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145.普通に現実として

   更衣室に入り、ロッカーのカギを開けて、服を着替えた。  部屋にある鏡に自分を映してみる。  本当に見違えるような気がする。  何が変わったんだろうと、しばらく観察してしまう。  肌が明るく見えるし、目の下の疲れみたいなのも消えてて、触れると肌が柔らかい。  エステ、か。  綺麗な人がもっと綺麗になるために行くところ、な気がしてたけど。  オレでも、効果、あるんだぁ。すごすぎる……。麻里さんの手、魔法みたいだったなぁ。  瑛士さんはよく来るのかな。久しぶりってさっきは言ってたけど、前はよく来てたとか?  それ以上素敵になってどうするのって感じがしてしまうけど。  そんなことを考えながら、バッグを持ってロッカーを閉める。  そっとドアを開けて、更衣室を出ると、廊下の奥のほうから、お茶碗の触れ合うような音と、小さな話し声が聞こえてきた。  受付、こっちだっけ……と歩いていって、聞こえてきた声に、ふと足が止まった。 「北條さんが婚約って。しかもあの男の子とって……びっくりしませんでした?」 「ね、それ。私もほんと驚いちゃって……社長とそういう仲なんだと思ってたから」 「もう、スタッフ皆、思ってましたよね。α同士で素敵だなーって」 「ほんとにねー」  ――思わず息をひそめてしまった。  聞くつもりなんて全然なかったのに、動けないまま、ぜんぶ聞こえてしまった。 「昔からすごく仲良かったですもんね。まさか別の人と婚約って……」 「なんだかショックだったかも」  胸の奥がざわっとして、息ができない。明るくて綺麗だった廊下が、急に暗くなった気がした。  受付、こっちじゃなかったかも……そのまま音をたてないように一歩下がって、改めて、来た方に戻る。  数歩進んだところで、麻里さんが着替え終えて、出てきた。更衣室を挟んで反対側から歩いてくるオレを見て、麻里さんは不思議そうな顔をした。 「凛太さん?」 「あ。すみません、受付って……」 「こちらですよ。左右同じような廊下ですからお客様がよく迷われるんです」  微笑んで、優しくフォローしてくれる麻里さんに頷きながら、一歩後ろをついて歩く。  なんだか、さっきまではすごく軽かった空気が、重く感じてしまう。 「お待たせしました」  麻里さんがドアを開けると、外で待っていた瑛士さんが立ち上がって、こちらを振り返った。   「おかえり――……」  オレを見て一瞬。言葉を忘れたような顔をして、何も言わなかった。  何て言われるのだろうと変にドキドキしながら待っていると。 「どうですか?」  先に麻里さんが軽い口調で、楽しそうに瑛士さんに聞いた。  すると、瑛士さんは、オレから目を離さないまま、少し目を細めて、優しく笑った。 「――もっと可愛くなった。麻里さん、さすが」  そんな言葉に、胸がきゅう、と痛くなる。 「そうでしょう? 私もそう思います」  麻里さんは、満足そうに言うと、オレを振り返って、ふ、と微笑む。  瑛士さんも麻里さんも、褒めてくれて――オレ自身も、少しは変わったとは思えてて。  ……それなのに、さっきの会話が引っかかって。  素直に、喜べない。  さっきまで、瑛士さんに見てほしいって思って、わくわくしていた気持ちは。  なんだかしょぼんと、しぼんでしまった。  ――オレがいくら少し可愛くなったって、もともと綺麗な人にはかなわないし。  瑛士さんの隣に立つのに釣り合わないのは、変わらないよね。  もうそれは、卑屈とかじゃなくて、普通に現実として、受け止めないとやっぱりだめだよね。  ……って、そもそも、契約だったから、最初はそんなこと、気にもしてなかったのに。  瑛士さんがいろいろ言ってくれるから……。  釣り合えたらいいなとか。そんなの考えるのがまず、おこがましいのかも。  麻里さんが不思議そうに「凛太さん?」と聞いてきた。  あ、やば。なんとなく下向いちゃってた……。  慌てて顔を上げて、何か答えようとした時、さっき話していたスタッフの人たちがやってきて、お茶の用意を始めた。 「施術のあとにお出ししているハーブティーなので、ゆっくり飲んでくださいね。瑛士さんもご一緒にどうぞ」  麻里さんに案内されて、受付の奥のソファに、瑛士さんと並んで座った。  「やっぱり、マッサージとかだけでも全然違うね。可愛くなってる」    瑛士さんがそんな風に褒めてくれるけど――でも今は、さっきの二人が目の前でお茶を用意していて……。  ――なんか。今は……言わないでほしいかも。  そんな風に思って、なんだか瑛士さんと目を合わせられない。 「凛太? どうかした?」  不思議そうな、瑛士さんの声。 「何。照れてるの?」  くす、と笑う声がして、その指が、不意にオレの方に伸ばされた。  撫でようとしたのか分からないけど、触れる前に思わず、びく、と体が震えて、少し引いてしまった。  少し首を傾げてオレを見た瑛士さん。すると、麻里さんがすぐに「お茶をどうぞ。このお菓子も美味しいのでよかったら」と言ってくれた。一瞬だけ麻里さんと目が合って――オレは頷きながら少し俯いた。  ――もしかしたら、何かを察して、助けてくれたのかもしれない。 「いただきます」  カップを手に取って、ふぅ、と冷ましながら、しゃべらない間をごまかす。  瑛士さんと麻里さんが話し出したのをなんとなく聞きながら、ぼんやりと考える。  ……優しい人だよな。綺麗だし。穏やかだし。気が付くし……。  エステ、すごいし。プロって感じもすごくて、カッコいいし。  ふ、とさっきの会話が頭をよぎる。  ……そうなんだ。αなんだ、麻里さん。言われてみれば、そういう雰囲気もある。  α同士の結婚も普通にあるもんね。  番にはなれないけど、優秀な血が残せるって聞くもんね。  やっぱり、お似合い、だよなぁ。  ……ってオレ、これ。ここに来て何回、思ってるんだろう。  他の人たちが、そういう仲だと思うくらい、ずっと仲良かったと聞いて――なんだか余計に思ってるかも。

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