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第32話
あの後片桐先輩の家に行って、「ちょっと限界試してみねえ?」というなんとも色気のない誘いに乗ってしまった。結果、使いかけだったがゴムを一箱使い切っておれは立てなくなった。先輩の精力よりおれの体力の方が先に尽きたのがなんか悔しい……。
「春樹、飯食う?食える?ピザ頼むけど 」
「…………ペパロニいっぱいのやつ…… 」
隣に寝転ぶ片桐先輩に要求だけ言うと「それ好きだよなー」と笑いながらスマホをいじった。どんな状態でもペパロニのピザは美味しい。
「そういや春樹って誕生日いつ?もう今年度終わるけど 」
「あー……来週の水曜 」
「来週!?」
耳元で驚いた声をあげられ顔を顰めた。今まで言ってないんだから知らなくても仕方ないだろうに。
「来週……土曜に行きたいとこってある?」
「そんな急に言われても……」
自分のスマホに手を伸ばし、SNSを開く———が、最後に裏アカを開いていたため反射的にアプリを落とした。改めて開き直し、アカウントを切り替えてタイムラインをぼーっと眺める。
……ふと、隣町の水族館で先週アザラシの赤ちゃんが生まれたというニュースが目に入った。真っ白でふわふわで、つぶらな瞳で瞬きして……
「可愛い……」
呟いたその言葉に「どれどれ?」と言いながら体に腕を回され、後ろからスマホを覗かれる。ずっとループ再生されていたアザラシの赤ちゃんの動画を見て、片桐先輩も「おー可愛い」と言いながらこちらの頭を撫でた。
「土曜日見に行く?」
「人多いでしょうし、見に行けるかわかりませんよ 」
「それでも見たくね?よっしゃ、土曜日は水族館な 」
「……まあいいですけど 」
毎週金曜にどっちかの家でやるだけやって、土曜に帰る家デートにも飽きてきたところだ。たまには変化があってもいいかもしれない。……付き合ってなくてもデートって言葉使うよな?
などモヤモヤと考えていると、外から小さくインターホンが鳴った。
「多分ピザだ。取ってくるわ 」
「ちゃんと服着てってくださいよ 」
わかってるってと言いながら、片桐先輩は素肌にパーカーを羽織り部屋着であろうスウェットを履く。……出来心で、先輩が部屋から出た後にインカメで自分の姿を写し、シーツの位置を調節して写真を撮った。
[ 限界きてた ]
なんて言葉をつけて、身バレしないようトリミングをして投稿。……まだ六時半だというのに、数秒で通知が大量に届き始めて……
[ エッッッッ ]
[ 俺も限界 ]
[ サクラちゃんエッチしたいの? ]
「全員おかしいだろ本当…… 」
なんて口では言いつつ、群がってくるリプライに一個ずついいねを付けて、チン凸DMに短く罵倒して、出会い目的のDMをブロックしていって……気付けばうっすら口角が上がっていた。
+
そして迎えた土曜日。誕生日に安達と片桐にもらったピアスと、フォロワーから夏にもらった魚のピアスを付けて待ち合わせ場所の駅に。二学期の始業式に怖い思いをしたのに利用することが多くて、ここに来るとうっすら複雑な気持ちになる。
[ 着きました ]
昼前にそんなメッセージを片桐先輩に送ると、それなりにすぐ返信が来た。
[ 時計広場に居る ]
と言われて時計広場のところに。待ち合わせならココ!という場所のため案の定人は多いが……
「まああれだろうな 」
遠目からでは誰かわからないが、派手目な女性が立ち寄っては去っていく。片桐先輩オシャレだし顔もいいからモテるんだよなと思いながら近寄った。
「片桐先輩、お待たせしました 」
声をかけると少し難しい顔をしていた片桐先輩はこちらを見て笑顔になり、「俺も今来たところ」と立ち上がった。アクセや服装は見慣れたものなのに、どことなく雰囲気が違う気がする。
「なんか雰囲気違いますね 」
「美容院行った 」
「……おれいつもの感じなのにそうやってキメるのやめてもらえます?」
「なんでだよ、デートなのに。惚れていいんだぜ?」
「あ、遠慮しまーす 」
もう惚れているのにこれ以上どう惚れろというのか。「早く行きましょうよ」と片桐先輩の腕を引くと、「はいはい」と手を繋ぎ直された。
+
