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第7話 静かに差し伸べる手
炎天下の訓練場。容赦ない日差しが兵士たちを焼く中、木剣の打ち合う音が乾いた空気を切り裂いていた。
「そこ、突きが甘い。構えが高すぎる」
唐突な声に、訓練に没頭していたエリスの肩がピクリと動いた。
振り返った先には、一八〇センチの長身に鍛え抜かれた体を備えた青年──グラントが、腕を組んでこちらを見下ろしていた。まだ十七歳とは思えぬ堂々たる体躯と、鋭い眼光から放たれる圧だけで、場の空気を一変させる存在だった。
「……うるさい」
睨み返す緑の瞳には反発の色が滲む。だがその次の瞬間、再び構えを取り直したエリスの姿勢は、確かに先ほどよりも低く、鋭く修正されていた。
グラントはふっと鼻を鳴らし、何も言わずにその場を離れた。
それからというもの、グラントは時折、唐突にエリスに声をかけるようになった。
「脚が流れてる、腰を残せ」
「その間合いは届かねえ、踏み込みが足りねえ」
「照準が甘い。もう少し下を狙え。その誤差が命取りになるぞ」
その度にエリスは決まって睨み返し、「うるさい」「わかってる」と反発するものの、次の動きでは必ずグラントの指摘を反映していた。
(……まったく、素直じゃないな)
*
ある日の休憩時間。訓練場の片隅、陽の差さない日陰で、エリスが一人黙々と型の復習を繰り返していた。蹴り、捌き、踏み込み──無駄のない動きだが、どこか未熟な隙が残る。
その様子を見つけたグラントは、無言のまま近づいていた。
「そこ、もう一度やってみろ」
エリスは動きを止め、軽く息を整えてから、ちらりと視線をよこす。
「……なんで」
「見てらんねぇんだよ。そんな浅い打ち込みじゃ、骨の奥まで届かない」
「……ふん」
わかっている、とでも言いたげに鼻を鳴らすと、エリスは構え直した。両足をしっかり開き、低く腰を落とす。
「来い」
その声を合図に、二人は一歩踏み込んだ。
まずエリスが右のジャブ。グラントはそれを掌で捌くと、すかさずエリスの懐へ入り、肘で鳩尾を狙う──
「遅い」
グラントはエリスに当たる寸前で肘を止める。
しかしその直後、エリスが咄嗟に前蹴りを放った。
「……お、今のは悪くない」
足を受け流しながら、グラントが低く唸る。
次の瞬間、エリスの手が伸びた。背負い投げのような体勢──だが、甘い。
「重心が高い」
低い声と共に、エリスの脇を取ったグラントが、そのまま体をねじって押し倒す。地面に背を打つ寸前、グラントの手が下に入り、衝撃をやわらげていた。
「ちょっとは見れるようになったな」
「ったく…偉そうに…」
小さく文句を言いながら、エリスが起き上がる。悔しそうな目元に、しかし負けん気の光がある。
「もう一回」
「ああ、来いよ」
グラントが再び構えを取り、エリスが目を細めて向き直る。
その日以降、訓練が終わった後や休憩時間、エリスが一人で訓練場に残っていると、グラントはいつの間にか現れて「構えろ」と言い、組み手に付き合うようになった。
掌の打ち合い、肘の打突、腕の絡め、倒し、受け、返し。教えられた通りの動きを繰り返すエリスの姿は、日に日に洗練されていく。
そしてグラントは、何も言わないまま、その変化に気づいていた。
(……本当に、飲み込みの早いやつだ)
最初はただの気まぐれだったのかもしれない。
しかし今では、エリスの動きを見るたびに、つい指摘をしたくなる。黙っていられなくなる。気づけば、どんな些細な癖も目に止まるようになっていた。
そして何より。
反発しながらも教えを素直に受け入れ、着実に成長していくエリスの姿は──なぜか、見ていて飽きなかった。
言葉にはしないが、口の奥に小さな笑みが滲んだ。
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