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第6話 ※暴力、嘔吐注意
片桐先輩に振り回される夏休みも終わり、新学期が始まった。中学校時代が不登校だったため、長期の休み明けを久々に体験したが……こんなにだるいものは他に存在しないだろう。
「朝倉おはー。どしたん、そんなだるそうな顔して 」
「夏休みもうちょい遅くに起きてたから眠くて……」
「あーちょっとわかるかも 」
確かに友人も少し眠そうだ。こんなので始業式を起きたまま過ごせるのだろうか。
「流石に今日は片桐先輩来ないな。いつも『春樹〜』 って来んのに 」
「寝てるんじゃない?」
もしくは、やっと飽きたのだろう。三度こちらの家で映画を見ようとして三度とも15分で飽きた人だ。夏休み中会いすぎて飽きられたに違いない。
……なんて考えているとメッセージが来た。相手は片桐先輩で……
『出かけてんの?』
「…………マジかこの人 」
友人の「え?何?」という声をよそに『今日から登校ですよ』と返信した。すると数秒後に『んじゃマックド行っとくから終わったら来て』と返事が来た。
「片桐先輩今日来ないって 」
不思議がる友人にこの画面を見せると、彼は苦笑いして「片桐先輩ぽいわ」と呟いた。
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始業式もホームルームも終わり、昼前に放課後。クラス全員でカラオケ行こうぜと誘われたが、片桐先輩に呼び出されてると言うと「あーね」と納得された。おれだってカラオケ行きたいよ。また別の機会にってことになったけど。
あぢー……と照りつける日光の下、駅前のマックドに向かう途中。片桐先輩にまだ居るのか聞こうとスマホを開いたところ……
「あれ、朝倉?」
……背後から呼ばれた声に体が固まってしまった。
どくどくと心臓が激しく動き、明らかに暑さのせいでない汗がだらだらと出てくる。振り向くか、どこかに逃げればいいのに足がすくんで動けない。足音はどんどん近づいて来る。
「やっぱ朝倉じゃーん!久しぶり!」
「つか高校行ってたんだ。不登校だったのに 」
「急に来なくなって心配したんだよ、俺たち。お前が居なくて退屈だったしな 」
中学の頃の同級生に肩を組まれ、周りを囲まれて逃げることができなくなった。とっくにスリープされたスマホを持つ手も震える。『遊び』に誘われた時のことを思い出して一気に体が重くなった。
「なあ。久々に会ったし今から遊ぼうぜ 」
「……お、おれ、」
「は?何、嫌なの?」
ぐっと肩を組まれた腕に力が込められ、首が締まるような気がした。黙り込むおれに別の同級生は「まあまあ」と宥めながらこちらの手首を掴む。
「朝倉、恥ずかしがり屋じゃん。久々に会えて言葉出なかったんでしょ 」
「こんなメッシュ入れてるくせになー。え、てかピアスの数やば。何個空いてんの?」
「とにかく行こう。暑いし 」
「……だな 」
手を引かれ、行きたくないのに足は勝手にそっちに向かう。『大丈夫』『耐えられる』と考えても、『そんなわけない』と頭の中でリタイアしかけた自分が打ち消してくる。
やめて、助けてなんて言えるはずもなく、ただ黙って連れて行かれる方に歩みを進めた。
「なぁ、今日何して遊ぶ?」
「やっぱ腹パンゲームからっしょ。朝倉も一番好きなやつだし 」
「いーね。中学ん頃は5回だったけど、俺らもう高校生だし10回にしねえ?どうよ朝倉。いけんだろ?」
確認のはずなのに拒否の言葉が出てこない。「いいよ」と、自分でもわかるほど震えた声で応えると同級生はそれはそれは愉快そうに笑い声を上げた。
+
「んじゃ3回目、せ〜のっ!」
成長期を終え、中学よりも重くなった拳が腹に吸い込まれる。一度目の衝撃からズキズキと痛み、吐きそうだったそこをもう二度も殴られて口の中が何度も酸っぱくなった。その場にへなへなと座り込み、吐くと回数が増えるため迫り上がってくるものを飲み込んでどうにか耐える。上手く呼吸が出来ないような気がして、なのに目の前はちかちかと光っていて前を向けない。
「あ〜……やっぱいいわそういうの。すげーシコい 」
「マジでお前どんな趣味してんの?」
「こいつ前からそうじゃん。……朝倉、お前泣いてんの?これゲームだろ、俺らがいじめてるみたいじゃんか 」
ぐいっと前髪を掴んで持ち上げられ無理やり前を向かされる。ふー、ふー、と閉じた口から漏れる息が気に入らなかったのか、バシッと頬を張られた。
「なんか腹立つから5回追加な。ほら立てよ 」
