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山茶花の幻影 2頁目
そんなわけでかぐや姫が地球で五人の公達を困らせていたその頃……。
アルテミスでは薫香 の君という貴族が、今まさに愛する女性へ求婚しようとしていた。相手は太政大臣の末娘・桜桃 姫。生まれた時から既に許婚という間柄ではあっるが、形式上贈り物はしないといけない。
桜桃姫は許婚のためになるべく易しい試練を与えようとしたが、薫香 の君がそれを許さなかった。
「あなたは太政大臣様の大切な姫君。夫として相応しいと認めてもらうために、どうか厳しい試練をお与えください。必ず乗り越え、あなたに求婚します。」
薫香 の君の勇敢さに、桜桃 姫だけでなく、母である太政大臣までもが大喜びだった。この者はきっと姫の良き夫となるだろう。普通の試練では物足りない。特別な珍物を持って来させよう。
そんな彼に与えられた試練は……黄金に輝く海の底で百年に一度生み出されるという金真珠を手に入れること。
薫香 の君はすぐに金真珠探しの旅に出た。これから薫香 の君の武勇伝が始まるわけだが……。
「いいか! 何が何でも薫香 様の御身に傷をつけるな!」
「何をモタモタしている! さっさと仕留めないか!」
薫香 の君に仕える舎人 のガラスへ、先輩方からの理不尽な怒号が飛ぶ。
(なぜ私が戦っているのか……薫香 様が試練を乗り越えないと意味ないのでは?)
心の中で舌打ちしながら、ガラスは牛車の中の主人はチラッと視線を向ける。
桜桃 姫や太政大臣の前で見せていた勇敢な姿はどこへやら、武勇伝の主人公となるべき薫香 の君は牛車の中で怯えきっていた。
こんな口先だけのやつに仕えるなんて勘弁してほしいと、ガラスは頭を抱えたくなる。
(しかも先輩方は、私ばかり前線に立たせようとしてる。絶対にわざとだ)
牛車の周りに立つ舎人 の先輩方は、口で命令するばかりで、ガラスのように妖獣へ立ち向かおうとしない。
「ガラス! 右だ!」
「さっさとそいつを切り落とせ!」
「こんなに時間がかかるなんて、お前の刀は何のためにある!?」
(チッ……それはこっちのセリフだ)
敵の妖獣の名はレンジシ。巨大な白猫が長髪のカツラを被っているような見た目だが、厄介なのは毛量の多いそのタテガミである。
レンジシはタテガミを振り乱し、ガラスへ攻撃を仕掛けてくる。見た目は絹のように柔らかそうなタテガミだが、その毛先には鋭い毒針がついていて、鎧を付けていないガラスが毒針に刺されれば即死だろう。
(こういう敵には、鎧を持ってる金持ちの先輩方がどうにかして欲しいものだ。全く……)
ガラスはうっかりタテガミを切り落とさないように注意しながら、頭の中で妖獣図巻の内容を必死に思い出そうとした。
(レンジシが載っていたのは確か第百二巻。赤いタテガミは子ジシで、絶対にタテガミを切り落としてはいけなくて……弱点は……)
「何を逃げ惑っている! さっさとその厄介な赤毛を切り落とせばいいだろ!」
レンジシの生態を知らない先輩方の煽りに、ガラスは、心の中で再び舌打ちする。
「レンジシの毛を切り落とすのは自殺行為です! どなたかこいつの弱点について覚えのある方はいませんか?」
呼びかけたところでガラスより勤勉な舎人がいた覚えはない。ガラスが弱点を思い出さない限り、ずっとタテガミに狙われ続ける羽目になるだろう。
(さっさと思い出せ。胴体は皮が分厚くて刀が折れるし、手足でもなくて……あぁ、どうしてもっとちゃんと読んでおかなかったのだろう)
アルテミスには千を超える妖獣が生息している。どんなに妖獣図巻を読み込んでも全てを覚えることは難しいのだが、ガラスは完璧に立ち回れない今の自分にどうしようもなく苛立っていた。
(とりあえず薫香 様から遠ざけるべきだよな。攻撃も刀を抜いた私に集中しているし、レンジシを引きつけたまま森の奥へ……)
今できる最善の策を練るしかない。ガラスが覚悟を決めた、その時……。
シュッ!
ガラスの背後で風を切る音がした。それがレンジシを狙う矢だと気づいたガラスは、すぐに絶望した。
(誰だ! 余計なことをした奴は!)
