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8 さだめ(4)
「星兄様がいなくなって、四九日が過ぎた頃、陽兄様の体に異変が起きたそうです。高熱が続き、日々、うなされて星兄様を呼び続けた。髪も目も、数日続いた高熱の間に、すっかり変わり果てて……まるで、生きる力を失ってしまったかのように」
玲凛はちらり、と玲陽を振り返り、
「限界だったのでしょうね。陽兄様は、星兄様なしには生きられない……と、母上は言いました」
私は認めないけどね。
そんないじらしさを感じて、犀星は少し心が動いたが、微笑む気にはなれなかった。
「陽の姿が変わったのは、高熱の後遺症ということか?」
低く、犀星は問うた。玲凛は首を横に振った。
「よくわからない」
「?」
「母上が言うには、だけど……」
と、前置きしてから、
「兄様の発熱が何をきっかけにして起きたかはわからない。でも、その間に兄様に起きた変化は、外見だけじゃなかった。陽兄様の中で何かが『開いて』しまったの。たったひとりで、受け止めきれないような何かを……陽兄様は、全部、受け入れてしまった」
「…………」
犀星が眉間にしわを寄せて、話に集中する。
「陽兄様は、新月の光になった」
「……なんだ、それは?」
凛は、じっと犀星を見た。
「星兄様は知らないんだね。玲家は星兄様に冷たかったから、そういうこと、教えてもらってないんだ」
「新月の光?」
「そう」
玲凛は表情を引き締めた。
「玲家に伝わる、力の伝承のひとつ。本家の血筋に、ごくたまに現れる、とても力の強い人のことよ。その人の力は月の満ち欠けと関係があって、新月の夜に、もっとも強くなる。そして、その体は、ぼんやりと輝くと言うわ」
犀星は聞き逃すまいと、玲凛の唇を見つめていた。
「つまり、陽に玲家の力が目覚めたってことか? 髪や目も、そのせいで色が変わったと?」
「たぶん」
玲凛は続けた。
「その力っていうのは、少し厄介で…… 私も詳しいことはわからないけれど、それが目覚めた者は、同時に大きな代償も背負うって言われてる」
犀星の表情がさらに厳しくなる。
「その力はね、この世に取り残された、怨念とか、憎しみとか、悲しみとか。たくさんの人たちの『情』を、自分の体に取り込んで、綺麗にする力。一見、良いことみたいに聞こえるでしょ。確かに、それで救われたりする人もたくさんいる。だから、玲家は新月の光を大切にする。自分たちの身に起きる災を、取り払ってくれるから」
「では、代償、とは?」
「それは、力を持った人の身に起きる。悪いものを体に取り入れて、それを浄化する、簡単に言うけれど、それ、ものすごく苦しいことなんだって。私も聞いた話だからわからないけれど。誰かを助けるために、自分が苦しみ続けるしかない。それが、力を持ってしまった人の運命」
冷水を浴びせられるとはこのことか、と、犀星は唇を噛んだ。
よりによって、どうして玲陽なのだ?
