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第29話 謎の異国美女

ヴァレオン王宮のダイニングルーム。 豪奢な食卓には、ヴァレオン王家とリューネス王家──両国の王族たちが一堂に会し、和やかな晩餐が進められていた。 その席上。ヴァレオンの国王、ルドルフ・ヴァレオンが、リューネスの皇太子に穏やかに声をかけた。 「レオン殿下。先日は、我が国の農村地域に関する助言、誠に感謝している。 調査士に調べさせたら、殿下の言っていた通り、あの土地にはラベンダーと葡萄の栽培が適していたようだ。国外に流通できる特産品として育てれば、地域経済を立て直す大きな柱になるだろう。おかげで、荒れかけていた農村にも新たな希望が芽生えたよ。 ぜひ、礼をさせてくれ。何か望みはないか?」 国王の誠実な申し出に、レオンは一瞬思案し、そして静かに口を開いた。 「では──」 彼の頭に浮かんだのは、自国のために外国の政策を学ぶと言うエリス姿だった。 「明日、諸国の王族たちが集まる社交会が催されます。私も出席を予定しておりますが……あいにく、同伴者がおりません」 「ほう?」 「もし許されるなら── エリス・ラナ=ヴァルティア中佐を、私の同伴者として同行させていただけないでしょうか」 その願いには、彼を傍らに置きたい、という思いが確かにあった。だがそれ以上に、勉強熱心な彼に、他国の情勢や考えに触れる機会を与えたい。そう願う、真っ直ぐな気持ちだった。 国王はひとつ頷き、しかし少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべた。 「だが、あの場は王族と、そのパートナーしか出席できないはずだが?どうするつもりかな?」 レオンは微笑を崩さぬまま、静かに答えた。 「彼は、潜入にも長けていると聞きました。ならば…… 私の恋人という設定で、身元を隠して参加してもらうのはいかがでしょう?」 堂々と、しかもなんて事のないように。 国王は一拍置いて、声を出して笑った。 「はっはっはっ!それは良い機転だ!面白い!」 そして改めて宣言する。 「では、同伴者兼護衛として、エリス・ラナ=ヴァルティア中佐を付けよう」 「ありがとうございます」 たった一人が加わるだけで明日の社交会が待ちきれなくなったレオン。この日はいつも以上にワインが美味しく感じられた。 ***** 翌日の夜。エリスは更衣室にて、国王に用意された複数の衣装を試着していた。 仕切りの向こうには、レオンがソファに座り、その支度を待っている。 しばらくして、仕切りの中からエリスの声が届く。 「レオン殿下…着替え、終わりました」 「そうか、見せてくれ」 変装を身にまとったエリスが、おずおずと少し恥ずかしそうに出てくる。 腰まで流れる黒髪のウィッグ。毛先はまっすぐ切り揃えられ、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。深い紫を基調とした、繊細な花の刺繍があしらわれたチャイナドレスが、細身の身体に静かに寄り添っている。 異国の空気をまとった、美しい姫。そんな印象だった。 仕切りから出てきたエリスの姿を見て、レオンは目を見開いた。 「……凄い変わりようだ。誰も、君だとは気付かないだろう」 エリスは少し不安げに、ウィッグの端を指で触れながら言った。 「……大丈夫でしょうか。何かあった時に備えて、なるべく動きやすい服を選んだのですが……」 声には、少しだけ緊張が滲んでいた。そんなエリスに、レオンは柔らかく微笑みかけた。 「すごく似合っている。……と言われても、あまり嬉しくないかもしれないけど」 エリスが少しだけ戸惑ったように笑う。 「本当に素敵だ。君なら大丈夫だよ」 そう言いながら、レオンはエリスの横に立ち、自然に肘を差し出す。エリスは、わずかに躊躇いながらも、その腕にそっと手を添えた。 その仕草は、まだ不慣れで、でも確かに気品を帯びていた。 * 社交会は、光の海だった。 シャンデリアが煌めき、各国の王族とそのパートナーにあたる貴族たちが談笑し、笑い声を響かせる。 そんな中、リューネス皇太子レオンと、その隣に立つ黒髪の異国の令嬢──エリスが、静かに会場へ入ってきた。 一瞬にして、視線が集まる。 「レオン様、素敵……!」 「艶やかなブロンドに碧眼……まるで絵本の王子様ね」 羨望と憧れの視線がレオンに注がれる一方で、エリスにもまた、好奇と興味の眼差しが向けられていた。 「……あの方はどなた?」 「珍しいお召し物だわ。