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13 守る者たち(5)

 涼景が先陣を切り、威嚇の声を上げて飛び出した。刀を振るうとともに強烈な足技で前方の兵士を次々となぎ倒す。容赦のない打撃を受けてのけぞった兵たちの足元を、玲凛の槍がしたたかに打ち据え、動きを封じてその隙に犀遠を先にやる。涼景が力と技を駆使するならば、玲凛は俊敏さと遊撃で相手を翻弄した。犀遠も負けじと鋭い太刀捌きで、危なげなく敵を後退させていく。  三人が一体となって、それぞれの隙を補い、また、相手を信じて時には任せ、正殿から中庭へと抜け出す。玲芳の部屋は中庭の先、母屋の奥である。玲格は正殿の裏の通路から向かったはずだ。すでに先行されている以上、時間がない。追い詰められた玲格が、玲芳に何をするとも知れなかった。  中庭は、すでに白刃の壁で囲まれていた。  玲家の私兵、およそ百。そのうち、定点の警備や見張りに立つ者がいたとしても、三人で七十名余を相手する計算となる。  しかし、犀遠には十分に勝算があった。  数よりも、その質が彼らの突破を有利にする。  すでに、涼景が皇帝の名の下に玲格の断罪を布告している。迷いが生じるものは少なからずいるだろう。  また、玲凛は玲家の嫡女であり、それを知らない者はいない。彼女に弓引くことをためらう者もいるはずだ。  おのずと、士気を高く保てる者は限られてくる。残された者たちも、三人の戦闘能力の前に、決して楽な立ち回りはできない。圧倒的な戦力差、味方が倒されていく姿は、それだけで兵たちの戦意を奪う。  玲凛の案内で、彼らは中庭の突破に挑んだ。犀遠を中にはさみ、背後は涼景が抑える。  中庭にはすでに多くの兵が展開しており、瞬く間に囲まれる。幾重にもなる包囲網を破り、一刻も早く玲芳の元へ急がねばならない。 「死にたくなければ、どけなさい!」  槍を捨てて太刀を抜き、玲凛の怒号が轟く。牽制の大太刀の一閃に、空気が避け、その音に最前列の何人かが怯んだ。中には、玲凛が見知っている顔もある。彼らとて、幼い頃から世話をしてきた玲凛に刃を向けるのは本望ではない。数人が刀を下ろす。離脱した者には目もくれず、玲凛は敵を定めた。  足元の玉砂利を嫌って、玲凛は飛び石を軽快に跳ねながら足場とし、体重を太刀に乗せて、一気に振り下ろした。兵士たちは青銅の鎧を身につけていたが、大太刀の重たい一撃に耐え切れずに膝をつく。 「仲咲様を捕えろ!」  誰かが叫ぶのが聞こえた。玲凛はこれを好機とみて、自らを囮に、数名を引き付け、走る。目指すのは庭の中ほどに作られた池だ。水深は浅いが、中を走るには危険が伴う。池の端の石の上を飛び渡り、場所を定めて躊躇なく水に飛び込んだ。追ってきた兵士たちに向けて、思い切り水を蹴り上げる。  白い水飛沫が、兵士たちの視界を奪う。その一瞬の隙に、玲凛は体の向きを反転させ、巻き上げられた水柱もろとも切り掛かる。  さらに新手が横から走り込んでくるのを視界にとらえ、築山へと走る。小高くなった場所で一呼吸止まり、さらに敵を引きつけると、生垣の向こうへ身を隠した。追ってきた敵の一人を目掛け、すかさず生垣越しに奇襲の一撃を発する。玲凛の太刀はまっすぐに兵士の鎧の隙間をとらえ、引き抜きざまに血飛沫が上がる。他の兵たちがたじろぐ。  玲凛が退いた築山に、今度は犀遠が駆け上がった。低い位置に敵を捉えれば、体力で劣る犀遠でも立ち回りが楽になる。地の利を生かし、全体を見て動く戦場での判断力は、さすがは歴戦の勇士である。犀遠は玲凛と涼景の位置を確認しながら、自分に向かう兵の刀を立て続けに叩き落とした。体力では若いふたりに及ばぬものの、ここで無様な姿は見せられない。犀遠の表情はすでに、戦士のそれである。  涼景は、玲凛の縦横無尽に跳ね回る姿を横目に、重たい太刀を右手に持ち替え、帯に差していた短刀を左手に逆手に構えた。大太刀は威力があるが、その分、重量もかさみ大ぶりになるため、隙も生まれやすい。広い場所で戦う際には、左手の小太刀が盾の代わりとなる。  玲凛が両手で扱う大太刀も、涼景にかかれば片手で同等の破壊力を発揮する。涼景は二振りの刀を横に構え、周囲の敵を鋭く見回した。それだけで、何人かが後退った。すでに、気迫が違うのだ。 #__i_4aad0ee9__#  いかに訓練されていようと、実戦においては涼景に敵う者はいない。数を頼みに、兵士たちが同時に切り掛かる。