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10 間隙に住まう(2)
「父上、ひとつ、俺の話をお聞きいただけますか?」
真面目な顔で、犀星は言った。犀遠はもう少しからかおうと構えていたのだが、犀星があまりに真剣なため、それを諦めた。
「うむ。話せ」
犀星はひとつ頷くと、整えた声で言った。
「もし、俺がこれから話すことを、父上が間違っていると判断されたら、そうおっしゃってください」
「わかった。遠慮なく言わせてもらう」
「ですが」
「うん?」
「たとえ、父上が反対なさっても、俺は改めるつもりはありません」
犀遠が一瞬言葉に詰まる。
「ならば、わざわざ、わしの意見など聞かずとも良いではないか」
「いえ」
犀星は首を振った。
「父上に反対されても成し遂げる。その覚悟が必要ですので」
「相変わらず、面倒なやつだ。屁理屈ばかりこねおる」
犀遠はため息をついたが、どこか嬉しそうでもあった。
「それで、おまえのその、一世一代のとっておきの覚悟というのは?」
犀星は相変わらずの冗談めかした父の言葉遣いに、少し頬を緩めた。
「陽を、都に連れて帰ります」
犀星の告白を、眉ひとつ動かさず、犀遠は聞いていた。おもむろに口を開き、
「それで?」
「……え?」
犀遠の反応に拍子抜けした犀星は、目元を動かした。犀遠は鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。おまえはわしに、惚気を聞かせたいのか?」
「の……惚気……」
「真面目に聞いて、損をした」
そう言って、犀星はまた、景色へと目を移した。
「あ、あの……」
犀星は気まずそうに唇を歪めて、
「お怒りになりませんか?」
「怒ってどうする?」
「反対されるものと……」
「わしが反対したところで、変えるつもりはないと言ったではないか」
「ですが……」
「だいたい、おまえは最初からそのつもりで、歌仙に戻ってきたのだろう? 今更、何を言うか」
「それは……」
犀星は妙に納得してしまった。しかし、少しでも気がかりなことがあれば、全てを父に話してきた彼は、食い下がった。
「父上がおっしゃるように、俺はそのために戻ってきました。……あ、父上にもお会いしたかったし」
「世辞はいらん」
「……ですが、事態は考えていた以上に複雑で、陽をとりまく状況は、そう簡単に決められるものではなくて」
「そうだな。こりゃ、和平を破ってでも、玲家に戦争を仕掛けるしかあるまいて」
犀遠はとんでもないことを、さらりと口にした。
「仕方あるまい。息子の一世一代の覚悟、見届けねば、あの世で心に合わせる顔が無いわ」
「父上」
「案ずるな」
犀遠は、不遜とも愉悦ともとれる、不思議な表情を浮かべた。
「おまえの父は、まだ役に立てると思うぞ」
「父上……」
「おまえは昔から変わらん。言い出したら頑固で融通が効かない」
そう言って、懐かしそうに笑う。
「おまえを止められるのは、昔から、陽だけであった。そして、おまえを、そのように強固に動かすことができるのも、あいつだけだ」
「…………」
「陽に、せがまれたか?」
「え?」
「助けてくれ、とな」
パッと犀星の顔が赤らむ。明らかな動揺は、見ていて気持ちがいいほどわかりやすい。
ああ、やっぱりお見通しじゃないか!
