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4 炎の刻印(2)
「ところで、これからどうする」
直前までの陽気さが、一転して真面目にとって変わるのは、涼景には良くあることだった。
「陽を連れ出す。まずは一旦、犀家で保護する」
犀星も、涼景の変わり身の速さには慣れたものだ。玲陽だけが、不思議そうに二人のやり取りを見ている。
「陽は血の繋がった俺の従兄弟だ。何ら不思議ではない。身内の問題、だ。あくまでも、玲家と犀家で片付ける。燕家に迷惑はかけない」
「体調を崩した陽の治療にあたるため、医者として犀家に参上しよう」
「助かる。お前以外には診せられない」
犀星は気遣わしげに玲陽を見た。
「俺も、そう思う」
涼景は頷いた。
「では、日が暮れる前に行こう。人が来ると厄介だ」
涼景は玲陽を見た。
「どうだ、立てるか?」
「え? あ、はい……」
玲陽は、犀星の腕を支えにして立ち上がった。
「大丈夫そうだな。陽、何か持って行きたいものはあるか?」
「え?」
涼景に促されて、玲陽は部屋の中を見回した。そして、首を横に振る。
それから、何か困ったように、犀星と涼景を見た。
「どうした?」
犀星が玲陽を覗き込む。
玲陽は、唇を固く結んで、うつむいた。
「お二人のお気持ちには感謝いたします。けれど、私はここを離れるわけにはいかないのです」
犀星は、息を吐いた。
「こうなると思っていた」
「兄様?」
「おまえなら、一人でも逃げ出せたはずだ。あの通路のことも、覚えていたんだろ?」
「はい」
「それが逃げなかった。逃げられない理由があるってことだ」
「何が問題なんだ?」
涼景が入ってくる。
犀星が続けた。
「もしかして、叔父上か?」
犀星が憎々しげに言う。玲陽はわずかに目元に力を込めた。
「はい。義父上の言葉は、ここでは絶対です」
「義父? 玲格のことか?」
涼景が尋ねる。犀星が涼景に向いた。
「ああ。陽の身に起こる災難は、すべて、あいつが原因だ。昔からな」
「鬼人と呼ばれている冷血漢らしいな」
玲陽の前でも、遠慮なく涼景は言い放った。玲陽は義父と呼ぶが、玲陽と玲格は親子ではなく、甥と伯父の関係にあたる。犀星が付け加える。
「叔父上は、昔から陽のことを良く思っていなかった。だから、陽と叔母上を引き離すために、実妹である叔母上を妻にしたんだ」
言ってしまってから、犀星はハッとした。涼景の妹への想いを知っていながら、思わず無神経なことを言ったのでは、と、珍しくばつが悪そうに目を逸らす。だが、涼景に気にした様子はない。
「話は聞いている。その上、二人の間には娘がいると言うじゃないか」
「ああ。凛 と言う。ちょうど、お前の妹と同い年だ」
複雑な心境の犀星に反し、涼景はただ事実確認を淡々と進めている。犀星が知る中で、涼景は誰よりも情に厚い男だが、物事を運ぶ、というときには、冷静沈着で頼りになる。この二面性が、涼景が部下だけではなく、民衆にも好かれる魅力なのかも知れない。
「陽」
涼景は腕を組んだまま、
「お前の母と妹は、お前の動きを封じるための人質なのか?」
「はい……」
気持ちが沈んだ玲陽に、犀星は話しかけた。
「陽、叔母上は涼景を通して、俺にこの場所を知らせてきた。俺が助けに入ることは、承知だ! もう、おまえに逃げていいと、言ってくれたんだよ」
「兄様……」
「だから、叔母上と凛は、きっと大丈夫だ。今頃、手を打っているはずだ!」
「兄様……」
「だから、行こう、陽! 俺と……」
「星、落ち着いて」
「……ああ」
玲陽との再会で、我知らず興奮していた犀星は、自分が冷静さを欠いていることを自覚したらしい。悔しそうに呼吸すると、目を閉じてうつむいた。
と、玲陽はハッと息を飲んで、部屋の外を覗いた。玲陽の顔色が変わる。
「そんな……早い」
「陽?」
涼景が問う。
玲陽は、目を閉じたままの犀星をじっと見てから、意味ありげに涼景に視線を戻した。
「いいのか?」
玲陽は頷いた。
「お願いします」
「わかった」
