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第4話
シャワーを済ませ、厚手のパジャマに着替えると半乾きの髪のままでリビングに戻った。
先生はさっきと寸分違いないくらいの姿勢でソファにあぐらをかき、ビールを飲んでいる。
「また飲んでんの?」
近づいていくと、先生はテレビから視線を外して横目で僕を見た。
「別にいいじゃねえか。明日休みなんだから」
「別にいいけどさ」
「おまえも飲めば。まだあるだろ」
せっかくなので、僕も冷蔵庫からもう一本取り出してきた。家じゃもちろんこんなの飲ませてもらえない。先生の隣に腰かけると、ガラステーブルの上にはすでに別の空き缶が一つあった。焼肉屋でも飲んでたし、換算するとけっこうな量になる。
「いつもこんなに飲むの?」
「一人のときは飲まねえな、こんなには」
「一人じゃなくて誰かがいたらいっぱい飲むの?」
「……そうかもな」
「ふうん」
テレビから騒々しい笑い声がした。番組はバラエティに変わっている。
「先生もこういうの見るんだ」
「あんまり見ねえかな」
「じゃ、なんで見てんの」
「なんとなく」
そのままなんとなく、チューハイを飲みながら先生と並んでテレビを見た。普段はあんまり見ないと言ったけど、先生はときどき笑い声をたてた。僕も同じところで笑いはしたけれど、何か釈然としなかった。
なんだか友だちの家に遊びに来てるみたいだった。これといってすることもなくて、だらだらとテレビを見て過ごすあの感じ。コマーシャルの間に窺い見た先生は、つまらなそうな顔でぼんやりと画面に目を向けていた。
僕は、先生にとって友だちの一人なんだろうか。僕にとって先生は、友だちなんかでは決してない。もし、友だちのようなものと思っているなら、先生はどうして今日、僕をここに連れてきたんだろう。それが先生の優しさなんだとしたら、そんな優しさは僕はいらない。
「……なんだよ」
僕の視線に気づいて、先生が振り返る。
「先生」
「何」
「先生は、おれがどういうつもりで今日来たかわかってんの?」
つい、強い口調になってしまった。先生に悪気がないのはわかっている。わざとそんなことをする人じゃない。でも、もう少し意識してくれてもいいように思う。
「……は?」
僕の苛立ちに同調したのか、先生もかすかに眉間にしわを寄せた。いつも飄々として不愛想な先生だけど、そんな怖い表情を見るのは初めてだった。
「おまえがどういうつもりで今日来たかくらい、俺がわかってねえとでも思ってんのかよ」
不機嫌そうな言いように、僕はちょっとひるむ。
「……だって、なんか、冷たいし」
思わずすねたみたいな、子どもみたいな言い方になった。でもしょうがない。都合のいいことを言うようだけれど、僕はまだ中学を卒業したばかりの子どもなのだ。
先生は小さく息を吐くと、持っていたビールの缶を置き、ソファの上で僕と向かい合った。
「冷たくしてるつもりはねえけど。ただまあ、こっちの身にもなってみろよ」
「え?」
先生はまだ少し濡れている髪をかき上げ、片膝を立てて頬杖をつく。
「おまえがどういうつもりで来るかくらい、どう考えたって百も承知だろ。こっちだってそのつもりで泊めるんだし。そりゃ、こないだはあんな特殊な状況で、あんな行ったこともねえ場所でさ、なんか雰囲気っつーか、勢いっつーか、そういうのあったけどさ。今日はおまえ、全部わかったうえで、しかも自分の部屋だし、なんつーか、やっぱさ」
そう言って先生は視線を外し、言いにくそうにして、ひとりごとのように結局、言った。
「緊張するだろ」
その言葉に、僕は呆気にとられる。
先生は今なんて言った?
緊張する?
僕に対して?
これから起こり得ることを考えて?
急激にこみあげてくる感情に、翻弄されそうになる。それって、先生は僕のことをちゃんと意識してくれていて、最初っからとっくにそのつもりで僕とこうして、ソファに隣り合って座っていたっていうことで。
「先生」
先生は、決まり悪そうな顔で視線をそらせたままだった。言うんじゃなかったと後悔しているのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。
ちゃんと僕のほうを見ないでいた先生に、身を乗り出して口づけた。先生は一瞬身じろぎしたけれど、嫌がらなかった。先生の唇はほのかに苦味がした。さっきまで先生が飲んでいたビールのせいだ。
「先生」
「……ンだよ」
「もしかして、緊張をほぐすのにお酒ばっか飲んでたの?」
「まあな」
「でもさ、そんなに飲んでさ、酔っぱらって記憶が無くなっちゃったりしないの」
「安心しろ。さっきから飲んでも飲んでも全然酔えねえ」
僕は思わず口元を緩めた。少しふてくされたような顔の先生が、六つも年上なのにかわいく見えたからだ。
「……嬉しそうな顔しやがって」
「だって、嬉しいんだもん」
僕は緩みっぱなしの口元を先生に近づける。今度は先生も顔を寄せてきてくれた。重なった唇から先生の呼吸が伝わってくる。もっともっと深く合わせたくて、知らず先生を押すようなかたちになった。先生は後ろの大きなクッションにもたれかかる。
安定のよくなったところで僕は、そっと舌で先生の前歯の先をなぞった。先生の舌先に触れる。触れたとたん、からめとられた。その心地の良さに僕はもうついさっきまで頭の中にあった不満なんかいっぺんにどこかへ飛んでいってしまって、夢中になった。夢中になって先生のトレーナーの中に手を差しこみ、しっとりとして吸いつくような肌に手の平をはわせながら指先で胸の突起を探ってゆく。離した唇を耳の下から首筋へと落としてゆくと、おいおい、と先生に止められた。
「こんなところで始める気かよ。あっちにベッドがあるんだからわざわざここでしなくてもいいだろ」
「……そう?」
僕は別にここでもいっこうにかまわなかったけれど、先生の口から出たベッドという単語にはちょっと煽られた。今からベッドに行って、ちゃんと始める、のである。
先生は僕を押しのけ、ガラステーブルの上の残った缶ビールを一気に飲み干して、先に立ち上がった。
「電気消してこいよ」
そう言って寝室に入ってゆく。僕は言われたとおり後を追って、リビングの電気のスイッチを押すと、ベッドサイドの柔らかな間接照明だけが点る室内に滑りこんだ。
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