お昼ご飯を食べた後にチケットを購入しようとカウンターに並ぼうとしたが、「もう買ってるから」と片桐先輩はQRコードを見せてきた。
「ありがとうございます。お金……」
「いいから。誕生日プレゼントってことで 」
まあ、そういうことなら……と財布をしまい、エスカレーターに乗ってひんやりした空間に足を踏み入れる。
「わぁ……!」
上がった先の薄暗いそこにはワンフロアぶち抜きくらいに大きな水槽があった。中にいる魚はそれぞれ悠々と泳いでいる。大きなサメ、イトマキエイ、よく知らない魚……上から降ってくる光をキラキラと鱗で反射させて、幻想的な空間が広がっている。それに目を奪われて一歩も動かずにいると、「ほらこっち」と肩を抱かれ移動させられた。
「すげえよな、あんなでかい魚。初めて見たかも…… 」
「あれはナンヨウハギです。頭のこぶがナポレオンの帽子に似てるからナポレオンフィッシュって名前もついてて……」
「へぇ……。春樹って魚好き?」
「人並みには 」
そのまま歩かされ足が止まる。そこで改めて水槽を見ると……
「わ……!」
水槽を一望できる位置で、あまりにも壮大な景色を目にして感嘆の声を上げた。
「すご……すごっ、ここ、すごいですね!」
「だろ?ここ、ベストスポットらしいぜ。あれなんて魚?」
「あれですか?あれは……」
なんて魚の解説をしているとぎゅっと肩を抱かれた。「なんですか?」と水槽から目を離さずに問いかけたが「なんでも」と返ってきただけだった。……飽きたのかな。シャッター音してたし、写真を撮って満足したのかも。
「次のところ行きましょうか 」
あっち、と順路を指差す。珊瑚礁のエリアで、「カクレクマノミとかいますよ」と映画で主役を張っていた魚を挙げてみると「あれ可愛いよな」と着いてきてくれた。
珊瑚礁エリアは小窓から小さい水槽を覗く感じで、クマノミやチョウチョウウオなどのカラフルな魚、そしてイソギンチャクが展示されていた。
「片桐先輩知ってますか?このイソギンチャクって、引き潮で水から放り出されたら触手をギュッとしまうように萎むんですよ 」
「へえ、そうなのか 」
片桐先輩もイソギンチャクをじっと眺める。実際は魚を見てるのかもしれないけど。
「こっちの魚は?」
「え、知らない。そこに書いてないですか?」
「そこ……まあ書いてるけど 」
思いっきり適当な返事をしてしまったのに気付き、イソギンチャクの水槽を横目に隣の水槽を覗いた。こちらにはイソギンチャクはいない……。
「春樹ってもしかしてイソギンチャクの方が好き?」
「…………まあ 」
昔からそうだった。可愛いカクレクマノミよりも、美しい青のナンヨウハギよりも、色とりどりの魚よりも……その位置から動かず、海流に揺られるイソギンチャクに心を奪われた。
昔、家族で水族館に行った時もイソギンチャクの水槽の前から動こうとせずに、飽きて早く行きたい姉から「変なの」と言われてしまった。所詮子供の感想だ。全く気にならない。
「どういうところが好き?」
「……形。この形のイソギンチャクが一番好きです。ぶにぷにした見た目で、手を振るみたいに海流に揺られる姿が可愛くて 」
「ふーん……なんか春樹に似てんな 」
「どこがですか?」
「ぷにぷにしてるとこ 」
そう言いながら片桐先輩は、振り向いたおれの唇をつっつく。……なんか恥ずかしくなって指を掴んだ。
「……あんたがしょっちゅう吸うからぷにぷにになったんですよ 」
「へえ、俺が育てたんだ。もっとぷにぷににしていい?」
「帰った後なら 」
「え、いいんだ 」
少し驚いたように言った後、機嫌が良くなったのか片桐先輩はニヤニヤしながら指を掴んだおれの手を握った。
「あとイソギンチャクは毒針があるところもいいんですよね。可愛いだけじゃないってところも魅力です 」
「そこも春樹そっくりだわ。普段ツンツンしてるし……いや、ここ可愛いとこだな 」
「そうですか……?」
「最近だいぶ甘いけどな 」
次行こうぜと片桐先輩はおれの肩を抱いて移動を始めた。……確かに、入学直後なんて肩に触れられたら弾き飛ばしてたのに。今じゃ何とも思わなくなってる。
「近いです 」
「いいだろ別に 」
