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第2話

 須田のおじいさんの家は、学校から電車で二駅隣にある。片道一時間弱かかる実家よりも近いので、進学と同時に須田は両親に「おじいちゃんの家から学校に通いたい」といった。両親は須田の願いを却下した。両親は、須田が自分たちよりも祖父にこころを許しているのをよく思っていない。  須田のおじいさんは須田にどこか似ている。性格というより、雰囲気が似ていた。そういうと須田は「髪と瞳の色だろ」と茶化してくる。  俺たちが小学校のときまで、おじいさんは俺たちの実家の近くに住んでいた。須田のおばあさんは須田とおじいさんがデンマークに住んでいるときに亡くなった。一人暮らしのおじいさんは、娘ーー須田の母親と家族の近くに住んでいた。  小学生のときは、須田のおじいさんも日本語を話せなかった。須田に誘われておじいさんの家に遊びに行くと、身振り手振りで歓迎してくれた。須田のおじいさんの家には、うちでは食べない海外のお菓子がある。小学生の俺にとって、須田とおじいさんは妖精だった。俺の知らない世界を知っている、俺の知らない言葉を話す美しい友人は妖精にみえた。  学校から二つ隣の駅で降りる。毎週金曜日から日曜日までの三日間、須田はおじいさんの家に泊まる。予定があえば、俺も須田と一緒に泊まる。今週は予定もないので、須田についてきた。  学校からおじいさんの家までは三十分。須田はずっと話していた。ねんざをした足を少しだけ庇いながら歩いている。 「痛い?」  軽いねんざだといっていた。昨日の部活中にねんざをしたので、応急処置も早かった。氷でよく冷やした足は大事には至っていない。それでも、須田の歩くスピードはいつもより遅い。 「へーき」 「……本当?」  疑ってしまう。須田は強がりだ。負けず嫌いの強がり。  おじいさんの家がみえてくる。グリーンの屋根が鮮やかな一軒家だ。家には花々の咲く庭がある。今年は桜の開花が早かった。四月半ばの今日は春爛漫。おじいさんの家の前の桜並木は緑色になっている。 「……じいちゃんには、ねんざの話しないで」  須田はぽつりといった。 「心配するから?」 「そう」 「……ひどいの?」 「ひどくねえよ。明日には治る。けど、じいちゃんは心配するだろ」  須田に「わかった?」と念押しされる。仕方なくうなずいた。 「よし!」 「よしってなに」 「じいちゃーん、きたよ」  須田が元気よくインターホンを押す。合い鍵を持っていても、いきなり鍵は開けない。須田とおじいさんのルールだった。 「おかえり」  迎えてくれたおじいさんは、春だというのに毛糸のセーターを着ている。ダークブラウンのセーターは、グレイの髪に似合っていた。 「暑くね?」 「年寄りは寒いんだよ」  整頓された室内に入ると、外はまだまだ寒いとわかる。おじいさんは俺たちにシナモンティーをいれてくれた。シナモンの香りが身体を温める。 シナモンティーを飲みながらバタークッキーをつまんだ。時刻は十九時。夕飯にしてもいい時間に、俺たちはお茶をしている。おじいさんは食事よりもお菓子が好きだ。俺たちが訪ねると、まずはお茶とお菓子でもてなされる。  おしゃべりな須田の話を楽しそうに聞いていたおじいさんがせき込む。須田は話をやめた。セーターを着た背中をさする。 「気管に入った?」 「っげほ」 「寒暖差で風邪ひいた?」  心配そうな須田におじいさんは「大丈夫」と微笑んだ。 「今日は庭いじりをしたから、少し疲れたみたいだ。もう休むよ。夕飯を一緒に食べられなくて残念だ。冷蔵庫にあるものはなんでも食べていいから」  おじいさんは名残惜しそうにいった。須田はおじいさんを寝室まで送った。  五分ほどして、須田はリビングに帰ってきた。青白い顔をしている。おしゃべりなくちはキュッと引き結ばれていた。 「じいちゃん、風邪かな」  須田はゆっくりと首を振る。 「たぶん、違う」 「そうなの?」 「じいちゃんさ、去年の夏から体調悪いんだと思う。智也も気がついただろ」 「……うん」  おじいさんは元々、身体が強くはない。愛妻を亡くして十年以上生きているのが不思議なくらいだった。 「病院にも通ってる。じいちゃんは隠しているつもりだろうけど、薬の袋もみた」 「そっか」 「でも、俺が通院しているコトに気がついてるのは、じいちゃんにはいわねーほうがいいんだと思う」  そういうと、須田は冷蔵庫から食材を取り出した。牛肉、じゃがいも、たまねぎ、人参、ブラウンシチューのルー。 「俺がつくろうか」 「いい。料理してるほうが気が紛れる」  須田は手早く食材を用意する。器用な須田は料理も得意だ。両親ともに働いているので、小さい頃から自分の食事は自分でつくっていた。専業主婦のうちの母さんは須田が気になるようで、いまでも週に一度は夕飯を食べさせている。 「帰り寒かったから、シチューにした」  ブラウンシチューをつくり終えると、須田は少し落ち着いた。