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5 痛みの奥に(2)

 玲陽は外傷もさることながら、目に見えない傷の方が、状態は悪かった。体内の、特に臀部から腹部にかけての損傷が激しく、傷が化膿して身体中に毒素が回っている可能性があるらしい。滝の水を浴びて体を冷やしただけで倒れ込むほど、症状は悪化している。  犀星はそっと、布団の中に手を入れると、玲陽の胸に手を当てた。治療しやすいように、服は単衣を羽織らせただけにとどめてある。手を徐々に下に動かし、腹部をさする。この薄い皮の下にある内臓が、犀星の想像を超えて傷ついている。 「腹の中が、めちゃくちゃだ」  犀星の仕草に気づいて、準備の手を止めることなく、涼景は言った。 「お前も知っているだろ。宮中でもこういう類の傷を負わされる者は多い。だが、こいつの場合、内部が傷ついているだけじゃない。腸の一部が千切れて完全に切断されている」  犀星はけげんな顔で涼景を振り返った。 「どうして、そんなことがわかる?」  涼景は、一瞬だけ、犀星を見て、また、目を薬へと向けた。 「見たからだ」 「何を?」 「玲陽の、腹から飛び出した腸を」 「…………」 「肛門から千切れた直腸が引き摺り出されていた」  思わず、犀星の胃から、何かが込み上がった。玲陽の腹に当てた手に、力がこもる。 「……星、大丈夫か?」 「……なんとか」  犀星は、自分の感情を持て余しながら、声を絞った。 「それ、大丈夫には思えないが」  その質問は、犀星にとって、大きな恐怖をはらんでいる。 「……命は……?」 「危ない」  涼景は言うと、玲陽にかけていた(じょく)をずらし、犀星の手があてがわれている辺りを、燭台で照らした。 「普通なら、立って歩けるはずもない。痛みと出血で悶絶している。そして、とっくに死んでいる」 「そんな……」 「生きているのが奇跡だ」  犀星はうなだれ、膝の上で手を握りしめた。 「もっと早く、くるべきだったのに……」 「確かに、それならまだ、ここまでにはならずに済んだかもしれない」 「…………」 「だが、星。お前は間に合った。こいつは生きているし、生き続けようとしている。余計なことは考えるな。今は、目の前の現実と向き合え」 「……ああ」  玲陽を再び失うかもしれない。それも、避けがたく、永遠に。  不安に取り憑かれている犀星に、痺れを切らしたように涼景は大声をかけた。 「手当てを覚える気がないなら、出ていってくれ。気が散る」 「嫌だ、そばにいる」 「だったら、しっかりしろ!」  犀星を一括すると、涼景は玲陽の肋骨の一番下に手を添えた。 「陽に触るぞ。文句を言うなよ」 「わかっている」  犀星は自分の手が、いつの間にか震えていることに気づいた。涼景はそれを見ても何も言わない。涼景のこのような無言の配慮が嬉しいと、犀星は思う。 「こんな体では、固形物は食べられない」  涼景はつぶやくように言った。犀星は顔をあげた。 「排泄できない、ってことか?」 「ああ。だが、人の体ってのは不思議でな。食べなくても、少しずつ排泄物が溜まっていく。ここを触って見ろ」  涼景は下腹部の一部を犀星に触らせた。そこだけ、赤子の拳大に膨らんでいる。 「中に、何か、ある」 「そうだ。ここに、本来なら排泄されるべきものが溜まっている。おそらく、ここで、腸が切れているんだろう」 「……どうやって治療するんだ?」  涼景は盆の上に用意してあった、布が巻かれた棒を手にした。 「千切れた直腸の下部を、この棒でもとの位置に押し込む」 「そんな乱暴な!」  犀星は小さく叫んだ。 「本当なら、腹を割いて、詰まっているものを取り出し、切れたところを縫い合わせる手術が必要だが、残念ながら、今の陽にそれに耐えるだけの体力はない。だから……」  言いながら、涼景は玲陽の体を慎重に裏返して、うつ伏せにさせる。  眠っているというより、ほとんど気を失っている玲陽は、反応を示さなかった。  