一応口では文句を言ってみた。それでも肩はそのままにさせて次の水槽へ。グレートバリアリーフの魚はどれも大きくて色とりどりで……だけどやっぱりイソギンチャクがあれば、そこばかり見てしまっていた。
+
アリューシャンの魚、パナマ湾の魚、淡水魚、主にアマゾン川の……色々見て思ったが……やっぱり似たような魚多すぎないか?片桐先輩も「これ同じ魚じゃね?」と感想を述べていたし。
なんて考えながら足を進めていると大きな水槽についた。魚のいる水槽より水位は低くて陸地がある。中にいる生き物は……
「……お、ペンギンじゃん 」
「オウサマペンギンってよく見る形してますよね 」
「あれオウサマペンギンって言うんだ 」
ぼーっと眺めているうちに、何故か一匹のペンギンに目が留まった。なんか、絶対違うのになんだか……
「あれ片桐先輩に似てる気がする…… 」
「え、どれ?」
あれ、と指差したペンギンはただ立っていた。両翼を広げる姿は胸を張っているようにも見えるし、周りに他のペンギンが集まってきている。モテるからかな?と思いながらそれを眺めていると、水から上がった一匹のペンギンにちょっかいをかけに向かった。
「……なんかあいつ、逃げられてね?」
その指摘に少し気まずくなってしまった。だってそんな、一匹から徹底的に逃げられるなんて……
「あのさー……」
「す、すみませんって……。知らなかったんですよ、あいつがあんな、一匹から嫌われてるなんて……」
ペンギンは逃げ続けている……。いじめられでもしているのだろうかと思って心配になってついつい目で追ってしまう。なんとなくずっと見ていると、観念したのか追いかけられていたペンギンは追いかけていたペンギンの方を向いて羽繕いを受け始めた。
「あ……なんか仲直りしてんじゃん 」
「ですね。……あれもしかしてカップルだったりするんですかね?」
「なんで?めっちゃしばかれてんじゃん 」
「ああ、あれペンギンの求愛行動です 」
「へぇ……」
羽繕いを終えたペンギンは、追い回されていた方にバシバシと羽で叩かれている。ツンデレなお嫁さんなのかな?と思いながらふと横を向くと片桐先輩と目があった。
「……やっぱあのペンギン、俺に似てね?」
「ね、本当。好きな子に相手にされないところとか 」
「春樹は相手してくれんじゃん 」
「先輩のことは嫌いじゃないですから 」
なんて言うと片桐先輩は「ほんと素直じゃないよな」と言って、今度は腰を抱いてきた。
ペンギンを見た後は、目的だったアザラシの赤ちゃんを見ることができた。確かに人は多かったが、おれ達は二人とも背が高いから少し後ろからでも赤ちゃんが見えた。
「ふわふわエビフライだ……」
そう呟いた瞬間、片桐先輩は吹き出して笑った。
+
アザラシを見た後は可愛い系の海の生き物ばかり集めた特設エリアへ。チンアナゴや色んなウミウシ、クラゲ、そしてぬぼーっとしたメンダコ。
「メンダコも可愛いですよね…… 」
「春樹こういう系好きだな 」
「なんですかこういう系って 」
「こういうぷにぷにした系?」
「……まあ否定しませんけど 」
メンダコは水槽に二匹。ひっくり返って吸盤で身を隠しかくれんぼしてる子と、何も気にせずふわふわ泳いでいる子。足を動かしてぷわぷわと上昇していき……水面に頭をぶつけてそのまま枯れ葉のように落ちていくのが可愛くて、思わず吹き出して笑ってしまった。
「春樹、めっちゃ楽しそうじゃん 」
そう片桐先輩も楽しそうに笑って写真を撮った。なんの写真だろうかと考えたが多分「なーいしょ」なんて言って教えてくれない。メンダコの写真だったら後で送ってもらおう。
「……あ、ここ出たらお土産屋さんですね 」
「本当だ。ちょっと見てこうぜ 」
イソギンチャクのグッズあったらいいなと肩を叩かれ二人でお土産屋さんに向かった。
普通イソギンチャクのグッズなんてペタペタしたおもちゃかリアルなキーホルダーくらいしかないんだよな……。メンダコは可愛いぬいぐるみがあるのに……。
「お、アザラシの赤ちゃん 」
その声の方に視線を向けると、小さい棚にアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみが陳列されていた。ふわふわの片手で持てるぬいぐるみを持ち、片桐先輩は「はい」と俺に渡してきた。
「……おれこれ別にいりませんけど 」
