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別人
朝でも夜でもない曖昧な時間の匂いが、部屋に残っていた。
澪はソファの背にもたれたまま息を吐く。
視線の先には、見覚えのない荷物がひとつ。
というより、人間がひとり。
「……くそが」
昨夜の記憶は断方的にしか残ってない。
路地裏。
寄った男。
弁償。
――美波仁都。
澪は眉間を押さえた。
「家、どこだ」
そう聞いたはずだったのに、返ってきたのは曖昧な笑い声だけ。
「……家どこだっけ」
「……ふざけてんな」
「ふざけてない」
やけに真面目な声だったのが、逆に質が悪い。
結局、家はわからなかった。
スマホもロックが掛かっていて役に立たない。
そして気付けば、自分の家の前だった。
「……なんでだよ」
床に座りこんだままの仁都はゆっくりと顔を上げた。
茶色の髪は少し乱れ、さっきの曖昧さがまだ残っている。
けれど次の瞬間、それは幻だったかのようにすっと消えた。
「ここ、おにーさんち?」
声の温度がまるで違った。
昨夜のだらしなさが嘘みたいに、言葉が整っている。
澪は一瞬、反応が遅れた。
「……あ?」
仁都は軽く目を細めて、周囲を一度だけ見回した。
乱れた呼吸も、酔いの揺れももうない。
「悪い。昨日の記憶ところどころ飛んでるわ」
淡々とした口調は、昨夜の人物とはまるで別人みたいだった。
「じゃあ今、説明しろ」
澪が低く言うと、仁都は少しだけ肩をすくめる。
「路地裏で倒れてたのは覚えてる。あとお前に拾われたのも」
そこまで言って、ほんの一瞬だけ視線が澪へ止まる。
「……俺はまた、一体なにをやらかした?」
「……は?」
澪の声がわずかに低くなる。
その反応を気にした様子もなく、ゆっくりと目を細めた。
「いま何時?」
「まだ朝の四時半だが」
「俺、今日ライブあんだわ。送って」
「……は?」
本来の目的を忘れているのかと思わせる態度に、眉間に皺が寄る。
「その前にお前、スーツのこと忘れたとは言わさないぞ」
「スーツ?俺なんかしたっけ?」
その一言で、澪の空気が一段と冷える。
「……ふざけてんのか」
「いやほんとに」
悪びれた様子もなく、軽く首を傾げるだけだった。
まるで心当たりがないというより、興味がないといった態度。
澪は一歩近づく。
言い聞かせるように視線を落とす。
「俺のスーツ汚したのは誰だ」
一瞬の間。
「……ああ」
「思い出したか」
「悪い」
あまりにも軽い謝罪。
何事もなかったかのように顔をあげる。
「弁償するからさ、とりあえず送ってよ」
「無理」
「じゃあもう今日のライブいいや」
あっさりした結論だった。
澪は呆れたように大きな息を吐く。
「ほんとにアイドルなのか」
その言葉に、仁都は一瞬だけ止まる。
そして、薄く笑った。
「そう見える?」
その笑いだけが、さっきまでと少し違っていた。
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