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第23話 祝宴の夜にすれ違う

あの夜── 突然与えられた熱に、胸の奥が焼かれたようだった。 けれどその理由を聞けないまでま、とうとう二年が過ぎてしまった。 あのキスは、どうしてだったのか。 なぜ謝って、そしてまた距離を取ったのか。 今や、エリスは中佐として参謀の役を担い、グラントは中将として前線の最高指揮を務める立場となっていた。 会えば会釈を交わし、言葉を交わす。 他人から見れば円滑な上官同士の関係に映るかもしれない。 だが、二人には交わらなかった言葉が胸の奥底に燻っている。 そして今日—— 激戦を乗り越えたグラント中将率いる部隊が、勝利の凱旋とともに拠点へと帰還した。 エリスにとって、この任務は特別な意味を持つ。 グラント中将が率いる部隊の戦略参謀として、初めて作戦立案から関わった大規模戦闘だったからだ。 兵士たちは成功の余韻に酔いしれ、夜には打ち上げが開かれた。将校も下士官も兵士も、皆一堂に会し、酒が注がれる。 主役であるグラントは、部隊の中央席に静かに座っていた。 その姿はいつものように無表情で、だが鋭い威圧は和らいでおり、兵たちの労いに素直に応えていた。 「中将の一喝で、あの混乱ピシッと止まりましたよ!」 「俺、あの瞬間マジで痺れました!」 「これからも“鉄鬼”の背中に着いていきます!!」 騒ぎながらも、兵士たちは尊敬の眼差しをグラントに向けていた。 グラントも短く「よくやった」と声をかけていく。 それを、少し離れた席から眺めていたエリスは、ぽつりと呟いた。 「やっぱり…すごいな、グラント」 その声は誰にも聞こえなかったが、瞳は確かな誇りと温かさに満ちていた。 一方、エリスの席もまた賑やかだった。若手の兵士たちに囲まれ、質問攻めに遭っている。 「中佐!あの陽動作戦って、どうやって思いついたんですか?」 「敵の進軍ルートの読み、完璧でしたよね!あれで損害激減ですよ!!」 「ありがとう。でも今回は皆んなの動きが良かったからこそですよ。僕は、少し先を予測してみただけで……」 「いやぁ〜!すごいっす!」 そう笑うエリスに、次々と杯が注がれた。 賑やかな時間を楽しんでいると、エリスの頬は赤く染まり、目元もとろんとしてきていた。 戦場の緊張から解放されたことで、酒もよく回っているのだろう。いつもの凛とした雰囲気は緩み、どこか儚げな空気を纏いはじめる。 「なんかエリス中佐、酔うと雰囲気違いますね」 「そうっすね、なんか幼いっつーか……」 「いつも凛々しいから、ギャップ萌えってやつかも」 「そうかな……」 エリスは、頬を染めたまま柔らかく笑う。 「ギャップ萌え…?あは、なにそれ……」 そう言って水を差し出された杯を受け取り、舌足らずな声で呟いた。 「お水、ありがと」 その愛らしさに、兵たちはどこか落ち着かなくなる。 やがてエリスが頭がゆらゆらと揺れ始めると、隣の若い少尉が声をかけた。 「エリス中佐、ちょっと寝ますか?俺に寄っかかって大丈夫ですよ。お開きになったら起こしますから」 「えっ……いいの?じゃあ、ちょっとだけ……重かったらすぐ言ってね……」 エリスは静かに頷き、少尉の肩に頭を預けた。 その瞬間── 「……エリス」 会場の喧騒の中に、低く、鋭く響く声が落ちた。 その声に振り返るよりも早く、エリスの隣にいた少尉の背筋がピシリと硬直した。 その先にいたのは、つい先ほどまで主役席にいたはずのグラント。 黄金色の瞳が冷たく光り、無言で少尉を射抜いていた。 「……ち、中将。い、いえ、あの……っ」 狼狽する少尉の言葉などお構いなしに、グラントは短く告げた。 「話がある」 そう言うなり、エリスの手首を強く引き寄せ、無理やり立ち上がらせた。 「えっ……? グラント……?」 酔いで視界がふわついていたエリスは、一瞬何が起きたのかも分からないまま、そのまま連れて行かれる。 * 会場を出ると、夜風が酔いを少し醒まさせた。 無言のまま、先を行くグラントの背を追いながら、エリスはやがて掴まれた手を振り払った。 「……ちょっと、待って。話って何、グラント」 足を止めたグラントは、振り向きざま、低く言い放った。 「お前、もう俺の見えないところで酒を飲むな」 「は?」 意味が分からず、エリスは目を瞬かせた。 「見えないところって……グラント、いたじゃん。同じ会場にいたよね?」 「だが、お前は俺から離れていた」 静かに、しかし圧のある声。 「お前は酒が強くない。酔うと……雰囲気が危うくなる。心配だ。だから俺が近くにいない時に飲むな」 「……な、なにそれ。なんで、そんなことグラントに命令されなきゃいけないの」 声が少し上ずった。 「子ども扱いしないでよ」 「だが実際、人に寄りかからないとまともに座ってもいられない状態になってただろう」 冷静に指摘されて、胸の奥がきゅっと締め付けられた。 ──ああ、まただ。 また、そうやって「心配だから」って全部コントロールしようとする。 「……いちいち、気にかけないでよ……」 エリスは震える声で言った。 「……じゃあさ…」 こみ上げる感情が、止まらなかった。 「その“子ども”相手に、なんでキスしたの…!謝るぐらい後悔してたくせに!」 その言葉に、グラントの身体が固まる。 黄金の瞳がわずかに揺れた。 「それは──」 言葉が続かない。 確信がない。エリスがどう思っているのか、自分の行動が正しかったのか、まだわからない。 その言い淀みに、エリスの胸に何かが音を立てて崩れた。 「……もういい。もう、心配かけさせないから……ほっといて」 振り切るようにそう言うと、エリスはその場を去っていった。 酔いも痛みも、もう感じなかった。ただ、早く部屋に戻って、一人になりたかった。 残されたグラントは、動けなかった。 握っていた手の感触だけが、まだ熱を帯びていた。 「……クソっ」 低く、吐き捨てるように声をこぼした。 彼の胸に残ったのは、言えなかった言葉と、離れていく背中だけだった。

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