どこのお国かしら?」 「レオン殿下が同伴を連れるなんて、初めて見るな」 最初、エリスはその視線にぎこちなく緊張していた。だが、レオンと話しかけに来る王族たちのそばで、彼らの交流や国事情に耳を傾けるうちに、次第に場に馴染んでいった。 エリスは目を輝かせながら話を聞きつつ、しかし一歩下がった立場を崩さず、完璧な作法をこなす。 その姿に、レオンもまた、そっと目を細める。 (……本当に、よく馴染んでいる) 主張しすぎることなく、だが芯のある美しさを纏う。仮初めの同伴者であるはずなのに、隣に立たせることが自然に思えるほどだった。 そんな中。 エリスの耳に仕込まれたインカムから、緊迫感のある声が届いた。 《不審者発見。二階、八時方向》 すぐに目線を上げる。柱の影に、かすかな動き。 目立たぬように、エリスはレオンに微笑みながら顔を近づけ、耳元で囁いた。 「殿下、侵入者がいるかもしれません。一度、移動をお願いいたします」 「……わかった」 レオンも短く答え、自然な動作で彼女に従った。エリスは仲睦まじく見えるようにレオンに話しかけながら、死角を選び、壁沿いへと誘導していく。 だが、その途中。 向こうから歩いてくる使用人の男の動きに、違和感を覚えた。裾を探るように動く右手。おそらくナイフが隠されている。 「殿下、すみません」 咄嗟にエリスはレオンの前に立ち、小さく告げる。 次の瞬間、早足で男が接近してくる。ナイフが隠されているであろう方の手を振りかぶる。 その瞬間、レオンに低く囁く。 「少し、離れてください」 エリスは先手を打った。 素早く男の左胸に肘を入れ、前傾した瞬間に右手首を叩き、握られたナイフを弾き落とす。同時に男の膝を払うように蹴り、バランスを崩させた。 男が呻きかけた瞬間、エリスは右手で顎を跳ね上げ、体勢を制して首筋に腕を回し、頸動脈を正確に絞める。無駄な音を立てさせず、静かに、確実に。 男の体から力が抜けると、素早く体を支え、柱の陰の壁沿いにそっと座らせた。 「殿下、こちらへ」 エリスは再びレオンに近づき、落ち着いた声で促した。 「……すごい早業だな」 レオンが小さく呟いたが、エリスは表情を変えず、すぐに死角へと誘導する。 * 「こちらで少しお待ち下さい」 エリスはレオンを安全な位置に案内すると、二階に繋がる階段へと向かいながら素早く通信を入れた。 《使用人に紛れた刺客確認、制圧完了。他にも紛れているはずなので、引き続き警戒をお願いします》 その直後だった。 「キャーーーッ!!」 場内に響く悲鳴。会場は騒然となる。振り返れば、別の男が一人の令嬢を人質に取っていた。 エリスは即座に指示を飛ばす。 《会場前方、ドリンクテーブル前!警護班急行!》 直後、警備兵たちが駆け寄り、不審者と揉み合いになる。 《できるだけ制圧を。二名は二階へ行き、他の不審者も確認して!》 命令を飛ばしながら、エリスは踵を返し、レオンのもとへ急ぐ。 その瞬間、新たな敵影がレオンに向かって走り寄ってくるのが見えた。 「っ……!」 エリスはためらわず駆け寄り、レオンと男の間に割って入る。新たな不審者は、防具を着込み、先ほどの男よりも明らかに動きが鋭かった。 (気絶じゃ間に合わない…) 咄嗟の判断で、エリスは男のナイフを払うと、弾かれたナイフは壁に刺さる。そのナイフを一瞬で抜き取ると、体勢を低くし、男の懐に入り込んで、その太腿へ突き刺した。 「ぐっ…!」 男の動きが鈍るが、すぐに銃を抜き取って一発放った銃口から放たれた弾は、的を外れ、壁にのめり込む。 エリスは男の銃を持つ手の外側から、その腕を支えに、体を反転させつつ男の顔目掛けて飛び蹴りする。カクン、勢いよく首が曲がり、手の力が一瞬抜けた隙に銃を叩き落とし、奪い取る。 男を後ろ手に拘束すると、防具の腹部にある少しの隙間に銃口を押し当て、引き金を引いた。装填された弾が切れるまで、寸分違わぬ冷静な手つきで。 その間に、会場では王族たちの避難が始まっていた。エリスはすぐレオンの手を取り、告げる。 「殿下、こちらへ」 混乱の波からレオンを守るように、他の王族たちとは反対の裏口へと誘導する。 裏口には、ヴァレオン王国の待機車両が停められていた。ドアを開け、レオンを乗せ、エリスもすぐに乗り込む。 車はすぐさま発進し、会場を後にした。 ──だが。 この時、車に乗り込む直前。 二人の姿は、影の中からレンズに収められていた。 誰も、その一瞬を知る者はいなかった。

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