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第30話 仮初の姿を脱いだ君

エリスや警備兵たちの迅速な制圧により、昨夜の社交会の騒乱は大事には至らなかった。 すぐに駆けつけた警察が侵入者たちを捕らえ、詳細な取り調べが行われた結果── 今回の事件は、上流階級を狙った無差別テロだったようだ。レオンが狙われたのは、単に目立つ容姿ゆえだろう。 * リューネス皇太子の客間。 レオンは、朝食のトレイと一緒にメイドから渡された新聞を手に、ソファに腰を下ろしていた。 紙面には、大きく昨夜の騒動の様子が取り上げられている。だが、彼の目が止まったのは次のページだった。 そこには、会場の裏口から車へと乗り込む二人。レオンと、変装を施したエリスの姿が、はっきりと写っていた。 静かに、レオンは微笑んだ。 「……よく写ってるじゃないか」 黒髪が風に揺らされ、前髪から覗く翡翠の瞳。ドレスのスリットからは引き締まった足がのぞき、不思議な色気を醸し出している。 思い返すのは、あの瞬間。 体格で勝る男、銃を持った刺客を、あっという間にねじ伏せた強さ。華奢に見えるその身体に宿る、本物の力。 「君の魅力は……本当に底知れないな」 レオンは、誰に聞かせるでもなく、静かに呟いた。 そして改めて、記事に視線を落とす。 そこに書かれた見出しは── 《リューネス王国皇太子、異国の美女をお持ち帰り!?》 “祖国の令嬢たちには目もくれず、謎に満ちた異国の姫にご執心!? 騒動に紛れ、夜会場から手を取り合い、高級ホテルへ直行──情熱的な夜を過ごしたとの噂も” 「……はは、ひどいな」 レオンは声を出して笑ってしまった。 ──人目を憚らず情熱的なキス。 ──ホテルに入ったきり夜通し五時間。 ──新たな恋の噂。 どれもこれも作られた話。 事実は、会場からヴァレオン王国の車に乗った、それだけだ。話題作りのためだけに過剰に脚色された物語。滑稽すぎて、どこか愛おしくすら思える。 そんな時、控えめなノック音が響いた。 「エリス・ラナ=ヴァルティアでこざいます」 「どうぞ」 入ってきたのは、軍服姿に戻ったエリスだった。 静かに、まっすぐに、エリスは頭を下げた。 「殿下、今朝の記事の件で……私の不注意により、殿下を巻き込んでしまい、申し訳ございません」 レオンは苦笑しながら新聞をたたみ、首を振った。 「謝ることじゃない。むしろ……ツーショットなんて、いい記念になったよ」 そして、少しだけ声を落とす。 「私の方こそ、感謝しなければならない。君は私の命を、完璧に守り抜いてくれた。本当に、ありがとう」 エリスは顔をあげる。目には少し安堵の様子が。 「……寛大なお心、感謝いたします」 レオンは、ふと眉を寄せた、苦しそうな表情を浮かべた。 「君に、他国の情勢や考えに触れる機会をあげたいと思って……無理に引っ張り出してしまったせいで、巻き込んでしまったな」 エリスは目を伏せ、そしてふわりと笑った。 「……そうだったんですね。本当に、とても貴重な機会でした。 戦うことなど、なんてことありません。人を守るのも、私の使命ですから」 その笑顔に、レオンは一瞬、息を呑んだ。 やはひ、仮面を脱いだ素の君こそ、何より美しい── 心の底から、そう思った。 レオンは冗談めかして、口にする。 「それで?謎の異国美女は、どこへ行ってしまったのかな?」 エリスは、くすっと小さく笑い、 「……彼女は国に帰りました。もう戻りません」 と、冗談を受けるように応じた。 「……それは残念だ」 そう言って、レオンは自然な動作でエリスの手を取る。 そして、そっとその甲に、静かなキスを落とした。 エリスは、戸惑ったように目を伏せる。 「…それでは、任務がありますので……失礼いたします」 恭しく頭を下げ、エリスは踵を返した。 レオンは、その背中を見送りながら、ふと願う。 (どうか、こちらに振り向いてくれないだろうか) ほんの一度でいい。 いや、それは嘘だ。翡翠の瞳は、自分だけを見ていてほしい、ずっと。 静かな願いが、王宮の朝に溶けていった。

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