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70.ほんとにすごい。
「明日明後日、空けてくれてる?」
「あ、はい」
雅彦さんに聞かれて頷くと、ふふ、と微笑む雅彦さん。
「明日、水族館――行くかい?」
「え」
「瑛士と行ってももうつまらないし――でも凛太くんなら、いいな。勉強しすぎで疲れてるんだろ?」
「え。え、オレとですか?」
「じゃあオレも行く」
「えっ。瑛士さん、そんなとこ行ってる暇あるんですか?」
なんだかびっくりな会話が進んでいく。よく分からないままそう聞いたら、瑛士さんは、んーと眉を寄せてから。
「あとで京也さんに相談するけど。明日は元々じいちゃんに付き合うことにしてたし。凛太と水族館、行きたいし。イルカ、見よ」
「いや。オレが連れてくから」
「はー? 何言ってんの。オレも行きたいし」
……なんの会話なんだ。
見るからにめちゃくちゃ位の高いα二人が、オレを水族館に連れてくことで、言い合ってる……???
おかしな光景すぎて、呆然と見守っていると。
「じいちゃんと二人じゃ、凛太が余計疲れちゃうっての」
「そんな気を遣わせたりしないし」
……いや、そこは遣っちゃうと思うけど……と思うけど、それを言うのは憚られる。
「いやいや、疲れるから、絶対、な、凛太?」
「い。いえ。そんなこと、ないです」
「ほら、どもってるし。オレも行くからね、絶対」
――ほんと。なんの会話、なんだろう。
オレは、ふ、と笑い出してしまった。あ、やばい、と思ったけど、笑ってしまうのを止められない。
二人も、なんだかおかしそうに、ふ、と笑う。
「三人で水族館、行きます、か?」
言いながら、やっぱりおかしいな、と思うので、つい首を傾げてしまいながらそう聞くと、二人はクスクス笑った。
「行こうか」
雅彦さんの言葉で、行くことが決定した。
それからは、大学のことを話したりして、特別結婚のことは聞かれないまま、食事を終えた。
雅彦さんと話してていいですよ、と断ったのに、手伝うと言い張る瑛士さんと一緒に片づけタイム。その間、雅彦さんはソファに腰かけて、テレビのニュースを見ていた。洗い終えたところで、雅彦さんに近づくと、ふっと見上げられた。
似てるなあ……。イケメンおじいさんと、イケメン孫さん。こんなカッコイイおじいさん見るの初めてかもしれない、なんて思いながら。
「雅彦さん、何かいれますけど、何がいいですか?」
「緑茶はある?」
「ありますよ。いれてきますね」
瑛士さんも緑茶好きだっていうから、良い緑茶、買っておいてよかったー、なんて思いながらキッチンに戻る。
「瑛士さんも緑茶で良いですか?」
「うん」
「いいですよ、オレ、いれて、持っていくので座っててください。片付け、手伝ってくれてありがとうございます」
「――ん。こちらこそ」
ぽふ、と頭に手を置いてオレを見下ろして、微笑む。
とく。とくとくとくとく……。
何なんだろう、たまに早くなるこの心音は。何かの時には、胃の辺りというか、体の奥が痛くなるし……。
瑛士さんが雅彦さんの隣に並んで腰かけて、何かを話してるけど、テレビで聞こえない。
ただたまに、笑ってるのが分かる。――――おじいさんと。仲良さそう。
いいな、祖父とか祖母とか、家族、とか。
事情はよく知らないけど、オレの家族は母さんだけだった。たまに、母さんを訪ねてきたり、連れ出していく父の存在だけ。聞かなかったけど、母さんは天涯孤独ってやつだったのかな。母さんの父母の話とかは、聞いたことが無い。少しは気にはなっていたけど――家には住まない父に何かを感じていたし。母さんが言わないのなら、オレも、何も聞かなくていいやと、思ってた。
料理が上手になったのは、父に言われて、料理教室に行ってからだって。それまで、どうやって、生きていたんだろう。頼る人のない、Ω。
父の愛人になって、料理教室に行って……オレが生まれて。途中から徐々に体調を崩して。まあでもオレが子供の頃は、まだ元気だったけど。
ずっと二人だった。
――毎日飲む薬が、体にいいんだろうかって。なんかオレは、小さい頃から、ずっと疑ってた。
オレの風邪の薬は飲めば治るのに。母さんの薬は、治らない。命にかかわるような、病気じゃないはずなのに。いつから思っていただろ。
もともとΩは、か弱い人が多い気がするけど。それにしたって……っていうのが、オレの夢の原点。
母さんとの生活が終わって一人になってから。
ただいまと、おかえり、を言う関係なんて、特別に欲しいとも思ってなかった。
自分には関係ないって、思ってた。
αと番なんて死んでも嫌だって、思ってたし。
家族を持つことなんか無いだろうと、漠然と思ってた。ずっと一人だろうなーって。いいんだ、オレは、医者になって、夢に進んで、たくさんの人を救う人になるために生まれたんだ、とか。もう、すっぱりと、割り切ってた気がする。今もだけど。
たまに遊びにくる友達、とか――いらっしゃい、またきてねーは、あったけど。
ただいま、おかえり、ってやっぱり特別なんだなあ、と思う。最近、瑛士さんに言ってるけど、なんだか毎回、少し、くすぐったい。オレが、おかえりなさいなんて、言っていいのかなあとか。――でもなんか、瑛士さんが嬉しそうに、ただいま、て笑ってくれるから。言っていいのかなって、ほっとするというか。
オレにとっては、母さん以外では、初めてだけど。瑛士さんはそうじゃないもんね。その内、本当の家族を持つだろうし。特別な意味なんかないのは当たり前。
瑛士さんは優しくて、すごい魅力があって――周りの人を助けたり、してて。
この契約結婚だって、モテすぎるから、なんて。
一緒に過ごして、まだそんなに経たないのに、もうその、「モテすぎて」をめちゃくちゃ実感してる。
おいしいお茶の入れ方。
おいしいご飯の作り方。知ってて良かったなあ。母さんに習って、ちゃんと作ってきて良かった。
せめて、一緒に居られる間。瑛士さんが喜んでくれるようにがんばろ。
こないだ瑛士さん、ちらっと言ってくれたけど、契約が終わっても、たまには顔が見られたらいいなぁ……。
なんかオレ。
勉強第一で。SNSも結構重要ポジションで。まあそれは、夢にも関係あったからだけど。
大学入ってから、わりと竜とは仲良いけど……。
そんなに、誰か特別に一人のために、とか。母さん以外には、あんまり思わなくて。
……こんなオレにすら、こんな気持ちにさせるって。
瑛士さんて、ほんとにすごい。
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