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第2章 (4)

「ど、してそんな、ひどいこと……」 「莉音」  恋人の気遣うような声に、口唇(くちびる)がふるえた。  ヴィンセントの婚約者と称する女性が現れたとき、(けが)らわしい関係だと罵られたことがあった。好きな人に婚約者がいたという事実に打ちのめされはしたものの、汚らわしいと言われたこと自体に気持ちが揺らぐことはなかった。けれど、祖父のいまの言葉は違う。  祖父は、自分のこともヴィンセントのことも、それなりに知っているはずだった。自分たちがどんなふうに暮らしているのかも、その目で見てきた。それなのに、その関係を認められないというただそれだけの理由で、自分たちが(はぐく)んできた気持ちを否定し、ヴィンセントの人間性すら否定して嫌悪を露わにしたのだ。 「僕のことはなんて言われてもいい。でも、アルフさんのことは悪く言わないで!」 「なんやと?」 「莉音、それ以上はいけない」  ヴィンセントが押しとどめるように片手を莉音のまえに出した。そのうえで祖父に向かって深々と頭を下げる。 「アルフさんっ」 「武造さん、私からもあらためてお詫びします。大切なお孫さんとの件、黙っていたことも含めて、お怒りもごもっともだと思います。ですが決して、武造さんたちを軽んじていたわけでも、ましてや莉音を(もてあそ)んだわけでもありません。我々は真剣に想い合っていて、生涯をともにしていきたいと考えています。どうかそのことだけは、理解していただけないでしょうか」 「いまさら、なに言うたところではじまらん。親切面しち、ずっと儂らぅだまくらかしちょいて、いまさら信じちくれもなんもなかろうが。あんたんこたあ、金輪際信用できん」 「おじいちゃんっ!」  祖父に向かって頭を下げつづけるヴィンセントの腕に、莉音は縋った。 「アルフさんはなにも悪くないです。僕が言わなかったんだから。でも、言ってもどうせわかってもらえなかった。こんなふうにひどい言葉を投げつけられて、いままでのこともぜんぶ、なかったことみたいに否定されて」 「莉音、いけない」 「僕の大切な人のこと、悪く言わないで。これ以上アルフさんにひどいこと言うなら、僕、一生おじいちゃんのこと許さないから!」  シンと静まりかえった室内。  言い切った途端に目頭が熱くなって、涙が滲んだ。  ――莉音、よかったね、いい人に出逢えて。幸せになりな……。  夢の中の母の言葉が甦る。  やはりあれは、自分に都合のいい願望でしかなかったのかもしれない。  現実ではどんなに心から想い合っていても、『普通』の枠からはみ出る自分たちは異端と見做(みな)される。自分たちのことを唯一知っている早瀬夫妻が好意的であったことで、いつか祖父母にも本当のことを打ち明けて、認めてもらえる日が来るのではないかと期待してしまった。だが、そう甘い話ではなかったようだ。  もし両親が生きていたら、やはりおなじように頭ごなしに否定され、反対されたのだろうか。そのことで自分がなにかを言われるのはしかたない。けれど、そのせいで大切な人が()(ざま)に罵られ、批難されるのは我慢できなかった。 「莉音、おまっ、おまえ、なんちゅう……っ。こげな、こげなこつっ」  顔を真っ赤にしたまま、祖父はそれ以上言葉にならない。ふと気配を感じて目線を移せば、部屋の入り口に祖母の姿があった。 「おばあ、ちゃ……」 「莉音ちゃん、お父さん、どげえしたん? 怒鳴り合うちょったんごたるけんど、なんかあったん?」  部屋を出たまま、なかなか戻らない祖父を心配して起きてきたのだろう。 「あの、これは――」 「どげえしたもこげなもあるか! 君恵(きみえ)、儂らはこん男にだまくらかされとったんじゃ」 「おじいちゃんっ、だから違うんだってばっ!」  莉音は必死にくいさがったが、祖父は聞く耳を持たなかった。

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