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第17話 欲に塗れた巣窟

賭博場の奥には裏口があり、そこを抜けてしばらく歩くと、朽ちかけた鉄骨の廃工場があった。劣化したコンテナボックスのラベルをちらりと見ると、かつては軍用部品の生産工場だったらしい。 だが今は、人身売買が噂される“男の巣窟”。 キィっと軋むフェンスの扉を進み、灯りのない長い通路を抜けると、壁も床もコンクリートで埋め尽くされた、殺風景なだだっ広い部屋に通された。 その中央には──幼い子どもと、思春期の少年少女たちが集められていた。まだ発現していない幼児もいたが、見る限りオメガの子供たちばかり。 手錠と首輪つなぐ一本の鎖で拘束され、彼らの自由を奪っていた。 うずくまって怯えている者、泣き叫ぶ者、目の光を失い何もかも諦めた者、身体中傷だらけで気を失っている者……噂は本当だった。 「ここにいろ」 それだけ言い残した男が部屋から出たのを確認すると、髪の中に指を滑らせる。耳元のインカムに報告する。 《設置開始します》 耳元のインカムに小さく報告すると、ガーターベルト、靴の中、耳の後ろに仕込んでいた微小な装置を取り出した。 目立たない場所にスキャナー、カメラ、センサー、盗聴器などを順に配置していく。放置された鉄パイプやボックスがあったおかげで上手く隠すことができた。 ひとしきり設置が終わると、耳元でピッと電子音が鳴る。 《こちら第一班。起動確認。順次、解析を開始する》 (一旦、待つか…) 装置の設置が終わり、次に動けるのは、解析が終わった時、もしくは別の部屋に移動させられた時。それまで、捕えられた子どもたちから何か探れないか、と考えたルカ。 子どもたちの方に近寄ると、そのなかに、一人、真正面をじっと見つめている少年がいた。少し癖のある柔らかな黒髪に、あどけない丸い頬。 十歳くらいだろうか。 その少年の瞳はまだ、光を失っていなかった。 エリスはその少年の隣に腰を下ろした。 「ねぇねぇ、名前なんて言うの?僕はルカ」 少年は少し驚いたようにこちらを見たあと、ぽつりと答える。 「…僕はリアン」 声変わりの気配すらない、透き通った声だった。 「何歳なの?」 「九歳」 「そっか…。リアンはなんでここに来たの?」 少年は一瞬、言葉を探した様子だったが、それでも少しづつ答えてくれた。 「パパが、政治の仕事してるんだけど……最近、なんかすごく大変そうだったんだ。そしたらね、パパの上司って人が家に来て『お前の息子、預けてくれ』って言ってたんだ。…パパは『やめてくれ』って……でも、大人の人たちに車に乗せられて、昨日連れてこられたの」 (…政治関係の上司……?) エリスの中で嫌な予感が走る。 「その“上司”って人のこと覚えてる? 名前とか、顔とか、なんでもいいよ」 少年はしばし考えこみ、やがてふと首を傾げる。 「うーんと……ゴー、ドン?って言ってた気がする。眼鏡かけた白い髪のおじさん」 「──!」 その言葉に、頭の中でバラバラだったパズルが揃っていく。 “ゴードン”。 その名を持ち、眼鏡をかけた白髪の、政治関係の男は、ただ一人。──ヴァレオン王国の現・上院議長。 名家出身であり、財務・外交に絶大な影響力を持つ人物。確かに、このところ彼の政治的な存在感は急激に増していた。それは、厳格な人格者として評価されているからだと思っていたが…… その男が、一人の少年を児童売買の現場に送り込んだ──? 平静を装うなか、内心では腹の底が煮え立つような感情が渦巻いていた。 (…ゲンゼル釈放の“背後”はゴードンか) 「ありがとう、教えてくれて」 そう告げて少年の頭をそっと撫でると、少年の頬は少しだけ色を取り戻した。 「ルカは何歳なの?」 「十九歳だよ」 「僕より十個もお兄さんなんだ!」 やはり不安だったんだろう。初めは静かに黙っていたその子は今、年相応の子どもらしい仕草を見せている。 少しの間、少年と話していると耳に隠されたインカムがかすかな電子音と共に反応する。 《一部解析結果、人がいる部屋はそちらともう一つの二室のみ。対象のいる部屋は北東方向、八〇〇メートル先。五人の声紋あり》 通信が切れると同時に、何者かの足音が響く。 「そこの二人、来い」 先ほどの大男が現れると、無造作に顎をしゃくる。 ルカは少年を背後に、庇うように歩く。 歩かされた先には、廃工場には不釣り合いなほど豪華で異質な空間があった。 ダークグレーに塗られた壁は所々色褪せており、錆びついた金色のモールディングの装飾が施されている。天井には一部欠けて傾いているシャンデリアが吊るされていた。