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第29話

二年生が修学旅行から戻って二週間。やや激しめのキスをすることはあってもセックスの習慣がなくなった。今まで……といってもまだ冬休みが明けてそれほど経っていないが、前まで週に二度はしていたのに今やゼロ。今日なんて触れるだけのキスすらしていない。 ……まあ、吐いちゃったのが原因なんだろうな……。 はぁ……とため息をつきながらシャンプーをカゴに突っ込む。駅前のドラッグストアは割と安くて、日用品はだいたいここで購入しているのだ。 ……なんとなく、ゴムの棚の前で立ち止まってしまった。元々はこれのサイズ確認が目的だった。Mのマークがついたそれに目を止め、やるせない気持ちになりため息が漏れ出る。 「あれ、朝倉くん?」 声をかけられて背中が跳ねた。恐る恐るそちらを向くと、ジュースを持ったクラスメイトの女子がいた。 「朝倉くんもここ使うんだ。何見て……」 棚の前に来たその子はゴムを見て固まってしまった。思いっきりため息をつき、「こっち」と女子がきた方を指差して、離乳食売り場と冷凍食品売り場の間に止まった。 「……あの……おれあれ見てただけだから。買わないから 」 「あたし何も言ってないけど……」 やぶへび。 「あのさ、やっぱり朝倉くんと片桐先輩ってそういう関係なの?」 「付き合ってないよ 」 「えっ!?」 案の定驚いた声を上げる女子……名前なんだっけな。その子は口を押さえてジュースを持ち直した。 「てっきりあたし、付き合ってるんだと……」 「付き合ってないから。先輩がしつこく絡んでくるだけ。……だし、おれ男よりも女子の方が好きだから……」 と言ったところで、ふと元彼の顔が浮かんだ。身長は高いけど地味な雰囲気で、眼鏡をかけていて、「春樹」と嬉しそうに呼ぶ低い声と頭を撫でる時の笑顔が印象的で……なんだって毎回思い出したくない時に限ってあの男は出てくるんだ。 「じゃあチャンスあるんだ……」 「ごめん何って?」 「ううん、なんでもない。買い物の邪魔してごめんね!あたし友達と合流するから!」 そう言いながらクラスメイトの女子は来た道を戻っていった。 ……ゴムのところに向かい、Lのマークがついたジェル付きのやつをさりげなくカゴに放り込む。前に「お茶取って」と言われた時に片桐先輩のカバンを漁り、そのサイズのゴムの箱を見つけた。思いもよらないところで片桐先輩のサイズを知って、あんなことしなくても良かったんじゃないかと思って余計に吐いたあの日に恨みを抱いた。 + 「片桐先輩、今日家にお邪魔していいですか?」 勝負の金曜日。この誘い方が駄目なら、やりたくないけど学校ですることも考えお誘いの仕方を勉強していた。しかし「いいよ」とあっさりOKされてしまい拍子抜けしてしまった。 「春樹から言ってくんの珍しいじゃん 」 「もう暗くなりますから。勉強会も……途中ですし 」 「……ま、そういうことにしとくか 」 くしゃっと髪を乱すように頭を撫でられ、ぱたぱたと書き途中のノートを閉じられ「先靴箱行っとくな〜」とそそくさと出て行ってしまった。……いつもなら教室を出る前にキスの一つや二つはしてくるくせに、今日は何もない。なんならしない日も一緒に下駄箱まで向かうのに。 「はぁ〜……?」 そんな不満そうな声が出たのに自分でも驚いてしまい、思わず口を押さえる。ノートとペンケースをカバンに入れて、おれもやや早足で靴箱に向かった。 + 昇降口から外に出るとびゅうっと木枯らしが吹きつけた。「寒っむ」と身をすくめる片桐先輩に「ん」と手袋を外した手を差し出す。 「あったけ〜…… 」 片桐先輩はその手を取ってコートのポケットに突っ込み、マフラーを口元まで上げながらそのままゆっくり歩き出した。 「コンビニ寄ろうぜ。流石に寒いわ今日 」 「いいですよ。何買うんですか?」 「コーヒー。春樹なんか飲む?」 「おれドリンクじゃなくて中華まん買おうかなぁ 」 いいじゃんと会話をしてコンビニに到着。手を先輩のポケットから出そうとしたらぎゅっと強めに掴まれて出せなかった。 「あの、両手使いたいんですけど 」 「んー、やっぱドリンクも買う?」 「そうじゃなくって……」 自動ドアが開き入店。部活終わりで来たのか運動部の生徒がお菓子やおにぎりなどを選ぶのが目に入り、余計に手を離したくて引っ張るががっちり繋がれてポケットから出せない。どころか繋ぎ方を変えられて、ポケットの中で手のひら同士が重なり手がゾワッとした。 「春樹もコーヒー飲む?」 缶コーヒーを二本取ったが、「いいです」と断った。