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昔
出張を終え、いつもの日常が戻ってきた。
会社へ顔を出した途端、社長室へ呼ばれる。
「助かったよ、一之瀬」
珍しく上機嫌な社長が、缶コーヒーを投げる。
「先方もかなり満足してた。さすが一之瀬」
「そうですか」
それ以上の会話は特にない。
与えられた仕事を淡々とこなすだけ。
社長室を出るとそのままデスクへ戻る。
メールを確認し、書類を片付け、次の案件へと目を通す。
こちらが出張を終えた頃、仁都も帰ったというLINEをよこしていた。
既読だけつけて放置したが、その後もどうでもいい写真や、意味の分からないスタンプが送られてきていた。
仕事が終わる頃には、通知だけで十件近い。
「ひまか」
小さく呟きながらスマホをポケットへしまう。
時計を見ると、まだ真っ直ぐ帰るには少し早い時間だった。
気分転換でもしようと、そんな気まぐれだった。
駅から少し離れた路地裏。
路地裏を通ると、出会った頃をふと思い出す。
「……面倒だな」
小さく舌打ちをし、歩みを進める。
滅多に来ることはないBARの扉を開けると、落ち着いた照明と静かなジャズが澪を迎えた。
数人の客の中に、見覚えのある横顔が目に入る。
カウンター席で、ひとりグラスを傾けていた男もこちらへ気付いたらしい。
お互い、ゆっくりと視線が合う。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
先に口を開いたのは男だった。
男はグラスを揺らしながら、面倒そうに眉を寄せる。
「最悪だな」
グラスを傾けながら、こちらに鋭い視線を向ける男に舌打ちを返す。
「帰る」
そう言って踵を返した。
わざわざ酒を飲みに来てまで、顔を合わせたい相手じゃない。
「まて」
男の低い声が背中に飛ぶ。
それでも足は止めず、入口へ向かう。
すると、男が小さく息を吐いた。
「仁都」
その一言で、足が止まる。
BARの静かな空気の中、数秒の沈黙が落ちた。
「……話すことはない」
冷たく返すと、男は鼻で笑う。
「まあ、一杯くらい付き合え」
小さく舌打ちをして、ゆっくり振り返る。
「やっぱお前、押しに弱いな」
そう言って、男は小さく笑った。
皮肉を含んだような笑みではなく、どこか呆れたような顔。
「……変わってないな」
ぽつりと零された言葉に、澪は眉を寄せる。
返事はしなかった。
そのまま空いている隣の席へ腰を下ろす。
男はなにも言わない。
ただ、小さく笑うだけだった。
カウンター越しにバーテンダーが視線を向ける。
「ご注文は?」
男のグラスに目をやると、琥珀色の液体が静かな照明を反射している。
「同じので」
短く告げると、男がわずかに眉を上げた。
「飲めたか、これ」
「お前のせいでな」
男は鼻で笑いながらグラスを傾ける。
やがて男とおなじ酒が置かれると、氷の触れ合う小さな音が静かな店内へ響いた。
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