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6 誰がための刃(3)

「そういえば東雨、さっき、刀を振るっていたが、順調か?」 「え? あ、はい!」  東雨は姿勢を正した。 「なかなか上達しないんですけど、一応、若様に稽古をつけてもらってます」 「星からは、どの型を習っているんだ?」 「一沙(かずさ)と、比翼(ひよく)です」 「一沙なら、あいつでも教えられような。もっとも、腕前は保証しないが」  東雨は思わず破顔した。 「若様、強いと思いますけれど」 「だとしたら、格段に腕をあげたのであろう」  犀遠は意地悪く片目を瞑って見せた。 「あやつはどうしても力が入りすぎて、隙が大きくなる。まぁ、性格だな。その点、陽は筋がよかった」  東雨は犀星が夢中になる玲陽のことが気がかりだった。何か話を聞きたい、と思ったが、犀遠は急に庭に降りて、自らの刀を抜く。犀星のものよりも大ぶりで、重量がありそうだが、それを軽々と片手で操った。  東雨はその姿に、今までの犀遠と別人の気風を見る。まさに、見惚れるほどの剣士の構えである。 「比翼についてもきいたのか? あれは、一人では教えきれるものではないが」 「講義は聞きました。たしか、侶香さまが考案されたんですよね。誰かとふたりで、戦う方法。相手との呼吸が合わなければ、本来の力は発揮できない、と」 「そうだ。だから、一人で教えるには限界がある」 「都では、涼景様に伝えていましたよ。時々、二人で組んで型をやっていましたが、俺にはさっぱり……」 「涼景か。奴ならすぐに己のものとしような……」  ふっと、風を感じ、東雨はびくりとした。気配なく、自分の横にいつしか犀星が立っている。  犀遠が庭に降りたのは、近づいてきた犀星に勘付いてのことだったのか…… 「若様!」  東雨は跳ねるように立ち上がり、犀星を見上げた。自然と笑みが浮かぶ。 「随分、父上と仲がよくなったようだな」  犀星からは、嗅いだことのない、薬らしい匂いがする。玲陽の手当に使った香だろう。 「おまえがわしらを放っておくからだ。寂しい者同士、なぁ、東雨」  犀遠が拗ねた子供のように言う。 「若様、あの、光理様のご様子はいかがですか?」 「ああ。おかげで、だいぶ落ち着いてきた。少し散歩でもしてこい、と追い出されたところだ」 「よかった! 俺、早く光理様にお会いしたいです!」 「まぁ、待て。近いうちに紹介するから……」 「星、裏に回れ」  唐突に、犀遠が、比翼の表の構えをとる。犀星は一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに察して、 「東雨、しっかり見ておけ」  そう言うと、抜き身の刀を手に、犀遠の後ろに背中を向けて立つ。  東雨は思わず姿勢を正した。  犀星は一度、深く息を吐き、呼吸を抑えた。犀遠の呼吸を気配でとらえ、合わせていく。  どちらからともなく、二人が一瞬、目配せする。それをきっかけに、刀が空を裂く音と、沓が土を踏み締める音が、まるで予定調和のごとく沈黙を破った。  犀遠の足運びに、犀星はぴたりと息を合わせて踏み込んでいく。二人とも、縦横に刀を振るっているにも関わらず、それがぶつかることはない。また、常に互いの死角を補って、視線を走らせる。ふたりがひとりとなって戦う型、犀遠が犀星と玲陽のために編み出したのが、この比翼である。  二人で舞う剣舞は、東雨の知る何よりも美しく、激しかった。一呼吸ずれたなら、互いの刀が互いを傷つけるだろう。しかし、そこには絶対の信頼があった。そして、遠慮のない、本気の刀さばきは、誰も寄せ付けはしない迫力と、間違いのない殺傷能力を確信させる。 「左位(さい)!」  