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7 花嵐(3)
「何事だ!」
犀星と東雨が駆けつけた時、門の周りには護衛兵たちが慌ただしく行き来していた。玲家との緊張関係が続く中で、有事に備えて普段よりも多くの私兵が待機している。
日常的に閉じているはずの外門が開かれ、内門も開放されていた。犀家は先の幕環将軍・犀侶香の屋敷とあって、ただの豪族の邸宅ではない。規模は小さいが、守りは堅固である。その門が理由もなく開かれることはない。
「玲家が襲ってきたんでしょうか?」
東雨が不安そうに犀星を見る。剣術を学んでいるものの、東雨には実戦経験がない。戦は怖い。
屋敷の奥から、足早に犀遠が出てくる。
「父上、これは?」
「さてな」
犀遠も状況がわからないらしい。その時、馬のいななきと、地を穿つような乱れた馬蹄の音が急速に近づいてきた。
「門を閉じて! 早く!」
高く、よく通る女性の声が、響き渡りる。
「門を閉めよ!」
犀遠が繰り返すと、門番が慌てて門扉の綱を引き戻す。締まり切る直前に、外門から内門へ、一騎の騎馬が飛び込んできた。馬が混乱しているらしく、その背に乗っていた少女は必死に手綱を引いた。棒立ちになった馬からなかば転げ落ちて、少女はしばらく起き上がれない。暴走しかけた馬を馬丁たちが必死にとりなした。その向こうで、重たい外門が音を立てて閉じきる。
「大丈夫か!」
犀星は、地面にうずくまっていた少女のそばに駆け寄った。東雨は犀星の陰に隠れて、様子を見ている。
少女は落馬した際、細い体に不釣り合いの大太刀を庇って腕に抱いていた。その太刀に、犀星は見覚えがあった。以前、同じものを犀遠が持っていた記憶がある。父から太刀を譲り受けたとすれば、この少女は只者ではあるまい。
犀星は犀遠を振り返った。
同時に、少女より先に到着した伝令が、犀遠の前に駆け寄って跪いた。
「申し上げます! 玲家と思われる集団、燕家の邸宅を奇襲。警備の兵にて応戦中!」
「玲家が燕家を襲ったと? 何故……」
犀星には目もくれず、少女は犀遠に這い寄った。犀遠が少女を振り返る。
「凛 !」
「私のせいです。私がいたから!」
少女、凛は必死の形相で犀遠を見上げる。
「あいつら、私を探していたんです。それで、燕家に目をつけた」
「そうか、おまえは燕家に忍んでいたか」
「すぐに増援を! 敵は逃げた私を追ってきたので、今なら、燕家の駐屯兵と増援部隊で、挟み撃ちにできます!」
「あいわかった!」
犀遠が屋敷の護衛兵を集め、素早く増援の指示を出す。その様子を、少女は悔しそうに顔を歪めて見ていたが、気持ちが抑えられないのか、拳で地面を殴りつけた。
うそ……
東雨は、思わず後退った。
少女は自分よりも年下のように見える。見た目は可憐で、煌びやかな絹の裳が似合いそうな美少女だが、それが拳で土を殴るなど、東雨の想像を超えていた。
犀星といい、この少女といい、歌仙には変わり者が多いのだろうか?
東雨の困惑など知る由もなく、少女は立ち上がって身なりを正した。怪我はないようである。
十数騎が、再び細く開かれた外門から駆け出していくのが見えた。
「申し訳ございません。私がいながら」
「いや、問題ない」
犀遠が増援の出立を見届けて、少女のもとに戻ってくる。
「案ずるな。玲家の私兵などに負けはせぬ」
「ありがとうございます、叔父上」
「叔父上?」
東雨が首を傾げる。
「詳しい話を聞かせてくれ。星、凛をわしの部屋へ」
少女は振り向くと、値踏みするように犀星を見た。無礼極まる態度である。東雨は何か文句を言わねば、と思ったものの、足がすくんでしまっていた。
少女はじっと犀星を見据えた。その眼差しには一才の遠慮がない。
「……蒼い目……もしかして、星兄様?」
え?
東雨は展開についていけない。
「凛、久しいな。すっかり大きくなって……」
犀星が、懐かしい従兄妹の無事を喜ぼうとした矢先、玲凛が、カッと目を見開いた。
ひぃっ!
