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第4話 鉄鬼と孤高の新兵
一年にも満たないスパイ任務で、エリス・ラナ=ヴァルティアは驚異的な成果をあげていた。
潜入、情報収集、諜報。どんな任務も冷静に、完璧に遂行するその姿は、先輩スパイたちの間でも話題になっていた。
「君、特殊戦闘部隊に興味はないか?」
突然の打診に、エリスの心は高鳴った。
自分がかつて目指していた“軍”という舞台。
本来ならアルファの兄たちと進むはずだったその道を、自分も歩めるかもしれない──
「行きます…行かせてください」
その日のうちに書類は処理され、わずか数日で異動が決まった。
エリスは十四歳にして、特殊戦闘部隊の訓練所へと足を踏み入れる。
*****
ヴァレオン王国は大陸屈指の陸軍力を誇り、その中核を担うのが、対テロ・潜入・制圧・要人護衛などの高難度任務を専門とする特殊戦闘部隊《アイゼンコマンド》
兵士七割はアルファ、残りはベータで構成され、オメガは一人もいなかった。
兵士たちの訓練場は、朝の冷たい空気に張り詰めた緊張を孕んでいた。
整然と並ぶ訓練兵たちの視線が、一人の少年に向けられる。
「おい、来たぞ……」「やべ、目ェ合った…」
訓練所の空気を一変させる存在。
冷たい黄金色の瞳に、しっかりとしたブロンドの髪。
その姿は、どこか獣のような威圧感を纏っていた。
十七歳にして上等兵、既に“鉄鬼”と噂される人物。
彼の名は、グラント・アイゼンベルク。
整列する兵士たちの前に立たされたエリスは、部隊の上官によって紹介された。
「今日からここに配属される、エリス・ラナ=ヴァルティアだ。若いが、上からの推薦でな。仲良くしてやれ」
簡潔な紹介に続いて、朝礼は解散となった。
各自訓練準備に移る中で、エリスに視線が集まる。
一八〇センチ前後という長身の者ばかりが揃う兵士の中で、一人、一六二センチという華奢な体つき。男たちの汗や鉄錆の匂いが染み付く軍隊には似合わない、柔らかくてあたたかい香り。まだあどけなさの残る整った顔立ちに、艶やかな黒髪。エリスのどこか浮世離れした気配に、兵士たちは興味と猜疑心を隠さない。
「おい、あいつオメガなんだろ?」
「推薦って……どうせ上官のお気に入りなんじゃねぇの?」
ざわつく声を背に、エリスは淡々と動いていた。
しかし、その静寂を破ったのは──
「男娼あがりか。足引っ張るなよ」
冷たい声だった。
振り返ると、先ほどの“鉄鬼”──グラントが、冷たく鋭い視線でエリスを見下ろしていた。
周りの兵士たちはにやにやと笑い、場の空気が重々しく険悪なものになる。
だが、エリスは眉ひとつ動かさず、そのままグラントをまっすぐに睨み返す。
「戦ってから判断しろ」
鋭い声だった。
一瞬、周囲が沈黙する。
エリスの翡翠の瞳には、怯えも、戸惑いもなかった。
あるのはただ、見返してやるという、冷たい炎。
まっすぐに挑んでくる眼差しを受けたグラントの瞳には、わずかに興味の色が浮かんでいた。
*
こうして、特殊戦闘部隊に配属されたエリスと、鬼軍人グラントの最悪の出会いが始まった。
訓練が始まると、上官の指示によってバディを組まされた二人。相性は最悪。二人は顔を合わせるたびに喧嘩し、訓練では手加減なしで殴り合うことすらあった。
だが、その火花がやがて“絆”へと変わっていくことを、当時は誰も知らなかった。
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