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距離
――気分が悪い。
澪がぽつりと落としたその一言に、部屋の空気がわずかに揺らいだ。
さっきまで流れていた緩い時間が、そこでふっと途切れる。
仁都の手が止まった。
ほんの一瞬だったが、その沈黙は妙にはっきりと感じられた。
「え、もしかして嫉妬?」
冗談めかした軽い声だった。けれどその奥にはどこか探るような慎重さが滲んでいる。
澪は答えなかった。
視線すら向けず、ソファの背もたれに深く身を沈める。
部屋に静かな沈黙が落ちた。
時計の針の音さえ聞こえそうな程の静けさの中、やがて隣でソファが微かに軋む。
「え、なんで無視すんの」
少しだけ拗ねた声が沈黙を揺らす。
澪はゆっくりと目だけを動かした。
一瞬だけ仁都を見るが、すぐに視線を逸らした。
「いい加減うるせえ」
これで終わりにするつもりだった。
「いや気になるっしょ」
「気にならない」
間髪入れずに返る言葉。
その返答に、仁都が小さく笑った気配がした。
「期待しちゃうよ俺。いいの」
軽い調子で放たれたその一言は、冗談の形をしていながら妙に逃げ道がなかった。
近い。距離だけじゃない。
視線が呼吸の隙間にまで入り込んでくる。
澪は煙草を咥えたまま、ゆっくりと息を吐いた。
返事の代わりみたいに吐き出された煙が、唇の端からほそく解けていく。
表情は決して変わらない。
それでも胸の奥ではわずかに波立つものがあった。
仁都の言葉を聞き流せない自分に気付いてしまったせいだ。
紫煙がふたりの間を漂い、曖昧な幕を作る。
けれど、その向こうにある仁都の眼差しだけは不思議なほど鮮明だった。
何も返さないまま時間だけが流れる。
その沈黙を確かめるみたいに、仁都がもう一歩だけ距離を詰めた。
ソファが小さく軋む。
気配がすぐ隣ではなく、触れられる側に寄ってくる。
澪が視線を動かした瞬間だった。
指先が頬に触れる。
軽く、確かめるような触れ方だった。
「こたえてよ」
低く落ちた声。
近すぎる距離のまま、逃す気のない静けさだった。
その一言が落ちた瞬間、澪の目が僅かに細くなる。
見下ろされている。
その構図が気に入らない。
次の瞬間、肩を押した。
ソファが沈み、仁都の身体が背もたれへ崩れる。
視線の高さが入れ替わる。
今度は澪が上にいる。
煙草を咥えたまま、片手で髪をかきあげる。
乱れた前髪が指をすり抜けて落ちていく。
そのまま逃がさない距離で見下ろした。
「どう答えて欲しい」
静かな声だった。
さっきまでとは違う質の違う熱を帯びた声音に、仁都は一瞬だけ言葉を失いそれから小さく笑う。
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