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エピローグ
フェリーの汽笛が港に響き渡る。
俺たちは行きと同様その巨大フェリーを横目に小さな船を降り、ようやく本土に着地した。
「はあ〜……なんかようやく帰ってきたって感じする〜」
「ほんとそれ。濃い一週間だったな」
「なー」
たくさんの人が行き来するフェリー乗り場を歩きながら、俺は大あくびをした。
あの日、凌と付き合い始めた日から五日経っただけだけど、一年くらいあの島にいたような気分だ。
「俺、新幹線で爆睡しそう……凌は平気?」
「うん、俺は全然。起こすから寝てて大丈夫だよ」
そう言って、憑き物が落ちたような顔で笑う凌のまばゆさたるや。
辰巳を追い出して、『終いの儀式』の場で初エッチをした翌日——……島では色々と異変が起き、俺たちはとにかく忙しい日々を過ごしたのだ。
あの日の翌日、漁港は近年稀に見る大漁で大忙しだった。
ここ数年収穫量は右肩下がりに落ちていたらしく、もう漁業の町としてやっていくのも絶望的かと思われていたらしい。
だがあの日以降、漁師のおっさんたちが悲鳴を上げるほどの豊漁が続き、町の大人たちは海の家を回す余裕もないほど大忙しだった。
俺と凌がふたりで切り盛りすることになり、とにもかくにも忙しかった。
もう一つの異変は、島に新たな温泉が出たことだ。
今は神社の裏山から細々と湧いている温泉を加熱して使っていたらしいのだが、そのすぐそばで新たな源泉が勢いよく噴き出した。
湯量が豊富な上に今度は五十度程度の適温の湯がたっぷりと溢れ出し、本土からわらわらと役所の人や地元ローカルのテレビクルーたちが訪れて大騒ぎしていた。
そんなわけで、辰巳も島を出ていく余裕がなくなってしまったらしい。
俺たちと顔を合わせることは避けているようだったけれど、漁協に出入りしたり役人の相手をしたりととにかく忙しそうだった。
そしてあっという間にアルバイトの期間は終わり、俺たちは東京に戻ることになった。
新潟駅への路線バスに揺られながら、またあくびが出る。
膝に抱えたリュックを抱きしめながら、俺はちらりと凌の横顔を見つめた。
——まだ信じらんねーな。凌が俺の彼氏だなんて……。
想いを告げ、濃厚な行為にどっぷり浸ったあの熱い夜のことを思い出すだけで、腹の奥がきゅうんと切なくなる。
忙しすぎて毎晩爆睡していたため、あれ以降はまだ本番はできていないけれど、帰ったらたくさん凌とイチャイチャしたい。
ラッキーなことに、大学の夏休みは長いのだ。
凌のことをもっともっとたくさん知りたいし、もっと俺のことも知ってほしい。
——ああ……なんか人生バラ色ってかんじ。早くいちゃつきてー……。
「ん?」
「えっ、あっ……なんでもない」
あまりにうっとり見つめすぎたせいか、凌が小首を傾げて微笑んだ。
気づけば駅に到着していて、ぞろぞろと客がバスを降りようとしている。
「さ、俺たちも降りよう。なんか食ってから新幹線乗るだろ?」
「うんうん、そーしよ。にしても、凌んちで食べた海鮮はまじでうまかったな〜」
「よかった。そこだけは自慢だから」
雑踏の中を歩きながら微笑む凌に見惚れていると——……ふと、その足がぴたりと止まった。
その目線の先を見ると、小柄なメガネの男と小さな女の子を抱いたショートカットのスレンダー美女がいる。いったい誰だろうか。
「あっ! 凌〜!! 久しぶり!」
「凌くん! おかえり!」
どうやら凌の知り合いらしい。
二人の姿を認めた凌は親しげな笑みを横顔に浮かべ、俺を見てこう言った。
「あのふたり、俺の小学校の同級生だよ。結婚して本土に住んでるんだ」
「へ? 同級生? あれっ? 船の事故で死んだんじゃなかったの!?」
きょとんとしてしまう。
だって凌は、『ふたりとも、もうここには戻れないから』……なんて不穏なこと言ってたよな!?
ふたりともめちゃくちゃ元気そうだし、しかもものすごい幸せそうだが?
