炒め煮、イカリング揚げなど母の手料理である。
「千帆子さんの料理めっちゃおいしい!」
カーキは旺盛な食欲である。向かい側に座った逸生はといえば、食欲は未だ復活していない。ご飯に入っている芋を摘んではちまちま齧っている。そういえばカーキの部屋の玄関に匂って来たカップ麺の天ぷらそばは、その後どうなったのかと思ったりする。
母は野沢菜をどっさり盛った小鉢をカーキの前に出した。
「あれ、珍しい。野沢菜ですか」
「私の実家が信州だから野沢菜やりんごをよく送って来るの」
とカーキの隣に座って自分も野沢菜をつまみながら、逸生に向かって世間話の口調で続けるのだった。
「いーちゃんは佐藤先生とつきあってるの?」
「うん」と頷きかけてあわてて、
「うん、美味い! 芋ご飯サイコー!」
などと誤魔化す。〝つきあう〟の真意がわからないからだが、すぐに母親が、
「お友達じゃなく恋人としてつきあってるの?」
とつけ足すに及んで逸生も佐藤和生もその場に凍り付いてしまう。
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