立てないでいると仕方ないと言いたげに他の二人が無理やり立たせてきた。腹がずきずきと痛んで背中を伸ばせない。耳が詰まる感じがして声も聞き取りにくい。4回目が来ると目をギュッと瞑ったが……いつまで経っても衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると———
「何やってんのお前ら 」
片桐先輩が同級生の手首を掴んで止めていた。
「……何あんた。朝倉の知り合い?」
「そ、春樹の先輩。随分楽しそうな遊びしてんだなぁ。俺も参加するわ 」
「は?なんっ……!?」
ドスッと鈍い音が聞こえ、直後に吐く時の声とびちゃびちゃと水音がした。つんとした酸っぱいにおいにギリギリだったこちらも釣られそうになる。
「え、お前吐いたの?春樹は耐えてんのに 」
「な……なんなんだよお前!勝手に入ってきて……!」
「お前らが春樹連れてこんなとこ来るからだ……あれ、なんかお前の顔どっかで……?」
片桐先輩は吐いてる同級生を放置し、こちらに近付いてくる。右腕を持って立たせてくる同級生をじっと見て……「あ」と気付いたように声を上げた。
「下請けんとこの息子じゃーん。ほんとどうでもいいから忘れてたわ 」
そう告げると同級生はパッと手を離して『やらかした』というように「あ……」と声を発した。パッと腕が離れて、もう片方も『やばい』というように手を離す。
「『それ』連れてどっか行けよ。んで、もう二度と春樹の前に現れんな 」
そう告げても動かない同級生に片桐先輩は「聞こえなかった?」と圧をかけるように聞き返し、全員その場から去っていった。
「……せん、ぱ……ぃ」
安心したからか意識が遠のく。かくんと膝が折れ、コンクリートの地面にぶつかる衝撃を覚悟したが、柔らかいものにぶつかるのを感じて目の前が真っ暗になった。
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そして次に目を開けると、知らない天井が視界に映った。どこだろうと考えながらぼーっと天井を見上げ……少しすると扉の開く音がした。
「……春樹、お前……」
「片桐、先輩……あの、ここどこっ……!?」
起き上がろうとして鋭い腹の痛みに動きが止まった。
「起きなくていいから。アザすごいし肋骨折れてるって 」
「うっそだろ……。はぁ……ところで、ここどこですか?」
「病院。倒れたしすげーやばそうだったから救急車呼んだ 」
「そんな大袈裟な……」
「殴られといて何が大袈裟なんだよ 」
苛立ちを抑えるような声で問いかけられて答えに詰まった。……おれがもうちょっと耐えられていたら、この人はこんなに怒らなくて済んだのだろうか。
「なあ春樹……あー……いや、なんでもねえわ……」
「何ですか 」
「なんでもない。……ごめんな、本当 」
「なんで謝るんですか…… 」
謝られる理由がわからなくて、看護師さんが来るまで微妙な雰囲気のまま二人で居ることになった。帰る時も、いつもと同じはずなのに片桐先輩はどこかおれに気を遣っている様子で、軽口すらも重く取られてしまって、二学期初日だというのに少し嫌だった。
+
次の日、痛み止めを飲んで登校するべく外に出ると片桐先輩に出待ちされていた。
「はよ、春樹。荷物持つわ 」
「おはようございます。……あの、おれ自分で持ちますよ 」
「いいから。骨折れてんだから無理すんな 」
やはり朝だからか片桐先輩の元気がない。荷物を持ってもらって歩いている時もいつもより歩くスピードが遅いし、学校にいる時なんて鬱陶しいくらい話しかけてくるのに全然話しかけてこない。この人こんなに静かになれたんだと驚くくらいだ。
「あの、片桐先輩。昨日はありがとうございました。助けてくれたりとか、救急車とか 」
「……そりゃ、殴られてんの見たら助けるだろ 」
「それでもありがたかったんです。おれ、多分あの後ずっと動けなくなってましたから 」
「……そうだな 」
何かテンポが遅いような……。この後も会話を続けてはいたが、片桐先輩はどこか考えてから答えを出しているような感じで、会話に違和感を感じた。
+
「……って感じなんだけど 」
「いや、それ俺らに相談されても……ていうか事故ったって大丈夫?」
「なんとか 」
昼休み、四月から席が近くて仲良くなった友人の安達と神崎に相談してみた。流石に他校生に殴られたとは言えず、交通事故に遭ったということにしておいた。そういやあの後ってどうなったんだろう……。
「そういや昼なのに片桐先輩来てないな……。今日食べない日だっけ?」
「いや、いつもなら今日一緒に食べる日なんだけど。おれに飽きたんじゃない?」
「あー……」
何も言われないことで、あの人本当に飽き性なんだなぁと実感した。買ってきてもらった紙パックのイチゴミルクを飲み……
「……?」
「どした?」
「なんか……胸が痛い 」
ちくりと胸が痛んだ。骨折の痛みだろうか?
