54 / 90

第7章 第3話(4)

「もともとはね、うちのホテルで働いてた人だったの。それでたまたま父と食事をしたときにこれを食べて、すごい衝撃を受けちゃって。そこからはもう、押して押して押しまくって、やっとのことで付き合ってもらえたってわけ」  あとで紹介するわね、と茉梨花は嬉しそうに言った。 「最初はほんと、まったく相手にもしてもらえなかったのよ? どれだけ言っても本気にしてもらえなくて、何度も断られて」 「茉梨花さんみたいな方でも、そんなことってあるんですね」  驚く莉音に、あるわよぉ!と茉梨花は不満そうに言った。 「見た目も派手で仕事も特殊で家もお金持ちでっていう、一見いいことずくめに思えるステータスも、場合によっては邪魔な付属物だったりするのよ。そういった肩書のせいで、ありのままの自分を見てもらえないことも多いから」  たしかに、そのとおりなのかもしれない。  ヴィンセントもまた、その容姿や地位、財力を目当てに近づいてくる人間が引きも切らないという話を以前、早瀬がしていた。そして自分は、出逢った時点でもし彼の素性を知っていたなら、おそらく距離を取って近づくことはなかっただろう。 「地位や名声って人を量る指標になるけど、あたしたちみたいにわかりやすいと、そのぶん人間関係にも影響が出やすくてトラブルになりやすい。だから相手を見定めるのに、より慎重になる。打算抜きで付き合える人間なんて、ごくわずかよ。ましてや恋愛なんて」  茉梨花は冷めた表情で肩を竦めた。  人物を見定める目を磨き、壁を作って自衛しなければ利用される。そういう環境下で育まれたシビアな対人スキル。  出逢った当初、ヴィンセントには気難しい一面があると早瀬から聞いていた。けれども彼は、最初から自分に対して心を開き、親愛を示してくれた。その優しさに触れ、抱いた好意が別の種類の感情に変わるのに、時間はかからなかった。 「本当は父は、あたしをアルフと結婚させたかったらしいの。彼をとても気に入っていたから」  茉梨花の言葉に莉音はハッとした。だが、茉梨花の眼差しに揺らぎはなかった。 「だけどあたしは、彼と出逢ってしまった。そしてアルフもあなたと出逢った。余計な色眼鏡越しではなく、ありのままの自分と向き合ってくれる、かけがえのない存在と……」  自分を見つめる瞳が言っている。出逢った相手だけが、唯一無二なのだと。 「喧嘩、はじめてだったんでしょう?」  訊かれて、自分が家を飛び出した一件のことを言われているのだと、数テンポ遅れて気がついた。 「あ、えっと……、はい……」 「日頃から沈着冷静で、なにごとにも完璧に見えるアルフにだって欠点はあるし、間違うことだってある。その犯した間違いによってあなたを喪うことになるかもしれない。アルフが思い悩む気持ちがあたしにはよくわかった。だって、ただひとりをこれほどまで強く求めることなんて、この先二度とない。あたしにとっての彼がそうであるように、アルフにとってのあなたもそういう存在。だからあたしがふたりのために、どうにかしてあげなきゃって思っちゃったのよね」  まあ、余計なお節介なんだけどと茉梨花は笑った。

ともだちにシェアしよう!