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第7章 第1話(2)

 あらためてふたりきりになって、莉音は傍らに立つヴィンセントを見上げる。  ひと月ぶりに見る、恋人の姿。  だがまだ、彼がこの場にいることが信じられなかった。 「アルフさん、あの、どうしてここが?」  尋ねると、青い瞳がやわらかくなごんだ。 「武造さんに教えてもらった」 「おじいちゃん、に?」  では彼は、先に武造の許を訪ねたということか。思った瞬間にハッとして、殴られた痕がないかを思わず確認してしまう。気づいたヴィンセントが、大丈夫だと笑った。 「莉音、心配しなくていい。武造さんはちゃんと私の訪問を受け容れて、莉音がここにいることを教えてくれた」 「あの、大丈夫でしたか? おじいちゃん、またアルフさんに失礼なことは――」 「大丈夫。なんの問題もない。そうなるように、莉音がきちんとおふたりに話してくれたのだろう?」  言われてようやく、ああそうか、とホッとした。 「莉音、メッセージをありがとう。すぐに返信できなくてすまない。ちょうど飛行機が離陸する寸前だったんだ」 「え? 飛行機? お仕事、ですか?」 「そうではないんだが、その、所用でアメリカに行っていて、日本に戻るところだった」 「あ、そうだったんですね」  そうか、そういうことだったのかと一気に安堵がひろがった。  それならば返信がなかったのも頷ける。 「よかった。僕、アルフさんになにかあったんじゃないかって、急に不安になっちゃって」  言った途端に涙がこみあげてきた。  そうだ、母も元気だった。朝、いつもどおりに仕事に出かけていって、自分も学校に行って、お互い、いつもとおなじように帰宅するはずだった。  とくになにか予定があったわけでなく、いつもと変わらぬ日常を送れるものと信じて疑いもしなかった。だが結局、母は帰らぬ人となり、自分もまた、受け容れがたい現実に放りこまれることとなった。  平穏な日常はある日突然、崩れ去るし、いま目の前にいる人だって、次の瞬間にはいなくなってしまうかもしれない。  自分はそのことを、嫌というほど思い知らされたばかりだというのに……。 「莉音、大丈夫だ。私はここにいる」  莉音の目もとを拭ったヴィンセントは、そっとその躰を抱きしめた。 「不安な思いをさせてしまってすまなかった。あとできちんと、すべて説明する」  会えなかったあいだのことも含めて、話をしようというヴィンセントの言葉に、莉音はひろい胸に身を預けながら頷いた。 「メッセージ、嬉しかった。だからいても立ってもいられず、こうして飛んできてしまった。今朝羽田に着いて、迎えに来てくれた宗一郎に仕事も荷物も、全部まる投げにして」  ヴィンセントは笑った。莉音も、その場面を想像して笑ってしまう。 「早瀬さん、びっくりしたでしょうね」 「ああ。あとでどんなお叱言(こごと)が待っているかと思うと、いまから憂鬱だ」  本当に憂鬱そうに嘆息するヴィンセントの腕の中で、莉音はクスクスと笑った。 「だが、おかげでこうして莉音と会えた。莉音、会えて嬉しい。元気そうでよかった」  あたたかな手に両頬を包まれて、顔を覗きこまれる。 「僕も会いたかったです。ずっと寂しかった。ごめんなさい、家を飛び出したのは自分なのに……」 「そうさせてしまったのは私だ」  言って、ヴィンセントは莉音の額に口づけた。 「莉音、あとでゆっくり話そう。だがいまは、会場に戻らなくては。莉音のために開いてくれた打ち上げなのだろう?」  ヴィンセントの言葉に莉音は頷いた。それでも離れがたくて、つい躊躇(ためら)ってしまう。  気づいたヴィンセントが、自分から身を離して穏やかに笑んだ。 「行っておいで。終わるまで、車で待っているから」  ヴィンセントに送り出されて、莉音は会場に戻ることにした。たしかに、このまま帰ってしまうわけにはいかない。  (きびす)を返しかけ、足を止めた莉音は振り返った。 「アルフさん、来てくれてありがとうございました!」  こみあげる喜び。  ヴィンセントはわずかに目を瞠る。だがほどなく、その口許にやわらかな笑みがひろがっていった。

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