犀遠の合図に、犀星が右へ大きく跳ねた。宙で身体を半回転させ、着地する時には、犀遠はすでに犀星の背中を守る位置に移動している。 「後位(こうい)!」  また、犀遠の指示と同時に、犀星が前方へ踏み出す。寸分違わぬ歩調で、犀遠が振り返ることもせず、素早く後退する。ともすれば、両者がぶつかって体勢を崩すところだ。  比翼の極意は、互いの信頼関係にある、と、東雨は犀星に聞いていた。相手がどう動くか、僅かな合図と気配で察して、自分はその隙を補う。一人で戦う一沙流に比べ、隙はないが難易度は格段に高くなる。 「(かい)!」  突然、今度は犀星が叫んだ。  その刹那、背後に足音が聞こえ、誰かが東雨の脇を走り抜けた。 「えっ……」  涼景だ。  そのあまりに早い身のこなしに、東雨は何が起きているのか、理解が追いつかない。  涼景が飛び込み様に、太刀を両手に構え、二人の間に大ぶりの一振りを入れる。本気で切り掛かった涼景の気迫に、東雨は思わず逃げ出しそうな恐怖に駆られた。  涼景の容赦ない一撃は、飛び退いた犀星と犀遠の間を切り裂いた。  犀星の合図で、二人が散っていなければ、両者とも、涼景の刀に打たれていただろう。暁将軍・燕涼景は、決して空虚な肩書きなどではない。 「涼景! 裏!」  犀星が続けて叫ぶ。 「おう!」  笑みすら浮かべて、涼景は犀星の背後に回った。 「やるじゃないか」  今度は、犀遠が二人に本気で切ってかかる。  立場が変わった、と東雨は真剣に三人の動きを見守った。  犀星が表、涼景が裏の動きを、息を合わせてこなしていく。だが、今度は戦いの型を踏めば良いわけではない。犀遠という、実際の敵がいる。  耳をつんざく金属音が響き渡り、犀星の刀がまともに犀遠の一撃を受け止めた。両腕から強烈な痺れが全身に走り、犀星が耐えきれず崩れる。その体を飛び越えて、涼景が犀星を守りに入る。回転の勢いをつけて繰り出された犀遠の一刀を、涼景が受け止め、押し返した。その間に、犀星がどうにか立て直す。 「(きょう)!」  今度は、涼景の指示だ。 「(えん)」と、犀星。 「(ばく)」と、涼景。 「(めい)」と、犀星。  犀星は身を翻して涼景の前に躍り出ると、犀遠の背後をとった。涼景との鍔迫り合いで逃げ場をなくしていた犀遠が、両者に挟まれる形となる。涼景の刃が犀遠の喉元にせまり、犀星の刃が犀遠の首の後ろにぴたりとついた。  庭に響いていた、数々の音が止まり、風だけが、植え込みの橘の葉をさらさらと揺らしていく。  数秒、三者は動かなかった。  ゆっくりと、犀遠が刀を下ろす。同時に、犀星と涼景が、ひらりと着物の裾を翻して、犀遠の前に膝をついた。 「ご指南、ありがたく!」  示し合わせたように、二人の声が重なる。  犀遠は満足そうに頷くと、体を大きくのばし、やれやれ、と首を回した。 「わしも歳をとったな」 「侶香様」  涼景が顔を上げる。いつもの無遠慮な彼には珍しく、まるで宮中にでもいるかのように、その態度はうやうやしかった。 「侶香様の太刀の重さ、しかと、刻みました」 「腕を上げたな、涼景」 「歌仙親王のお力かと」 「うちの星が、おぬしの稽古相手になったか」 「は」 「星、お前も少しは役に立ててよかったな」  一番息が乱れていた犀星は照れ臭そうにうつ向いた。 「あ……」  その主人の顔に、東雨は、穏やかな表情が戻っていることに気づく。気鬱で沈んでいた影はない。 「久しぶりに振るった」  犀遠は刀を鞘に収めると、悠然と屋敷に戻る。 「東雨! 湯を使う。背中を流してくれ!」  廊下の奥から、犀遠の声が響いた。 「あ、はい!」  東雨は庭の二人に礼をすると、急いで犀遠の後を追った。

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