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第19話 ※自傷の表現を含みます
買い物を終えてディスカウントストアから帰る途中、元彼の家の近くを通って気分が悪くなった。心臓も激しく動き出し強い吐き気に襲われる。ただ家の近くを通っただけなのに、あの日のことを、思い出して———
「春樹君大丈夫?気分悪い?」
「…………いえ 」
お義兄さんが背中をさすり、姉は「ごめん遠回りしたらよかった」と謝罪した。どもりながら「それやめて」とさすってもらうのをやめてもらい、口を押さえ、帰路をなんとか耐えようとする。和やかだった車内が一気に暗くなり、何も知らない義兄に申し訳ない気持ちになった……。
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家に着いても気分は落ち着かず、部屋で休むことにした。体の震えは止まらなくて、目を瞑れば元彼の顔が浮かんでくる。熱っぽい視線も乱暴に服を脱がせてくる力強さも、肌にまとわりつく感覚も全て怖くて、頭まで布団を被っていても落ち着かない。息は上がるし涙は溢れて鼻の奥が痛いし、どうしようもなく息苦しい。
「っう……ふ、う"ぅ……!」
枕に顔を埋めて、歯を食いしばって泣き止もうとしても後からどんどん涙が溢れてくる。わあわあと大声で泣いてしまった方がすっきりするかもしれないが、ほぼ全部知ってる両親と姉はともかくお義兄さんに知られたくない。仲良くなれそうな人なのに、泣いてる理由を知られて、身内になるのに気持ち悪いと思われたくない。
何もされてないんだ。ただ脱がされて触られただけ。だから、こんなに傷つくなんておかしい。
そう考えれば考えるほどに気持ちが落ち込む。女子じゃないんだから平気なはずなのに。もうずっと昔……三年も前のことなのに、なんでこんなに苦しいんだ。
……きっと、ピアスを開けたら楽になる。
……でも実家だから、姉に開ける理由を知られているからばれたら面倒なことになる。
服の下ならきっとばれない。
でもどこに?臍も乳首ももう開いていて、他に開けられるところなんてばれそうな位置しかない。
……どこでもいいだろ、そんなの。
布団から出て、鼻を啜りながらカバンからさっき買ったピアッサーを取り出す。どうせばれるんだから服の下はやめた。それを耳に挟んで、一気に力を———
ピロン
———加えようとしたところでスマホが鳴った。反射的に画面に視線を向けると……
[今話せる?]
……片桐先輩からのメッセージを見て、徐にスマホを手に取り通話ボタンを押した。数コール経過した後にブツっと音がして……
『もしもーし 』
その呑気そうな声に安心してまた涙が出てきた。グスッと鼻を啜ると電話の向こうで『えっどうした!?』と慌てた声が聞こえた。
「なんでもっ、ない……」
『なんでもなくないだろ!今どこ?会える?』
「実家……。遠いっ、っから、今日は、会えない……」
会えないと言うと片桐先輩は「実家……」と途方に暮れたように呟いた。
『……ともかく、何があった?話聞くことしかできねえけど……』
そう言われても、片桐先輩にも言いたくなくて黙った。しばらく啜り泣く声しか聞かせていなかったのに片桐先輩はこちらが話しだすのを待っているようで何も言わない。仕方なく「言いたくない」と告げると、ため息をついて「そっか」と返事をした。
『こっち帰んのっていつ?』
「……正月明けて三日の夜 」
『じゃあその日は駅まで迎えに行く。家まで送るから、ラーメン食べて帰ろうぜ 』
「……うん…… 」
『もうちょっとおしゃべりしとく?』
「します……」
何故か、片桐先輩と話していると落ち着いてきた。さっきまであんなに泣くほど怖かったのにだんだん平気になってくる。自傷の欲求も治まったが……今度は別の欲求が顔をのぞかせた。
「……片桐先輩 」
『ん?』
会えたら抱きしめてほしい。
なんて言いかけて、やっぱりやめた。多分してくれるだろうが、ただの先輩と後輩なのにそんなことをするなんておかしい。
「ラーメン一番高いの奢ってくださいね 」
『おぉ……わかった。いっぱい食えよ 』
普段食細いもんなぁと二人で笑っていると、トントンとドアをノックされた。スマホを置いたまま「はーい」と返事をして開けると、姉が心配そうな表情で立っていた。
「……大丈夫?」
「もう大丈夫。何?」
「夕飯できたけど下で食べるか聞いてこいって。……あんたさ、家にいた時よりピアス増えてない?」
「増えたやつオシャレ目的で開けてんの、全部 」
「本当に?」
「本当 」
じっと目を見つめられ、逸らせなくなる。まだ二個しか増やしてないし、それも片耳ずつしか開けてないからばれることはない。……はず……多分……
「…………ならいいけど。夕飯どうする?」
「下で食べるよ。今友達と通話してるからちょっと後で行く 」
「そ。んじゃあんたの食器用意しとくから 」
「ありがと、姉ちゃん 」
姉がドアを閉めると、階段を降りていく音が聞こえた。ため息をついてからスマホの近くに戻り通話を続ける。
「片桐先輩、夕飯呼ばれたんでいってきますね 」
『おー。……大丈夫か?』
「大丈夫ですよ。声かけてくれてありがとうございました 」
お礼を言ってぷつりと通話を切る。もう少し話していたかったが夕飯なんだ。せめて顔を洗ってから食卓に着こうと考えながら部屋のドアを開けると、階段下から砂糖醤油の焦げる匂いが漂う。やった、今日はすき焼きだ。なんて考えながら、少しウキウキした調子で階段を下った。
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