「?」
犀星は二人の短い言葉の意味がわからず、顔を上げた。
二人の暗黙のやり取りの中で、自分だけが置いて行かれている。犀星が説明を求めようとしたとき、門の方で数人の声がした。
「涼景様!」
涼景は、答える間も無く、唐突に犀星の腹に一撃を食らわせた。
抵抗できず、犀星が気を失う。
「兄様から剣を奪ってください。ここには、他に刃物はありません」
「お前は?」
「滝を左に行った先に、小屋があります。そこへ」
「あいつらをまとめて斬って捨ててもいいんだぞ」
「ことを荒立てたくありません」
「耐えられるか?」
「今夜だけ、やり過ごします。もう、これで最後です」
「当然だ」
涼景は腰に下げていた袋から、催眠薬の小瓶を取り出すと、犀星の口に含ませた。
「こいつは眠らせておく」
犀星の刀を腰紐ごと奪うと、涼景は自分の腰に結わえた。その間に玲陽は犀星の体に着物をかぶせ、周りから見えないように隠してしまう。
これから起きること。
それは、決して犀星には見せられないことである。
それを、玲陽も涼景もよくわかっていた。
玲陽は自身のことである。また、涼景は玲陽の傷の様子から、想像がついている。
もし、犀星がそれを知れば、逆上して何をするかわからない。眠らせ、万が一に備えて武器を奪う必要があった。
「こちらです!」
涼景に支えられながら、玲陽は門から聞こえてくる男たちの声より早く、目的の小屋へと向かった。
こじんまりとした、物置小屋のような建物である。作りも決して丁寧とは言えない。
しかし、ここは玲陽が砦に幽閉された後に建てられた比較的新しいものだ。
引き戸を開けた涼景は、中の様子に目を背ける。
先ほど家探しした時に、涼景はこの小屋も調べている。そして、玲陽の傷と合わせて想像した時、真実が見えたのだ。
壁にも、床にも、血痕が残されている。何もない、ざらついた木目が剥き出しの、ただの四角い部屋だ。寝台すらなく、すみに水瓶と柄杓が置いてあるだけである。うっすらと、神経を逆撫でするような匂いが染み付いてた。
「私はここで彼らを呼びます……向こうを探されたら、兄様が見つかってしまう……」
「陽!」
よろめいて、床に倒れ込んだ玲陽を介抱しようとした涼景を、玲陽は首を振って止めた。すぐそこまで、声が迫っている。
「くそっ! 裏にいる。必要になったら、俺の名を呼べ!」
言い終わると同時に、涼景は小屋の後ろへ回り込む。岩肌と小屋の壁のわずかな隙間に潜み、呼吸を整えて、声の主たちがやってくるのを待った。
この状況に、犀星を巻き込むことは、絶対にしてはならない。
自分でも不思議なほどに、玲陽の言いたいことが理解できた。先ほど、初めて会ったという気がしない。
数人の声と足音が近づいてくる。
彼らは、何らかの目的で玲格が送り込んでいる連中だ。
犀星が男たちの接近を知ったらどうするか。
答えは、ただ一つ、問答無用で斬り殺すだろう。
そうなれば、事態は最悪である。たとえそれが誰であろうと、命のやり取りは最後にするべきだ。犀星を眠らせたのも、その刀を取り上げたのも、そんな最悪の状況を回避するためだった。ここで激情した犀星が関わってくれば、問題は大きくなるだけだ。
玲陽の視線一つで、涼景にはそれが伝わった。
それは、犀星という人間を知り尽くしている二人だからこその、共通理解だったのだろう。
普段は他者と関わりを持つことを避け、一人でいることの多い犀星だが、玲陽に関する問題となると、人が変わったように感情を剥き出しにする。喜怒哀楽の激しさは、まるで、子どものようだ。
もしかすると、本当にそうなのかもしれない。母を慕う子のように、無条件に玲陽を慕っているのかもしれない。
玲陽には、犀星のそんな性質がよくわかっている。涼景は知らないことではあったが、先ほどの犀星と玲陽のやり取りを見て、すぐに察した。
とにかく、この場に犀星だけはダメだ。
今、対処するべきは、小屋の中の玲陽の無事である。
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