どうもコーヒーは苦くて飲めたものじゃない。カフェオレも飲めないしティラミスもそんなに好きじゃないし、バビコのチョココーヒー味でギリギリ。根本的にコーヒーを嗜むのに向いていないんだろう。 「中華まん何食うの?」 「ピザまん 」 「んじゃ俺あんまんにしよ 」 くださーいと片桐先輩はニコニコしながら店員さんに注文を通した。「おれお菓子見てますね」と退こうとしたが案の定手を離してくれなくて結局移動できない。 「……いい加減手離してもらえます?」 「手出してきたの春樹じゃん 」 「そりゃそうですけど……」 財布出せない……とモタモタカバンを開けている間に決済を済ませたのか、「はい」と中華まんの袋を渡された。 「……どうも 」 出入り口に向かいながらふと横を見ると、バレンタインのコーナーが目に入った。もうすぐだもんなぁと思いながら、行きつけのスーパーにも特設コーナーがあったのも思い出す。 ……まあ付き合ってないしな。 用意する必要もないだろうし、片桐先輩はモテるから一個チョコが増えたところで嬉しく……は、なるか。好きな子からのチョコなんだし。 今でこそおれに執着してるから校内では誰も声をかけてこないが、遊びに行くと大概待ち合わせ場所でよく逆ナンされている。背も高いし顔も整ってるし雰囲気も柔らかい。そりゃ話しかけたいよなぁとあんまんの袋を開ける片桐先輩の顔を見つめ…… 「……ん、何?」 「別に 」 ふっと目を逸らして自分もピザまんの袋を開け、一口齧った。チーズまで辿り着けなかったものの、皮の甘さと餡の甘酸っぱさが幸せな気持ちにさせてくる。 「半分いる?」 「いらないです 」 かじ……ともう一度、二度とピザまんを齧る。みにょーんと予想以上に伸びたチーズは外気ですぐ冷えて千切れた。巻き取るようにそれを口に収めるおれを見て、片桐先輩は面白かったのかクスクス笑った。 + 片桐先輩の家に来たものの、全くそういう空気にならずにガチの勉強会でお開きになりそうになった。寧ろ誘導しようとしてもする〜っと別の空気にされる。 「片桐先輩、最近なんかおかしくないですか?」 「おかしいって……何が 」 「いつも片桐先輩からおれに手出してくるのに最近何もしてこないし 」 「してほしいの?」 「…………まあ 」 「付き合ってねえのに 」 そう告げてコーヒーを啜る片桐先輩。何も言えなくてぐるぐるとノートの端に丸を書いた。 「春樹は……そういうのじゃねえだろ 」 「そういうのって?」 「何とも思ってねえ奴とやるタイプじゃねえだろって 」 「……それはそうですけど 」 手を止め、描いていた丸を見つめた。濃く塗られたシャーペンの色が蛍光灯の光を反射してキラキラ輝いている。ペンでその中に線を引き、うすーく塗り潰した。 「でも片桐先輩が何もしないのはそれだけじゃないですよね。そうだったら、今までおれに手出してたのなんでなんですか 」 「それはその……」 片桐先輩はコーヒーをテーブルの上に置いて、缶を指先で弄ぶ。何か考えるような表情をしながら。 「……この間吐いたろ、春樹 」 「吐きましたけど 」 「だから……また『怖い』とか『気持ち悪い』とか、嫌な思いさせんのが嫌だ 」 ため息をつきながら片桐先輩は俯き、こちらから目を逸らす。「今更かよ」とぼやくと「ごめん」と短く謝罪された。 「片桐先輩。おれ、もうあんたとの行為に抵抗無いんですよ 」 席を立ち、片桐先輩の側に腰掛ける。なんとなく距離を取られかけたが手を掴んで引き留めた。 「ただタチが嫌ってだけ。考えたくないことまで考えるから 」 「……でも俺、春樹に嫌われたくない 」 「嫌いになるならとっくになってるんですよ 」 掴んでいた手を離す。……離れようとしないどころか、徐にこちらの手を取って指を絡めた。 「まあ先輩が気分じゃないってなら帰りますけど……」 「春樹さ 」 「はい?」 「本当に俺のこと何とも思ってねえの?」 「そんなことないですよ 」 それでも『好きです』と伝えるのはまだ怖い。まだその先に進みたくなくて……軽く握られた手を取って手の甲に口付けた。 「おれ、何とも思ってない人とはキスもしたくない人間ですから 」 軽く頬擦りをするとその手が離され、肩を抱かれる。そのまま顔が近付いて、唇が重なり…… 「……う……」 「……やっぱ無理?」 「無理、苦い。飲んだコーヒーの味なんとかしてもらえます?」 少し間を置いた後、何度も唇が吸われ、「じゃあ慣れろよ」とコーヒーの味が残る舌が口内に入ってきた。

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