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第9章 第2話(1)
そこからの時間はあっというまだった。
茉梨花が手配してくれたカメラマンは、彼女の仕事繋がりの専門家だったらしく、慣れた様子でさまざまなポージングや表情を指示してシャッターを押していく。今日のために美しく飾られた店内や窓ぎわ、庭先など、どんどん場所を変えて撮影している最中に祖父母も到着して、早瀬家を交えた親族写真なども撮り、そこに茉梨花や桂木、スタッフたちも加わって賑やかな撮影会となった。
昨日、内輪だけの簡単なお祝いであることをヴィンセントの口から説明してもらったにもかかわらず、祖父はモーニングを着用し、祖母は黒留袖 で会場に来てくれた。両親にかわって孫の晴れの席に臨むのだから、正装をするのは当然だと言って。
衣装も着付けも、たった半日で準備するのは、どれだけ大変だっただろうと莉音は胸がいっぱいになった。
祖母が父と母の写真も持ってきてくれたことで、親族写真の中に両親を加えることもできた。
「莉音ちゃん、ほんとによかったねぇ。しんけん素敵ちゃ。ほんとに立派やわ」
莉音の晴れ姿を目にしてからずっと、祖母は泣きどおしだった。嬉しさと同時に、父と母にも見せてやりたかったという思いが溢れてしまうのだろう。その横で祖父もまた、両親の写真を手に、目を赤くしてグッと黙りこんでいる。だが、傍らに控えているヴィンセントと目が合うと、わずかに頭を下げて「ありがとう」と低く言った。
莉音もふたりの様子にもらい泣きしそうになって、堪 えるのに苦労した。
「おばあちゃん、もう泣かないで。カメラマンさんが今日一日いろんな動画や写真を撮って、アルバムにしてくれるんだって。この調子だとおばあちゃん、ずっと泣いてる顔になっちゃうよ?」
せっかくだからいっぱい笑って、いい写真をたくさん撮ってもらおうという莉音の提案に、祖母はなおも涙ぐみながらそうねと同意した。
「皆さん、暑い中での撮影、大変お疲れさまでした。お食事の用意が調 いましたので、会場のほうへ移動してください」
店のオーナーである桂木の呼びかけで、皆、ホッと息をついて冷房の効いた店内へと移っていく。全員での集合写真撮影のため庭先に移動していたが、夏の陽射しは強烈で、短い時間でも汗が噴き出していた。
店内に入ったところで、ヘアメイクの担当である綾子にちょっと直しましょうと声をかけられ、莉音はヴィンセントともに二階へ移動した。ふたり一緒に莉音が着替えをした部屋に通され、冷やした濡れタオルを手渡される。額や首筋に浮いた汗をそれに吸わせて肌を冷やし、汗が引いてきたところでメイクを直してもらった。
「僕、今日、生まれてはじめてメイクってしたんですけど、女の人って大変ですね。普段からこんなふうに、ちょっと汗かいたりするたびに、お化粧直しとかマメにしないといけないなんて」
莉音が言うと、綾子はおかしそうにクスクスと笑った。
「そうですよ~、世の女性たちは皆、己の美しさと可愛さを最上のかたちで保つために、つねに細心の注意を払ってるんです。とはいえ、いまは質の高いウォータープルーフの下地やファンデーションも出まわってますからね。ちょっとぐらいの汗ではそうそう崩れないですけど」
崩れないと言いつつ直されていることに戸惑ったことが伝わったのだろう。綾子は手を動かしながら、「でも今日は特別ですから」ときっぱりと言った。
「本当はおふたりとも、メイクなんて必要がないくらい土台が整ってらっしゃるんですけどね。それでも一生にたった一度の大切な日ですもの。このあともいちばんいい状態でカメラにおさまっていただかないと」
レンズ越しでもきれいに写るようにしておきますからね、と言われて、莉音はありがとうございますと素直に感謝した。ちょうどそこへ、茉梨花がやってきた。
「綾子、ハニーちゃんのお直し、そろそろ大丈夫かしら? お客様が見えてるから、ちょっと顔出してほしいんだけど」
「お客さん……? 僕に、ですか?」
思いがけない言葉にきょとんとする莉音と目が合うと、茉梨花は支度できたらちょっときて、と手招きをした。
「ちょうど終わったところですから、行っていただいて大丈夫ですよ」
綾子に言われて、莉音は戸惑いながらヴィンセントを顧みる。
「私もすぐに行く。先に行っていてくれ」
ヴィンセントにうながされ、腑に落ちないまま莉音は立ち上がった。
身内や茉梨花たち以外で、今日のことを知っている人間はいないはずである。自分が『Un Départ 』にいることを知っていて、わざわざ訪ねてくる人物にまったく心当たりがなかった。
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