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第32話 静かな決意と、二人の男
リューネス国王一家の帰国が間近に迫ったある日。
訓練を終えたエリスは、応接間に呼び出された。
そこにいたのは、淡いピンクのドレスを身に纏った皇女ヘレネ。普段の愛らしい笑顔はなく、どこか神妙な面持ちで椅子に座っていた。
「お越しくださって、ありがとうございます、エリス様」
「いえ。…何か、ご用件が?」
ヘレネは胸元で手を握りしめ、ゆっくりと口を開く。
「私…グラント様に、結婚の申し出をしようと思いますの」
一瞬で、エリスの体から血の気が引いた。鼓動の音が耳に響く。口を開こうとしても声が出ない。
ヘレネは続ける。
「どうか…最後のお願いです。二人きりでお会いする機会をいただきたいのです」
その瞳は真剣だった。恋する少女の、真っ直ぐな決意が宿っていた。
「……わかりました」
絞り出すように、エリスは応じた。
(また、僕は……)
張り裂けそうな心を、ひたすら抑えて。
*
同じ頃、グラントは国連の協議を終え、席を立つと、リューネスの国王に呼び止められていた。
「娘がすまないね。滞在の間ずっと君に付き合わせてばかりで」
「いえ、そのようなことは…」
「だが分かってほしい。ヘレネはまだ幼いが、あれでも真剣だ。君に心から惹かれている。
どうか、一度考えてはくれないか」
丁寧な口調ながらも、明確な意志が込められた“打診”。
グラントは口を開きかけ──
「返事は今でなくていい。帰国後でも構わないよ」
遮られた。グラントは一歩引くように視線を伏せた。
「……はい」
それが、限界だった。
*
その後、グラントは自室に戻るため廊下を歩いていた。
そこで出くわしたのは、白い衣を翻すように歩いてくるレオンだった。
「皇太子殿下」と軽く会釈し、通り過ぎようとしたその時──
「手放してくれないか」
レオンの声が、静かに、響いた。
足を止めたグラントが顔を上げると、レオンは真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「君は、彼を苦しませてばかりだ」
「……」
「あんな健気な者を、放っておいたり、縛りつけたり…
──あの日、私がいなければ、彼は崩れていた」
「……あの日、とは?」
「君がエリスを呼び出した夜があっただろう。その後、彼は中庭で声を押し殺して泣いていた」
グラントの目が大きく見開かれる。
「……なんだと」
「どこまでも懸命で、聡明で……それなのに、どうして無碍にできるんだ。彼の寛容さに甘えすぎでは?」
ズキリ、と胸を抉るような言葉。
拳が握りしめられ、節が白く浮かぶ。黄金色の瞳に殺気が滲む。
あの夜、エリスに向かって言った自分の言葉が、回って返ってきたようだった。
「は。そんな顔をするくらいなら……最初から、もっと大事にしてやればよかったんじゃないか?」
レオンはそれだけ言い残し、すれ違って去っていく。
ポタッ、とグラントの拳から赤い水滴が流れ落ちた。
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