涼景は注意をはらいながら、玲陽の下腹部に毛氈(もうせん)を丸めて差し込み、腰を持ち上げる。犀星は玲陽の腰をささえ、膝を曲げて脚を固定した。  眠っていて欲しい。せめて、痛みを感じないように。恐怖を感じないように。  犀星は祈りをこめて、褥を三つ折りにし、玲陽の上半身が冷えないよう、柔らかく包み込む。  その間に、涼景は棒に巻かれた布に、薬を染み込ませた。 「一緒に、薬油を入れて、挿入の摩擦を減らす」  涼景の薬の調合を、犀星はしっかりと見て覚えた。 「その薬は?」 「紫雪だ。解毒や鎮痛の効果がある」 「よく手に入ったな。皇家でしか使われない貴重な薬と聞いたが」  涼景は、何を言っている、という顔で、犀星を見た。 「これは、もしもの時に備え、親王様のために太医から預かってきたものだ。おまえに使うなら、不自然ではあるまい」 「……ああ」  犀星は、驚いたような反応を見せ、納得した。  こいつ、すっかり自分の立場を忘れていたな。  涼景は、嬉しいような、呆れたような、妙な気分だった。  涼景は玲陽の足元に回ると、患部が見える位置に犀星を呼ぶ。 「ちゃんと見ろ。そして、覚えろ。俺よりおまえが処置したほうが、陽も安心する」  黙って、犀星は頷いた。 「いいか? 腸を正しい位置に戻して、傷口に薬を塗り重ねる。あとは、こいつの生命力に賭けるしかない」  涼景は左手を玲陽の腹側に入れて感触を探りながら、右手に持った棒を少しずつ入れていく。探りあてた場所で、薬を塗り込むように念入りに動かすと、それを静かに引き抜く。  棒に巻かれた布が、鮮血に染まって出てくるのを、犀星はじっと見つめた。 「腸は途中で曲がっている。ここまでは真っ直ぐ、その先は左に曲がって、腹を包むように……」  説明しながら、涼景は何度も、棒に布を巻き直し、薬湯を染み込ませ、繰り返し慎重に手当てを続ける。犀星も、見よう見まねで布の準備を手伝った。血を吸った布は、炉にくべてそのまま焼却する。  玲陽は眠ったまま、みじろぎもしない。  長時間かけて、丁寧にふたりは手当てを続けた。  調合した薬をすべて使い切ると、涼景は玲陽を仰向けに戻してやった。 「覚えたか? 次からはおまえがやるんだ」  犀星は額に浮いた汗を拭って、うなずいた。  これで終わりか、と思った犀星に反して、涼景はまた別の薬を湯に溶かしている。 「今度はこっちだ」  言いながら、涼景は今かけたばかりの褥をめくり、玲陽の脚の間に明かりを当てた。  反射的に、犀星が臆する。玲陽の会陰部の途中に、何箇所もの指先大の膨らみができている。表面は赤く腫れ、白い玲陽の肌との対比に、犀星は軽い恐怖すら感じた。 「尿道が酷く傷ついている」  涼景は布を湯に浸して絞ると、玲陽の下腹部を覆って温めた。そうしながら、毛氈を薄めに畳んで腰の下に敷き、少しだけ、持ち上げる。 「針のような形状のもので痛めつけられた跡だ」 「赤く腫れているのは?」 「おそらく、尿道の途中が傷つき、そこに膿が溜まっている」  涼景は大きめの杯いっぱいに薬湯を用意していた。 「あれが破裂して全身に膿が回ると、他の臓器もやられる。そうなったら終わりだ。だから、膿を取り除く」 「取り除く……」 「方法はある。ひとつひとつの腫瘍を切開して洗浄するか、手で押し出しながら吸い出すか」  犀星の目が困惑に揺れる。 「どうする? お前が決めてくれ」  涼景は判断を犀星に任せた。犀星は玲陽に体を寄せた。 「これ以上、傷なんてつけたくない」 「おまえなら、そう言うと思っていた」  涼景は少し表情を和らげた。犀星の返事を想定して、彼は湿布や薬湯を用意していた。 「湿布で温めれば、膿が柔らかくなり、吸い出しやすくなる」  涼景は、犀星に薬湯を進めた。 「星、まず、これで口をゆすげ。消毒薬だ」 「え?」 「俺にはやらせてくれないんだろ? おまえがやるんだ」

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