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第10章 第1話(2)
『だけど、あらためてくわしく事情を聞いて、わたしはとても嬉しかった。せっかく容姿にも恵まれているというのに、あなたときたら仕事にしか関心がなくて、これまで浮いた話ひとつなかったでしょう? そんなあなたが、そこまで真剣に想える相手とめぐり逢えたのだもの。それがどんな人であろうと、わたしには反対する理由なんてひとつもなかったわ。でもね』
そう言ってヘレナは言葉を区切り、カメラ越しの息子と向き合うようにまっすぐな眼差しを向けた。
『わたしは母親だから、あなたがどんな人間なのかよくわかっているし、そのあなたが選んだ人なら間違いがないと、なんの疑いもなく信じることができる。だけどお相手のお身内は、そうではないでしょう? お孫さんのことを大切に思っていればなおのこと、その関係を認められないのは当然よ。むしろ至極まっとうで、常識的な反応だと思うわ。わたしだってあなたが十代 の少年で、うんと年の離れた外国人と恋仲になった、なんてことになったら絶対に許さなかったはずだもの。いいように遊ばれて騙されているんじゃないか。まずはそこを疑うはずだわ』
ヘレナは断言した。
『愛する我が子を守るために、どうしても保守的になる。親というのは、そういうものよ。だからアルフ、誠意を見せなさい。莉音のお祖父さまとお祖母様にまっすぐ向き合って、真心を尽くしなさい。大丈夫、あなたはわたしの自慢の息子ですもの。きっとおふたりにも、あなたの莉音を想う気持ちが伝わって、認めていただけるはずよ』
ヴィンセントとおなじ、宝石のようにあざやかな青い瞳がやわらかくなごむ。
『アルフレッド、わたしの愛する息子、あなたの幸せを心から願っているわ。それから莉音、わたしの息子と出逢ってくれてありがとう。年若いあなたから見た息子は、ひょっとしたらだれよりも頼れる、完璧な大人の男性と映るかもしれないわね。だけど実際は、融通が利かなくなるほど真面目で、不器用な一面を持ち合わせたところがある子なの。頭の回転が速くて、なんでも一瞬で見通してしまうせいで、言葉が足りないこともしょっちゅうよ。それからあまり感情表現が得意ではないせいで誤解されがちだけど、その本質はとても愛情深くて優しい。だからそんな、息子の良いところも悪いところも含めて愛してあげてくれると嬉しいわ』
もちろん悪いところや間違っているところがあれば遠慮なく叱ってやって、と付け加えた。
『日本人は目上の人間に対して礼節を重んじる傾向があるようだけれど、あなたがたは恋人同士としてどこまでも対等な関係なのだから、年下であることを理由に遠慮する必要なんてまったくないの。莉音、どうか息子のことをお願いね。ふたりの末永い幸せを、心から祈っているわ。今度はぜひ、アルフとふたりでアメリカに来てちょうだいね。あなたに会える日を、心待ちにしてるわ。そして最後に、武造さん、君恵さん』
ヘレナはそこで居ずまいを正すと深々と頭を下げた。
『大事なお孫さんの件で、わたしの息子がおふたりに多大なご心労をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。まだまだ至らないところのある子ですけれど、生涯かけてお孫さんを愛し抜くという決意は本物です。世間体や将来への不安もあるかと思いますが、どうか息子の想いに免じて、その覚悟を示すチャンスを与えてやっていただけないでしょうか。おふたりを裏切ることは決してないと、母親のわたしが保証します。勝手なお願いですが、ともにふたりの幸せを祈らせていただければと思います』
我が子を想う母の心に打たれ、会場内は涙に包まれた。
莉音の目もとをハンカチで拭ってくれたヴィンセントの目にも、うっすらと光るものがあった。
互いに視線を見交わして、照れくささにこっそりと笑いあう。そのやりとりに気づいた茉梨花が、すかさずそれをネタにしてひやかした。皆の注意がたちまち主役のふたりに向けられ、莉音は恥ずかしさのあまり真っ赤になった。だがヴィンセントは、平然と開きなおって莉音への溺愛を隠そうともしないので余計にイジられてしまい、しんみりした雰囲気は、あっというまに賑やかな笑いへと取って代わった。
テーブル席のいちばん手前には父と母の席も用意されていて、その席の隣で、祖父も祖母も、ずっと嬉しそうに笑っていた。
浴槽の縁 に両腕をついて左手の薬指を眺めたまま、莉音はそれらの出来事を思い返す。その口許に、やわらかな笑みがひろがっていった。
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