犀星は唇を結んで、斜め下に視線を投げた。
「父上は、意地が悪いです」
「意地くらい悪くないと、玲家と渡り合うことはできん」
真剣味に欠けるように思われるが、これで、犀遠は十分に本気なのだ。軽い口調とは逆に、その真意は決して揺るがない。それが、犀侶香という人物であった。そのことを、犀星は小さいころからよくわかっている。
「俺も成長していないかもしれませんが、父上だって、変わっていません」
仕返しのように、犀星は言ったが、その言葉もまた、犀遠にとっては息子の可愛いぼやきとしか聞こえなかった。
犀星は、さらに続けた。
「もう、若くはないのですから、ご無理をなさいませんよう」
「世の中には、年寄りにしかできないこともあるのだ」
弁がたつ犀遠には、何を言っても無駄である。
無駄とわかっていても、つい、言い返したくなる自分は子供なのだろうか。
犀星はふと、そんなことを思った。
「すっかり秋だなぁ」
犀遠のその一言は、犀星の心を景色へと向けさせた。
「はい。歌仙の秋は優しいです。俺にとっては、ここの季節はどれも」
「そうか」
犀星の、涼やかな目元を、犀遠はじっと見つめる。稀有な蒼い瞳は、どのような世界を見てきたのだろうか。自分が過ごした宮中の醜さを、犀星も味わったのだろうか。
そう思うと、途端にこの、無愛想な息子が一層愛しくなる。
「まさか、こうして成長したお前に、再び父と呼んでもらえる日が来ようとはな。長生きはするものだ」
「そのような、年寄りくさいことを……」
「ときに」
犀遠が、珍しく犀星の言葉を遮った。少し驚いて、犀星は犀遠を見た。
「人を、殺めたようだな」
「…………」
「誰も告げ口などしてはおらん。わしが勝手にそう思った。あたりか?」
ちらっと横目で犀星を見る。答えられず、表情をこわばらせて、犀星は歌仙の景色へと向き直った。しかし、懐かしく美しい景色も、今は目に入らなかった。
犀遠に隠していたわけではない。しかし、それを告げるには、玲陽がどのような目に遭っていたのか、嫌でも伝えねばならない。
犀星は唇を噛んで、沈黙に耐えた。
「背負え」
不意に、優しい犀遠の声がした。
「わしはおまえを信じている。おまえが選んだのなら、そうするしかなかったのであろう。済んだことをとやかくはいわん」
「…………」
「ただ、忘れてはならぬ。わかるな」
「はい」
犀星は静かに答えた。
「陽にまつわる罪ならば、いくらでも背負います」
どこか、寂しそうに犀遠は微笑んだ。
「おまえは昔からそうだ。そうやって人に隠して自分の傷を見せようとはせん」
「人に言ったところで、自己満足の気休めにしかなりませんから」
犀星が、声を低めた。犀遠が同じ声色で応じる。
「その気休めが必要な時も、時としてあるぞ」
犀遠は、深く息を吸った。
「わしに弱音を吐けとはいわぬ。それは、おまえにとってはなんの意味もなかろう。だが、友は別だ。心をさらけ出せる相手がいることは大切だ。それはどのような強者であろうと変わらぬ」
犀星の目の前に、自分に笑顔を向けてくれる人々の顔がちらついた。
「わしはひとつ、おまえを褒めねばならん」
犀遠の意外な言葉に、犀星はわずかに緊張した。
「おまえは、良い友を得たな」
どくん、と犀星の鼓動が強く打つ。その、照れて黙り込む横顔を、犀遠は眩しそうに見た。
目の前のこの景色は美しく、世界がいかに広大であるかを教えてくれる。しかし、犀星の瞳の輝きは、この大地よりもはるかに奥深く星空の広がりを見せるのだ。それは、人の、夢が拓く世界なのかもしれない。
犀遠はそっと、犀星の肩を抱いた。すっかり逞しくなったものだ、と思わず涙腺が緩む。
「星。おまえがいかように進もうとも、もし、その道が誤っていたというのであれば、それは、わしの育て方が間違っていたのだ。その時は、すまぬ。別の道を探してくれ」
「父上……」
犀星は間近に、父の顔を見つめた。自分が長く留守にしていた間に、年をとってしまったと、寂しさを感じる。
「父上、俺は平気です。どんな道だろうと、父上が示してくださった道ならば、自信をもって突き進むことができます。心配しなくても、父上にその責任を押し付けたりはいたしません。進むと決めたのは俺です」
犀遠は表情を和らげて、
「もうじき、庭に曼珠沙華が咲くであろう。おまえの好きな花だ」
言うと、犀星の肩をひとつ叩き、いつもの、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「時間を取らせたな。用件はこれだけだ。あいつのそばに戻ってやれ」
犀星は言葉が見つからず、ただ、一礼して回廊へと数歩歩いた。急に足が重くなって立ち止まる。前触れなく、胸の中に寂しさが込み上げてきた。
たまらず、犀星は振り返った。
大きく開かれた引き戸の向こうの景色。地上の風景は犀星の位置からは見えず、ただただ、青い空の中、犀遠は立っているようだった。
喉の奥で涙の味がして、犀星は目を見張った。
「父上!」
「どうした、星」
背を向けたまま。犀遠の声が、確かに自分を捉えた。
「いえ……なんでもありません」
震える声で、そう告げるのが精一杯だった。
「呼びたくなったらいつでも呼べ」
背後から、犀遠の一際強い声がかけられた。
「気が向いたら、返事をしてやる」
犀星の頬に涙が流れる。もうそれ以上、声を出せず、犀星は足早に玲陽の元へ戻った。
足音が遠ざかるのを聞き、犀遠は目を閉じた。
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