きょとんとした顔のまま見上げると、ふはっと凌が噴き出した。
「あははっ、死んでない死んでない! 事故に遭って以来船が怖くなっちゃって、ふたりとも島の学校に通えなくなったんだ。おかげで卒業式は俺ひとりで、寂しかったなあ」
「え? あ、そういうこと!?」
「しかも高校卒業と同時に授かり婚。ご両親もこっちで一緒に住んでて、すごく幸せそうなんだ」
「へえ〜」
親しげな笑顔とともにふたりに歩み寄っていく凌についていきながら、俺は安堵のため息をついた。
島の雰囲気に気圧され、勝手に不穏な空気感を感じてハラハラしていた自分がバカみたいで笑えてくる。
「久しぶり。わあ、ミカちゃん大きくなったな」
「ついに魔の二歳児よ。可愛いんだけど手がかかるんだわ」
「ママが怖いから僕にべったりなんだよね〜」
同級生三人が和やかに再会を喜んでいる姿を眺めていると、自然と笑みが溢れる。
なんとなく影を背負っているように見えた凌だが、今は心から純粋に楽しそうな笑顔を浮かべている。
神社の……というよりも辰巳の呪縛から逃れることができたからだろうか。
——それとも、俺という恋人ができたから? だったらすげー嬉しいんだけど。
俺の存在が凌の中でいかほどの大きさを占めているのかはまだわからないけれど、もしそうなら嬉しいな……なんてことを考えていたら、凌がくるりと振り返り、親しげに俺の肩を抱き寄せた。
「りょ、凌?」
こんなところでなにを……!? と仰天していると、凌はちょっとはにかむような表情とともに、ふたりに俺を紹介してくれた。
「こちら瀬南結希、くん。大学の同期」
「あ、どうも〜。凌くんにはいつもお世話になってます」
「ほう……ほうほうほう、君が噂の結希くんかぁ!!」
「ん? 噂のって?」
同級生夫婦の目が……特に奥さんのほうの目がキラキラと輝き、ガシッと力強く手を握られた。
「あたしらたまに三人で電話するのね。んで、凌が珍しく気になる人がいるとか言い出すからさぁ! いったいどんな人なんだろうって気になってたんだあ!」
「うええ? そーなんすか!?」
「凌がゲイってことは昔から知ってたし、この顔でしょ? イケメンすぎて、都会でアブナイやつにひっかかりゃしないかってめちゃくちゃ心配してたんだけど……そっかあ、ちゃんと付き合えたんだ! よかったあ」
ちゃきちゃき早口で喋る奥さんの隣で、旦那さんが涙目になりながらゆっくり頷いている。そして娘ちゃんは、楽しげな大人たちを不思議そうに見上げている。
凌は顔を真っ赤にして「そういうことは、本人に言わなくていいから」と言った。
「よかったらまたうちにも遊びに来て! 喋りたいことたくさんあるし、凌の小さい頃の写真も大量にあるから!」
「まじっすか。絶対行きます、楽しみ〜!」
わきあいあいとご夫婦と連絡先まで交換し、手を振って別れる。
ふたりきりにも戻り、俺はうりうりと凌の脇腹を小突いた。
「なんだよなんだよ、幼馴染みに俺のこと相談してくれてたわけ?」
「っ……そ、それは……うん」
「あははっ! まじか! なんか嬉しい」
「いきなりごめん。結希と帰省することを伝えたら、どうしても一目会いたいっていうからさ」
「ううん、俺も嬉しかった。生きててホッとしたし」
俺がそう言うと、凌は苦笑した。
そして、ぽつりとこうつぶやく。
「故郷に抱いてた嫌悪感みたいなものがようやく消えたよ。辰巳さんが俺とやるために架空の妙な儀式を作り出していただけだったわけだし」
「うん、まあ、そうだよな」
「それはそれとして、神社じまいはすることになってホッとした。両親は神社を大事にしてたから継がなくちゃって義務感があったけど、それが重荷にもなっててしんどかったからな……」
神社は閉め、龍神様は小さな祠に引っ越ししてもらうことになった。
これからは、島民たちが代わる代わる祠のお世話をしていくとのことだ。
「あの儀式が必要だったのかどうかはわからないけど……あの日の明け方、妙な夢を見たんだ」
「夢?」
凌いわく。
夢の中に、青白く輝く龍神が舞い降りてきた。
龍神はやわらかな女性の声音で、凌にこう告げたのだという。
『昨日はたいへんたいへんよいものを見せてもらった。末長くしあわせになりなさい』
『新たな祠は小さなものを。港のすぐそばに置きなさい』
——と。
その夢がお告げかどうかわからないけれど、町の人たちでお世話がしやすいように、祠は海沿いに建てることになっている。
「へ、へえ……すげえ。龍神様と会話してるじゃん。お告げじゃん。てか、よいものって……?」
「たぶん俺たちのセックスかな……と」
「マジか! ……てことはさあ、神様はほんとにいて、しかも近くで俺らのエッチ見てたってこと? で、そうとう喜んでくれたから、大漁だったり温泉出たりしたってこと!?」
「んー、偶然だと思うけどなあ。……それにさ」
するりと凌の指が俺の指に絡まる。
真剣な眼差しでじっと俺を見つめながら、凌は低く囁いた。
「結希が可愛く乱れてるとこ、誰にも見てほしくないな。たとえそれが神様でも」
「りょっ、凌……」
「帰ったら、たくさん結希を抱きたい。これまで我慢してたぶん、たくさん」
「っ〜〜〜」
——か、かっこいい〜〜〜〜…………!!
きゅんきゅんきゅんと胸が騒いで、ときめきが止まらない。
俺はぎゅっと凌の手を握り返し、でれでれのゆるい笑顔でこう言った。
「へへ〜、俺も同じこと考えてた! ……そういうことなら、駅弁買って新幹線で食お。早く帰ろーぜ」
「うん、そうしよう」
俺たちは笑い合い、小さく指を絡めたまま駅弁売り場へ向かう。
今年は人生で一番熱くて楽しい夏になりそうだ。
おしまい♡
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました!
いつもリアクションなどありがとうございます♡
久しぶりの新作投稿でなんだか緊張していたので、とても励みになりました!
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