あの、誰にでも情を寄せ、献身的に尽くす人がそんな力を持ってしまったら…… 恐ろしい想像が、犀星の上にのしかかる。
死ぬまで終わらない。
犀星は手が冷えていく感覚を覚えた。
「では、陽はあの砦で……」
「そう」
玲凛は無意識に視線を彷徨わせ、自分の肩を抱いた。
「あの砦は、玲家の聖地への入り口。あそこを守って、玲家にとってよくないものを浄化し続けるために、陽兄様は閉じ込められていた。博は、悪いものに取り憑かれた人たちを、陽兄様のところに連れて行って…… 陽兄様は、悪いものを自分に移し替えて、苦しみながら浄化していた。星兄様もあそこへ行ったなら、滝があったのを、覚えている? あの滝の水が湧き出している崖の上、そこが玲家の聖地なんだって。あの水は、陽兄様の浄化を助けてくれていた……」
犀星は、玲陽と再会した時のことを思い出した。
「それで、陽は水を浴びていたのか」
「ええ」
凛はしばらく黙り込んで、それから、より一層声を低めた。
「陽兄様があそこを離れたら、何が起きるかわからない」
「……どういう意味だ? 陽があの砦に行く前、あそこには誰もいなかったはずだ。それでも、特に何も問題は起きなかった。あの頃に戻るだけではないのか?」
「そう思いたい。何もなければそれが一番いい。でもね…… 陽兄様が力を持った頃から、悪いものの数が増えたり、力が強くなったりってことが起こり始めた。だから、昔とは状況が違う」
「放置すると、どうなる?」
犀星は胸の震えを抑えて言った。玲凛は考えながら、
「確かなことはわからないよ。でも、母上が話してくれたことだと、たくさんの人が死ぬ、って」
「え?」
「悪いもの、って言ってたけど、正確には、傀儡っていうの。恨みを抱いて死んだり、悲しい状況で殺されたりした人の魂のこと。それは、無関係の生きている人に取りついて、その人を操ってしまう。まるで、人形を操るように」
「それで、傀儡、か」
「そう。操られた人は、傀儡が残した思いを晴らすために行動する。誰かを恨んでいたら復讐するし、悲しい気持ちの傀儡なら、自分で自分を傷つけたりもする。とにかく、ろくなことしないのよ。知らない人が見たら、きっと、頭がおかしくなったように見えるでしょうね」
「…………」
「もし、そこらじゅうに傀儡が溢れて、たくさんの人が取り憑かれたらどうなるか……」
「…………」
「陽兄様には、そうなることがわかっていたんだと思う。だから、きっと、私や母上がいなくても、浄化を続けたと思うんだ。陽兄様は、そういう人でしょう?」
そう言って、犀星を見つめた玲凛の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ああ」
掠れた声で、犀星は答えた。
「だが、ひとつ、わからない」
犀星は慎重に言葉を選んだ。
「その傀儡ってやつを、取り憑かれた人間から抜き取って自分に移し替える、それはわかった。浄化をするために自分の力を使い、滝の水を利用する、それもわかった」
「うん」
「ならば、なぜ……」
犀星はしばらく黙ってから、静かに、
「陽の体を犯す必要がある?」
玲凛の目尻が、ぴくりと痙攣する。どこか怯えたように、玲凛は声を震わせた。
「……傀儡に取り憑かれたら、恨みとか憎しみとか、わけがわからなくなっちゃう。ほとんどは暴れたりする。無理に移し替えようとすれば、抵抗される。傀儡だって、浄化されて消されるなんて嫌だもの。だから、陽兄様に暴力を振るうのが当たり前。博は仲間を連れて、そんな暴れる人たちを押さえつける役割だったの。その間に、陽兄様が移し替えを行えるように。でも、傀儡に取り憑かれた人の力ってすごくて、とても危ない。時には、殺されることもある。だから……博はそんな仕事をする見返りとして……!」
犀星を見ずに話していた玲凛は、殺気を感じて顔を上げ、身震いした。そしてすぐにまた、顔を背ける。
犀星の顔を、彼女は直視できなかった。
「それで」
と、犀星の声。玲凛は射すくめられたように、動けなかった。
「それで、見返りに? 腹いせに?」
「…………」
「……っ!」
思わず、玲凛は目を強くつむって、首を縮めた。
ちょうどその時、部屋の前の回廊に、東雨が立ってた。彼は部屋の中から聞こえた突然の犀星の声に、軽く飛び上がった。
にわかには信じられなかった。この十年間、どんな時も、犀星は大声をあげることなどなかった。腹が立つことは多かっただろうが、一度とて、感情のままに叫ぶことはなかった。
東雨はその剣幕を想像して、引き戸に手をかけたまま、動けずにいた。扉を開けることが怖かった。
若様……
東雨は全てを忘れて、何かを必死に祈った。
胸が痛い。本当に、裂かれてしまいそうなほど、悲痛な犀星の叫びに、東雨は両手で耳をふさいでうずくまった。その姿はかつて、玲陽の悲劇を知った玲凛のようだった。
部屋の空気はぬるく、香の匂いは濃く、くらくらと酔う。
犀星の声の残響が消えていく。玲陽は、わずかに目を開いた。犀星たちの話の途中から、彼は目覚めていた。だが、今は何も言いたくなかった。こうなることが、犀星を傷つけることがわかっていたから、玲陽はずっと沈黙を通していた……
玲陽の体は何かに耐えて、震えていた。
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