床には細やかなデザインの重厚な絨毯──よく見れば煙草の焼け跡や不自然にちぎれた跡が残っている。 欲望を満たす見せかけだけの部屋、その粗悪さがターゲットの精神そのものを表していた。 部屋の奥、黒のアンティークソファにふんぞり返っていたターゲットが立ち上がる。 「おぉ、来た来た。今日は新入りペアだな」 横に控えた手下の男たち三人も、下卑た視線をこちらに向ける。 ゲンゼルは、下衆な眼でルカたちを値踏みするように見た。 「お揃いの黒髪で可愛いじゃねぇか…………ん?」 その瞬間、目が合った。 男の片眉がわずかに跳ね上がる。 「……どこかで見た顔だな。お前……その脚……」 時が止まったような沈黙のあと、男の顔がにやりと笑みに歪む。 「思い出したぞ!ナイトラウンジで、俺に声をかけてきたやつだ!」 喜色を浮かべた顔が、露骨な興奮を帯びて近づいてくる。 「だいぶ大人になったな……だがその童顔とのバランスが、堪らないな……」 ルカは唇の端を上げ、ひとつウインクをしてみせた。 「覚えててくれたの?おじさん、嬉しいなぁ」 そして一歩、懐に入るように体を寄せる。視線は挑むように真っすぐに。 「僕、おじさんに合いたくて来たんだよ?褒めてくれなきゃ、拗ねちゃうかも」 「……そうそう、その舐めた態度……最高だよ」 くつくつと喉の奥で笑いながら、ゲンゼルは男たちに目配せする。 「最近、大人しい奴ばかりでつまらなかったんだよ。お前みたいな生意気なガキのほうが、いじめ甲斐があるってもんだ」 「知ってる。僕が“おじさん好み”ってこと」 ルカはにっこりと笑った。 ──その裏で、足元は冷静に動いていた。 ソファの下、絨毯の下、扉のへり。 隙を見て仕込める装置は忍ばせていた。 (どこか身体接触ができれば…近接スキャナーで読み取れるんだけどな…) あとは爪に仕込んだネイルチップ型のスキャナーでターゲットの端末情報を抜き取りたいところ。 「でもおじさん、僕のこと満足させられるの?六年で下手になってたら嫌だなぁ…」 挑発するよう微笑んで見せる。 その瞬間、ゲンゼルの目がギラついた。 「いいねぇ、その面……歪ませてやるよ」 そう言って、男はルカの首筋に手を伸ばし、壁に押し付けた。無遠慮な指先が喉元を押しつぶす。 ルカは、苦しげな息を吐き、身をよじりながら、ゲンゼルの手首を掴む。 (よし、接触──) 指先で近接スキャナーが起動する。微かな振動が、ゲンゼルの端末情報の読み取りを知らせる。 「…っはぁ、いや……」 わざと熱を感じるような声で、苦しげに演じる。 その様子に、ターゲットは唇を吊り上げ、完全にルカに夢中になった──かと思えた。 「…やめて!ルカを離して!」 その声が、空気を裂いた。 (リアン……!) 部屋の隅にいた少年が、震えながらもルカを庇うように叫んだのだ。 一瞬で怒りを帯びた男の目が、少年に向けられる。 「あ゙ぁ? なに口挟んでんだよ!」 男の手がルカから離れると、少年の顎を掴み、強引に引き寄せる。その瞳には、抵抗の色が灯っていた。 「大人しいかと思ったが…ははっ、悪くねぇな」 「んんぅ! 離して!」 「おいおい、そう抵抗されると燃えるんだよぉ……おい、アレ出せ」 控えていた手下に合図すると、その男がジャケットの内ポケットから細身の注射器を取り出した。 (──まずい) エリスは反射的に走り出した。 だが、手下たちが立ちはだかる。 四人、全員がそれなりに戦える男たち。エリスなら即座に止められる数だ。 「どけっ!」 素早く間合いを詰めると、腹に一撃を叩き込み、苦悶に屈んだ男の首を容赦なく折る。背後から腕を掴まれた手首を折り、悲鳴の隙に体を回転させながら蹴る。男が倒れる寸前、足で顎を突き上げ、頭を掴むと壁へと叩きつけた。 二人は倒した。だが、残り二人はまだ制圧しきれていない。 (間に合わないか……!?) ゲンゼルは少年を壁に押し付け、首筋を露わにさせる。 「チクッとするけど、すぐに気持ち良くなる。……痛がってもいいけどな」 針が少年の肌に触れようとした瞬間── 「リアン!」 ルカが飛び込んだ。 少年の体を抱きかかえるようにして庇った、その瞬間。 「っ……」 細い針が、ルカの腕に刺さった。 「あ…ルカ…」 少年はルカの腕の中で震えながら呟く。 「そんな……」 「大丈夫、僕は強いからね…君を守るよ」 エリスの声はかすれていたが、笑っていた。 だがその直後、 ──ドクンッ。 心臓が跳ねるように打ち、呼吸が急に乱れ始める。 「……っ、は……」 頬が熱い。呼吸が浅く、体の芯から力が抜けていく。 (……なに、これ……)

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