「え、マジで?アザラシ見たくて来たんじゃねえのここ 」
「片桐先輩が誘ってきたんじゃないですか。だし、おれやっぱりアザラシよりイソギンチャクのが……」
「……あー……んじゃイソギンチャク探すか 」
「いいですよ。どうせリアルなやつしか置いてませんから 」
デフォルメされたぬいぐるみが欲しい。でもあるわけないから、マイクロファイバーのモップに目をつけたものを作るしかないんだ……。水族館から帰って泣き喚く自分に母が作ってくれたそれを思い出し、センチメンタルな気持ちになってしまった……。
「春樹、ピアスならイソギンチャクあったけど 」
「いらないです 」
「だよなぁ 」
ピアスはこれ以上増やしても……というところがある。何も買うものないかもなぁと思いながら物色していると……
「……あ 」
さっき二人で見たオウサマペンギンのぬいぐるみが目に入った。これもふわふわで可愛い。大きさは40センチくらいとだいぶ大きめで、小さい子が抱いていたらきっと可愛いサイズだ。それに手触りも『ふわとろ』の表現が一番合う。
……ちょっと欲しいけど、おれ小さい子じゃないしな。そう思いながらお菓子の売り場に移動した。今日のお礼に何か買って渡すのもいいかもしれない。このクッキーの詰め合わせなんていいんじゃないかな?など考えながら悩んでいると……
「春樹?」
名前を呼ばれた気がしてついそちらを見てしまった。同じ名前の人間なんか他にもいるだろうに。
そして名前を呼んだ相手と目が合って後悔した。自分よりも高い身長と、昔よりはオシャレになったが眼鏡は変わらない。体付きも昔より逞しくなっているが、変わらない顔付きは忘れられない。忘れられるはずがなかった。
「…………れ、お 」
そこに居るのは元彼。中学の頃、おれが引き篭ったから自然消滅した。
何か言わなきゃ、『久しぶり』でも『元気だった?』でも、声をかけられたのだから、なんでもいいから話さないと。なのに声が出ない。どころか呼吸すらもおかしくなってる気がする。おれ、ちゃんと息吸えてる?なんて考えるくらい喉の奥が苦しくて、だんだん視界が真っ暗になって———
「おい、春樹って 」
ぼすっと背後から肩に何か乗せられる感覚でハッとした。そっちの方を見ると、買い物を終えたらしい片桐先輩が肩に袋を乗せてきていた。
「……なんですか 」
「いや全然返事しねえから……なあ、なんかあった?」
さっきまで玲央のいた方を見る。そこにはもうぬいぐるみを選ぶ家族しかいない。
「……なんでもないです 」
「……そっか 」
「ていうか……いい加減肩からこれ退けてもらえます?」
「ああうん、わかった 」
肩から下ろされたその袋を片桐先輩はおれに差し出す。受け取れと言うように「ん」と。
「……なんですかこれ 」
「誕生日プレゼント。見てたから欲しいのかなって 」
「えー……?」
そんな欲しそうにしていただろうかと思いながら袋を開けると、そこに居たのはやっぱりペンギンのぬいぐるみ。ちゃんと大きめサイズで手触りもふわとろ。
「……これ、おれが『いらない』って言ってたらどうしてたんですか?」
「もう買っちゃったから貰ってくんね?」
「じゃあ仕方ないですね 」
そのまま袋ごとぬいぐるみを抱きしめ、「ありがとうございます」とお礼を言った。もちもちのぬいぐるみはやっぱりいい……。袋越しでもふにふにと揉んでしまう。
「ん、どういたしまして 」
帰るかと片桐先輩はおれの肩を抱いてお土産屋さんの出口に向かった。
……ぬいぐるみは嬉しいが、さっき玲央に会った衝撃がずっと響いている。このぬいぐるみを見る度に今日のことを思い出して、また苦しくなるかもしれない。
「……片桐先輩。おれ、今日はまだ帰りたくないです 」
不安な気持ちの方が強い。だから落ち着くまで一緒に居てほしい。片手をだらんと下ろすと、するっと手のひらを合わせるようにその手が繋がれた。
「じゃあ喫茶店でも行くか 」
ケーキ美味いとこがあるんだよと言いながら手を引いて、水族館を出てからも案内してくれる。その間もずっと話しかけてくれて、玲央と再会した時の衝撃はゆっくりと薄れていった。
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