不思議に思いながら胸をさすっていると「無理すんなよ」と唐揚げを一個もらった。
+
ホームルームも終わり、放課後を迎えた。流石に一人で帰るかと思いながら荷物の準備をしていると、「カバン持つから」と後ろから荷物を奪われた。
「片桐先輩……おれ一人で大丈夫ですよ 」
「肋骨折ってんのに重いもん持つなよ 」
「置き勉してるんで朝よりは軽いですよ 」
「それでも駄目だ 」
自分のカバンとおれのカバンを持って、片桐先輩はこちらが立つのを待っている。腹も痛いからゆっくりと立ち上がると、片桐先輩はこちらが歩くのに合わせて歩き始めた。
「片桐先輩、なんか今日おかしくないですか?」
「なんで?」
「なんかいつもより元気がないっていうか……いつももっと鬱陶しいのに 」
「えーそう?春樹の気のせいじゃね?」
さらっと流されているような……。スーパーの前を通った時に「買い物すんの?」と聞かれたが、昨日買い物の時大変だったためやめておくことにした。そもそも食べようとしたらお腹が痛くて何も食べられなかったし、しばらく少ない量で適当にするしかない。
「……春樹、ごめんな本当 」
「なんなんですか昨日から。片桐先輩のせいじゃないでしょう?」
「でも、俺がサボらなかったりもっと早く春樹のことを見つけられたら、こんな大怪我せずに済んだろ 」
「そりゃまぁ……そうですけど。でもあいつらがこの駅使うって知らなかったし。だから本当に先輩のせいじゃないですよ 」
「でも……」
「とにかく、おれは気にしてません。…………それに、なんか片桐先輩がそんな感じだと、調子狂うっていうか 」
「……そんな感じって?」
「今みたいな……なんか、距離置かれてる、みたいな感じがちょっと……」
嫌かも、と言いかけたところでそっと自分の口を手で押さえた。別に言ってしまってもいいんだが、なんか……言ったら調子に乗るような気がする。
「春樹、俺のこと怖くない?」
「なんでですか。別に怖くないし、逆に信頼してますよ 」
「……そっか 」
家の鍵を開け、上がるかどうか聞いたが断られた。まだ距離置かれてんのかなと少し不安にはなったが……いや、なんで不安になってんの?
とにかく、気にしないことにして荷物を家の中に入れてもらった。本当に助かった。
「はーるき 」
「は?わっ……」
振り向いたと同時に抱きしめられ、そのままぽんぽんと頭を撫でられた。骨折のことを気にしているためか抱きしめる力は控えめで、だけど今日一切ベタベタしてこなかったからか何故か満たされるように感じる。
「……ん、よし。また明日な 」
一度抱きしめたまま深呼吸をして満足したのか、片桐先輩は一瞬こちらのこめかみに口付けをしてにこやかに家を出た。
残されたおれは、一瞬何されたか理解できずに玄関で立ち尽くし……
「……は、へ……?」
理解した瞬間に急に顔が熱くなってきた。
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