一人の剣が涼景の太刀を打ったが、その剛力に容易く押し返される。その隙に傍から突き出された剣は、左手の小太刀で華麗に捌いて跳ね飛ばす。体を半回転させてもう一人の脇腹を蹴り、さらに跳躍を挟んで後ろから襲ってきた兵士の側頭部を太刀の峰で殴りつけた。  涼景の動きは一つ一つに、全くの無駄がない。歩むための足捌きも、次の攻撃に繋げる重心移動となり、振り下ろした太刀の衝撃を利用して体を浮かせ、次の一手を繰り出す。まともに戦うどころか、誰も彼に近づくことすらできない。  兵士が三人、示し合わせ、涼景の左右前方から襲いかかった。涼景が本能とも思える勘で反応し、後ろに一歩下がると身を低めて回転ざまに、三人を一太刀の下に吹き飛ばす。その背後に迫った一人には、振り向きもせずに小太刀を突き立てた。  涼景には敵わないことを嫌でも思い知った者たちが、代わりに、と犀遠に向かう。  犀遠はその動きを見逃さない。太刀を構えて、築山を駆け降りると、母屋の階を目指して駆け出した。嫌でもそれを追わねばならない兵士たちを、涼景と挟み撃ちにする。敵を一方向に集めてしまえば、少数でも有利に動ける。敵の動きを支配する者が、戦場を制する。犀遠も涼景も、それをよく心得ていた。 「凛!」  涼景が追手を次々と太刀の下に沈めながら、叫んだ。 「おう!」  破天荒に周囲を翻弄して跳ねていた玲凛が、涼景の求めに応じて合流する。犀遠を後ろにかばい、母屋へと向かわせながら、涼景と玲凛が揃って残りの兵たちを睨みつけた。  白い玉砂利の上には、三十名を下らない兵士が倒れ、血溜まりが各所に広がっている。すでに、残された兵士に戦意はなく、犀遠はこれ以上の戦闘は無用と判断した。 「行くぞ」  刀を振って血を払うと、犀遠は玲芳の部屋へと向かう。素早く犀遠の横について、玲凛が案内にあたる。涼景はぎりぎりまで背後の兵たちを牽制しつつ、それに続いた。  玲家の母屋は、庭の狂乱とは無縁に、不気味に静まっていた。先刻、涼景が玲芳に謁見した部屋に人気はなく、また、誰かの痕跡も残されていない。 「母上……」  玲凛が低くつぶやく。玲格が玲芳に対して強い執着を抱いていたことを、玲凛は懸念した。ふと、涼景が何かに気づいたように目を見張る。 「匂いが……?」  涼景は空気を探った。 「この匂い、どこからだ?」 「え?」  玲凛も鼻を利かせた。  甘いようでもあり、粘膜を強く刺激するようでもある。犀遠が意味ありげに涼景と目配せし、わずかに困惑を浮かべた。 「こちらからだな」  犀遠は上座の椅子の後ろに立つと、壁を探り、強く押した。壁の一部が回転して、道を開ける。 「隠し通路?」  玲凛も知らなかったと見えて、警戒する。まとわりつくような匂いは、通路の奥から漂ってくるようだった。 「気をつけろ。薬香だぞ」  涼景が苦々しい口調で言った。宮中ではとかく、よからぬ場所で嗅ぐ匂いである。 「薬香って?」  涼景は玲凛をちらりと見て、黙って首を振った。若い娘に説明するには、時間がなさすぎる。涼景は懐から丸薬を取り出すと、玲凛に渡した。 「噛まずに口に含んでいろ」 「これ、なに?」  玲凛が眉をひそめる。 「……眠気覚ましだ」  犀遠も涼景から受け取り、無造作に口に放り込む。それを見て信用したのか、玲凛は恐る恐る、黒く小指の先ほどの丸薬を含んだ。スッと鼻に抜ける冷たい匂いがする。どうやら、自分には言えない事情がありそうである。  三人は涼景を先頭に、通路を進んだ。明かり取りの窓もない。通路の足元に弱々しい油灯の火が揺れている。床に油の溝が整備されており、所々に灯芯が設置されているらしい。  玲家は代々、川の多い土地を支配してきただけあって、治水や引水の技術力が高い。この仕掛けも、それを応用したものだろう。  薄暗いが、できる限り足早に奥へ進む。匂いが次第と濃くなってゆく。玲凛は着物の袖で鼻を押さえた。次第とくらくらと世界が回り始める。涼景の丸薬のおかげで香は弱められているが、それでも呼吸を浅くし、少しでも吸わない配慮が必要だった。  暗さに目が慣れてくると、廊下の先に、ぼんやりと明るい空間が見える。母屋の構造と重ね合わせると、ちょうど正殿の裏といったところか。  目的地が明確になり、自然と駆け足になっていく。通路を抜けると、広い部屋が目の前に現れた。その様子に、みな、言葉を失った。

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