と、東雨がその形相に恐れをなして、尻餅をつく。美人は怒ると怖いのだ。
「この、馬鹿野郎!」
門に集まっていた総勢二十名ほどが、何事か、と、一斉に玲凛を振り返って硬直した。
今にも犀星に斬りかかるのではないか、という憤怒で、玲凛は犀星を刮目している。
犀星の方はどうしてよいかわからぬまま、いつもの感情のない表情で少女を見返した。
「よくも、歌仙に戻ってこられたな!」
玲凛の怒髪天をつく。
東雨はすでに、心が折れて状況を考えることすら放棄している。
犀遠が全てを察したようにやれやれと首を振った。こうなると、もう、誰も彼女を止めることはできない。
「十年もの間、陽兄様を放っておいて、今更何をしにきた! この、薄情者が!」
言い返す言葉もない犀星に、玲凛は一歩詰め寄った。
「私は、絶対に許さないからな!」
怒鳴るだけ怒鳴ると、玲凛はさっと踵を返して屋敷に向かう。
「あ、凛、案内を……」
「ひとりで行ける!」
取り残された犀星は、助けを求めるように家人たちを見回した。
伯華様、お気の毒に。
彼らの表情は一様に哀れみに満ちていた。
玲凛、字を仲咲は、玲芳とその兄、玲格との間の娘である。兄妹での婚姻は、今の時代、決して赦されない禁忌である。だが、玲家においては、その辺りが曖昧だった。社会の規範よりも、一族が昔から守ってきた習慣が重んじられる。血を残すためとあらば、世の評価など考慮しない。その結果は、時に悲劇を生む。
母親の玲芳は、実の兄との間に生まれた玲凛を避け、距離をおいていた。慣習とはいえ、彼女には自分の身に起きたことが受けれ入れられなかった。第一子の玲陽は身に覚えがなく、第二子玲凛は実兄の子、という現実は、孤独な彼女を苦しめた。
玲格は力を持った娘を望んでいたが、玲凛には期待した力は見られなかった。
力のない娘は、子を成す以外に生きる道はない。
幼い玲凛の運命は、玲家の血という鎖でがんじがらめにされていたのである。
玲陽より九歳年下のこの妹は、犀星が歌仙で暮らしていたころから、二人を兄と呼んでよく懐いており、特に玲陽にはべったりだった。
両親の愛を得られなかった玲凛は、それを兄である玲陽に求めていた。玲陽も苦境にいる妹に寄り添い、可愛がり、よく面倒を見た。
その後、縁あって、彼女は三年ほど、犀遠の屋敷で暮らしていた時期がある。
すでに犀星は都へ上がったあとであったため、犀遠はたいそう喜び、賑やかになる、と玲凛を歓迎した。そして、あろうことか、自分の武術の限りを彼女に教えてしまった。いつの世も、父親は娘に甘い。
そうして恐ろしいことに、玲凛に眠っていた戦いの才能とも言えるものを、開花させてしまったのである。
以降、彼女は、太刀のみならず、剣、戦斧、槍、戟、弓、馬術、体術、そして軍を動かす戦術論まで一気に吸収し、当代稀に見る強者への道を歩むこととなった。戦勇・犀侶香の再来である。
燕家に帰省するたびに犀家を訪れていた涼景は、何度か彼女と手合わせをしたが、その度に、この世には天賦の才というものが存在するのだということを思い知らされた。涼景も周囲には天才ともてはやされたが、実際には努力の人である。それに対し、玲凛の才能は本物だった。
女性の身だから武術に向かぬ、という通説は、彼女の前では通用しない。もし、周囲の環境が許しさえするのなら、涼景は玲凛を是非とも自分の軍に引き入れるつもりである。
玲凛は、言いつけ通り犀遠の部屋に向かったが、途中で気配を感じ、玲陽が休んでいる部屋に気づいた。
陽兄様がいる!
止める家人を振り払って、彼女は引き戸を開けた。
重く暑い空気が立ち込める部屋で、牀に眠る玲陽を見つけ、玲凛は飛びついた。
「なんだ、東雨、またきたのか?」
鉢で薬を擦り合わせていた涼景が、引き戸の音を聞いて、下を向いたまま、あきれた調子で言った。
「門の方が騒がしいようだが、何か……」
「兄様!」
「え?」
女の声に、驚いて涼景は顔を上げた。
「凛じゃないか!」
「ああ、兄様!」
玲凛は目を閉じていた玲陽の肩を揺さぶった。
「おい、凛、やめろ! せっかく眠ったところなんだから……」
「寝ている場合ですか!」
「いや、寝なきゃよくならん!」
「兄様、起きてください!」
「おまえなぁ!」
玲陽のことで頭がいっぱいの彼女に、涼景の姿は見えていない。
東雨といい凛といい、最近の若者は話を聞かない。
涼景は心の中で恨み言を言ったが、かつて、自分も師匠に同じことを言われていたとは思いもしない。
急に騒がしくなって、玲陽は混乱しながら目を覚ました。大きな声がガンガンと響く上、突然、体をがたがたと揺さぶられる。ここ数日、過保護すぎる犀星にとことん甘やかされていた玲陽には、辛すぎる仕打ちである。
「兄さまぁ!」
玲凛が玲陽の胸元にしがみついて、叫ぶように呼びかけた。
「え? え?」
何が起きているのか理解できず、玲陽はしばし答えられずにいた。誰かと思って顔を覗く。大きな目にいっぱいの涙を浮かべて、玲凛が自分を見つめていた。
「凛どの!」
かすれた声で、玲陽は呼んだ。
「ああ!」
重たい腕で、凛の背中を抱き寄せ、玲陽はそっと撫でた。
「よくぞ、よくぞご無事で!」
「いや、どう考えても凛はおまえより丈夫だから」
と、涼景はいささか冷ややかだ。
「陽兄様こそ……」
玲陽は、いつもの優しい笑みを浮かべた。
「あなたには、本当に心配をおかけしました」
玲陽は済まなそうに目を伏せた。自分のために、玲凛が多方に渡って心を砕いてきたことを、玲陽は察していた。玲凛は兄を安心させるように、声を和らげた。
「もう、いいんです。無事に戻ってきてくださっただけで!」
「無事じゃないけどな」
どうせ聞いちゃいないだろう、と思いながら、無遠慮に涼景が呟く。そして案の定、無視される。
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