矢はガラスの真横を通過し、レンジシのタテガミに命中する。すっぱり綺麗に切り落とされ、出家した女性のような髪型になったレンジシは、苦しそうに咆哮する。さらに切られたタテガミからは透明な液体が吹き出した。
「うっ、苦ッ……!」
ガラスは液体を正面から浴びてしまう。少し口に入っただけで、渋柿のような味が広がるし、後ろで結っていた髪にもべっとりネバネバしたものがこびりつく。毛先の毒とは違う一応人体には無害な液体なことだけが幸いだった。
「ガラス、だ、大丈夫!?」
「心配するなら、なぜ矢を放ったんですか! ワラの兄貴!」
矢羽の色で、ガラスはそれが誰の矢なのか分かっていた。意地悪な先輩が多い中で、唯一ガラスの面倒を見てくれる先輩がワラだが、今はその親切心が仇となっている。
(ワラの兄貴、たまにそそっかしいところがあるからな)
「で、でも、私の矢のおかげでレンジシは随分苦しそうだし……」
「それがいけないのです! レンジシは数多の妖獣の中でも親子の結びつきが強い。子ジシの苦しそうな鳴き声を聞いた親ジシは、次にどんな行動を取ると思います?」
ガラスが最後まで説明する必要もなく……ドスン、ドスンと大地を踏みしだくような重い足音が近づいてくる。
「まさか……これは親ジシの足音か!?」
舎人たちがざわざわし始めると、薫香 の君が牛車の簾をシャッと開けた。鎧を身に着け、立派な兜まで被っているというのに、この公達は不安で顔を青くさせ、ガタガタ震えている。
「い、いいいいいつまで我を待たせる気だ! さっさと退治せぬか!!」
(あんた、よく求婚しようと思ったよな。レンジシ1匹倒せないくせに……ろくに剣術の稽古せず遊んでばかりだからこうなるんだ。)
自分が仕える主人であっても、つい心の中で悪態をつかずにはいられない。
「ガラス、ど、どどどどうしよう!?」
ワラの顔色は薫香 の君と良い勝負である。萎えた草の葉のように青ざめながら、ワラはガラスの着物の裾を引っ張った。
「親ジシってことはもっと巨大なんだよね!? そんなのどうやって倒すの!?」
(ワラの兄貴。それはこっちが聞きたいよ!)
薫香 の君に仕える舎人の中で、ガラスの刀の腕前はずば抜けている。だが、彼は自分の実力を過信してはいなかった。誰かが助太刀してくれれば何とかなりそうだが、1人で巨大な親ジシを倒せる自信なんてない。
(こうなったら仕方ない)
腹を括ったガラスは、顔にかかった液体を左手で拭い、刀を持つ右手に意識を集中させる。
(まだ旅の序盤だしダルは温存しておきたかったんだけど……)
ムン人にとってダルは、敵を攻撃するのに便利な魔力だが、無限に使えるわけではない。一度消耗したら瞑想して再び補わないといけないし、男性は身体の構造上、女性よりもダルを蓄えるのに時間がかかる。だからこそ刀を修練して、武力で戦うことを選ぶ者が多いのだが……。
「グォォォォー!」
ついに獰猛な鳴き声と共に親ジシが姿を表した。体長は近くの木々を越えるほどで、白く立派なタテガミも子ジシの倍以上の長さがある。赤い瞳には殺気が宿り、ガラスだけを見下ろしていた。
(子ジシの液体を浴びている私だけが敵と見なされているんだな。ちょうどいい。このまま引きつけて、一気に倒すぞ。)
身体中のダルが右手に集まりきり、今度は愛刀の山茶花丸 に力を込める。すぐに花びらを散らしたような丁子乱 の刃紋が輝き出し、ダルと刀が一体化すると、ガラスはこちらへ襲い掛かってくる親ジシに向かって一気に切り込んだ。
「ハッ!」
一刀両断とはまさしくこのこと。光の刃によって、親ジシの身体は真っ二つに切り裂かれた。あまりに素早い動きだったので、その場にいた全員が呆気に取られる。
「さすがガラス! すごいよ! 退治できたんだね!」
ワラだけが喜びの声を上げるが、簾の向こうにいる薫香 の君は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「フンッ、私に仕える舎人なら、このくらい倒せて当然だろ」
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