じっとみていることしかできなかった俺は、皿にあった大きな牛肉のかたまりを須田の皿に入れた。 「肉きらいだっけ?」 「……須田は肉が大好きだから」  きょとんとしたグレイの瞳がゆるく細められる。 「さんきゅ」  スプーンでじゃがいもを割った。煮る前にレンジで加熱された野菜は芯まで熱が通っている。須田が牛肉を頬張るのをみながら、半分にしたじゃがいもを食べた。  おじいさんの寝室は一階の奥にある。二階の寝室は須田とたまに俺が寝泊まりする部屋だ。  俺はリビングで寝てもいい。寝るときもおしゃべりをした須田がどうしてもというので、同じ部屋で眠っている。須田がベッドで俺が布団。  先に風呂に入った俺は、ゆっくりと階段をのぼった。おじいさんの部屋は物音一つしない。眠っているのだろう。  二階の寝室のドアが少しだけ開いている。ドアの隙間から光が漏れていた。廊下の木目をなめらかに照らしている。  須田は器用なのに、引き出しもドアもきちんと閉めない。肩にかけたタオルで髪の水滴を拭った。 「す……っ」  名前を呼びそうになったくちを手で押さえる。息が止まった。 「ぁ、く、ッ」  熱い吐息が聞こえる。ベッドに腰掛けた須田の股のあいだに手があった。筋の浮いた筋肉質な手だ。インドアの趣味ばかりな俺とは違う。バスケットボールで鍛えられたしなやかな筋肉が半袖からのぞく。  須田は右手を上下に動かした。ぐちゅ、ぬちゅ、と粘着質な音がする。凍りついた身体が動かない。手のひらでくちを覆ったまま、須田が右手を動かすのをみた。 「ぅ、っ」  色の白い頬が紅い。グレイの髪で目元は隠されていた。うつむき気味に自慰に耽っているので、ドアの隙間から覗く俺にも気がつかない。  心臓が痛い。破裂しそうだ。  みてはいけない。みてはいけない。みてはいけない……。  わかっているのに目が離せない。須田の白い頬が紅くなっている。バスケットボールの試合中にも、部活中にも紅くはなる。寒い冬の日、登下校中にも紅くなる。  でも、違う。  こんな須田の顔ははじめてみた。  奥歯で吐息ごと食いしばり、本能に夢中になる須田ははじめてーー。 「っぐ」  射精する。  俺は須田から瞳をそらした。そろり、そろり、後ずさる。光の届かない場所まで後ずさり、そのまま風呂場に戻った。  風呂に入ったばかりの身体が熱い。しっとり汗ばんだ身体は湯船のおかげではない。興奮した。須田が、自分で陰茎を触って、射精しようとするのをみて、興奮した。  風呂場の脱衣所に座り込む。スウェットの前は膨らんでいた。痛いほどに膨らんだ陰茎に情けなくなる。須田は友達。友達だ。はじめての友達で、いまでも友達で、十年来の親友で……。  興奮する。  須田をみて興奮してしまう。  須田が自慰する姿をみて勃起した。  脱衣所は風が通る。寒いはずなのに、ひどく暑い。  本能に逆らえない。スウェットに手を入れた。履き替えたばかりの下着の上から膨らみをなぞる。すぐに直接触れたくなった。ごくりと唾液を飲み込む。 「……すだ」  指先を下着に入れる。先走りがついた。ぬるつく亀頭を人差し指でなぞった。人差し指でなぞったら、親指でいじりたくなる。少しだけ触れるつもりが、いつの間にか本気で自慰に耽っていた。 下着ごとスウェットを太股まで引き下ろす。足を開いて座り込んだ。  左手で幹をしごき、右手で亀頭を擦る。両手で陰茎をしごいた。幹を皮ごと掴んだ手を上下に動かすと腰に甘いしびれが広がる。亀頭の尿道口を親指でぐりぐり擦れば目の前に星が飛んだ。 「ぁ、あ、っふ、ぅう」  必死に声を我慢した。精通してから、自慰の気持ちよさに目覚めても、こんなに濡れなかった。陰茎をしごいて射精すれば気持ちがいい。年頃の身体は快感を求める。でも、毎日はしない。朝勃ちしていたり、どうしてもしないと収まらないときしかしなかった。  それが、これだ。  あがってくる精液を吐き出す。一度吐き出しても収まらない。須田が陰茎を擦っていた姿は脳裏に焼きついている。うつむきがちに擦っていた。瞳はみえなかった。唇はみえた。柔らかそうな桃色の唇。須田の絵で、俺が唯一、上手く描けない場所。ゆるくあいた唇から真っ赤な舌がみえた。 「~~~~ッあ!」  二度めの精液が手を汚す。受け止めきれなかった精液が脱衣所の床に散った。  頬をすきま風が冷ましていく。ぼうっとしていられる時間は短かった。すぐに、罪悪感が襲ってくる。  須田の自慰をみてしまった。  食い入るようにみつめてしまった。  須田の自慰で勃起した。  須田が自慰に耽るのを思い出しながら陰茎を擦った。  あの腕に抱かれたら、あの身体にすり寄ったら、あの陰茎を挿れられたらーー。  どうなるのか想像して射精した。  奥歯が小さく震える。 「ごめん」  だれにも聞こえない声で呟いた。  友達をおかずにしてしまった。友達でヌいた。  友達でいないといけないのに。

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