105 / 139
99.心臓が痛すぎる
「凛太、ご飯、食べに行こ」
しばらく黙ったまま空を見つめていたオレに、瑛士さんがそう言った。
「あ、はい」
「何食べたい?」
先に立ち上がった瑛士さんが差し出してくれた手に、少しためらいながら触れると軽く引っ張られた。瑛士さんの胸に軽く肩が触れてしまって、一瞬すごく焦って離れようとした肩を、抱かれた。
「凛太?」
「――は、い……?」
ち……近い。
……いつも近かった気がするけど、なんだか今、余計に近いって、感じる。心臓が、痛いし、なんか、熱い。
どうしていいか分からなくて、戸惑ったまま瑛士さんを見上げてると、瑛士さんはなんだかとっても柔らかく、ふわ、と微笑んだ。
「何、食べたい?」
もう一度同じセリフを言いながら、オレの背に手を当てて、歩くことを促す。並んで歩きながら、とりあえず、食べたいものを考えなきゃ、と思うのだけど――なんだか、全然、食べ物が浮かんでこない。
「瑛士さんの好きなもの、がいいです。食べたいものが今、浮かばないので……」
「――了解」
オレを見つめてクスッと笑ってから、瑛士さんは、とんとん、とオレの背中を叩いた。
きっと、いろいろ、何か思って、今優しくしてくれてるんだろうろなぁ、と感じて、気付かれないようにそっとため息をついてしまう。
しばらく歩いていると、少し落ち着いてきて、ふと、気付いた。
――キス……したくなって、とか。
何言ってるんだろうオレ。
いくら瑛士さんが、してもいいって、言ってくれたとしたって、それって、別にそこまで抵抗がないってことで、本当にしようってことじゃなかったと思うし。
……オレが他の人とするの嫌、とか、それはよく分かんないけど、でもとにかく、そういうこと一生しないと思う、なんて言ってたくせに、いきなりキスなんてして、一回くらいしてもいいかなとか。
「――――……っ」
何言ってるんだろう。オレ。
全然、意味が分からない。
瑛士さんの隣を歩きながら、瑛士さんが言ってることに何となく、頑張って答えながら、でも、何を話してるのか、いまいち、頭に入ってこない。こんな、自分が言ってることの意味が分からないなんて初めてで、軽く心の中、パニックみたい。
何も考えずに――キス、しちゃうなんて。
……ん? ……あれって、軽犯罪ではなかろうか……。
瑛士さんが驚いてたり嫌がったりした時点で、それだよね。
瑛士さんが警察に相談したら、取り調べ受けちゃうのでは……。
…………さっきまで熱かったのに、なんだか一気に冷えた。ほてって汗をかいてたのが、青ざめて冷や汗がだらだら流れてきそうな気分。
思わず、立ち止まったオレに気づいた瑛士さんが、くる、と振り返った。
「え? 凛太?」
立ち止まってるオレのところに、瑛士さんが戻ってきた。肩に触れて、顔を覗き込んでくる。
……嫌じゃなかった、て言ってくれてたから、それではないかな。
…………大丈夫……。
いやいや、大丈夫じゃないよね。
勝手に良い想い出にして、忘れないとか言ってる場合じゃ無くない?
「あのっ」
「うん?」
「……ごめん、なさい。いきなり、同意なく、キス、しちゃうなんて」
「え」
「あれ、犯罪ですよね。なんかオレ、ほんとになんか、何も考えずに、あんなことしちゃうなんて、ほんと、自分でも意味が分からなくて」
「はん、ざ……?」
焦って話してるオレを、瑛士さんは、すごく、きょとんとした顔で、見下ろしてくる。
「こんなに自分で意味、分からないこと、したこと、無くて……なんか本当にどうしていいか分からなくて……でも、ほんとにすみません。瑛士さん、優しいから、色々言ってくれましたけど、あれは、同意なしでやっちゃいけないことで……」
なんだかもう意味が分からなくなってきたけど。
行為としては、絶対、勝手にやっちゃだめなことなはず。
いくら瑛士さんが、慣れてて、キスくらい平気って言ってても。
瑛士さんが慣れてしてきたキスと、オレが勝手にしたキスは、違うはず。
立ち尽くして話してるオレ達を、横を通る人達が、ちらちら見てくる視線に気づく。
「――あ、すみません。こんな道のど真ん中で……」
急に立ち止まって、自分でも意味の分からないこと、並べ立てて。
……あぁ、なんかオレ、ほんと、意味、わかんない――――……。
なんだか、泣きたくなってきた、その時。
「凛太って、ほんと、おもしろ」
ぷ、と瑛士さんが笑う。その声は、優しくて、いつもどおり、暖かい。
……おもしろ……?? 首を傾げながら、瑛士さんをおそるおそる見ると。
「犯罪って――そりゃ、嫌がってる人にいきなりキスしたら、そうだろうけど」
おかしくてたまらない、と言った表情で、瑛士さんがクックッと笑う。
「オレに、それがあてはまる訳、ないでしょ」
瑛士さんが、そう言いながら、オレの頬に手をかける。
「ああもう――ほんと、かわい……」
ふ、と細めた瑛士さんの瞳が。
優しくて、胸が、ぎゅ、と痛い。
なんだこれ。――もう。すごい痛い。
じわ、と涙が滲んだ瞬間。
瑛士さんの瞳が少し伏せられて。近づいて、きて。
「――――……」
唇が。
重なって。
至近距離で見つめ合ったまま。
多分、数秒。でもなんか。永遠みたいな時間が、流れる。
「……えい……」
唇の間で、名前を呼ぼうとしたら、ふ、と笑んだ瑛士さんの瞳。
さらに一度、唇を強く押し付けられて、それから、ゆっくり、離れた。
オレ、のしたキスとは、全然違う。
オレはただ、一瞬くっつけてすぐ離れただけだけど。
なんだかすごくすごく。
優しかった。
「……えいじ、さん……」
「……これ、だめなこと?」
至近距離で見つめ合う瑛士さんの瞳が、ふ、と和らぐ。
「だめなことだと、思う?」
「――」
だめ……なわけ、ない。
首を振ると、瑛士さんは、また微笑んだ。
「凛太が可愛くて、キスしたくなった。凛太も、オレにしたくなったんでしょ?」
頬に触れてる瑛士さんの親指が、オレの唇に触れる。
「……まださ、会ったばかりだから、オレが凛太に、愛してるよって言っても、嘘っぽいと思われるだろうから、言わないけど」
「――――」
「オレは凛太のことが好きだし。可愛くてたまんないし。だから、今、キスした。凛太も、オレにしたいって思ってくれたんでしょ?」
「……」
こくこくと小刻みに何度も頷いていると、瑛士さんは、嬉しそうに、笑った。
「まあ、でも、確かに、いきなりしちゃだめなことではあるかぁ……」
そう言って、瑛士さんはクスクス笑う。
「――他の人に、しちゃだめだよ。でも、オレには、いつしてもいいからね?」
ふ、と揺れる、優しい瞳に、どき、と心臓が跳ねる。
……道のど真ん中で、何してるんだろう、と気づいたのは、瑛士さんを見つめ続けて、かなり経ってからだった。
ともだちにシェアしよう!

