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第6話

 寝坊した。最悪だ。  月曜日なのにリビングに降りてこない俺を心配した母さんは、二階の俺の部屋まで様子をみにきた。寝起きは悪くない。小学生の頃だって、母さんに起こされる前に自分で起きていた。  ー体調でも悪いの?  母さんの心配に曖昧に首を振った。体調は正直良くはない。昨日、布団をかぶったまま寝通したせいで身体は痛いし、頭もぼーっとする。夕飯だって食べ損ねた。  母さんは、夕飯前にも俺に声をかけていたらしい。ドアの前まで行ったら「いらない」と答えたそうだ。覚えてもいない。  学校を休んで病院に行ったら、という母には「大丈夫」といった。ぜんぜん大丈夫じゃないけど、それ以外にいいようがない。体調不良の理由も分かり切っていた。  走っても遅刻する時間だったから、いつも通り歩いて駅に向かった。電車の中で携帯を開くと、須田から何通も連絡がきていた。  ーねこ、二匹め  ーねこ嫌いだっけ?  ー近所のいぬ  ー夕飯食った?  ー寝る前にゲームしよ  ー明日学校だる  ーもう寝た?  こっちが返信をしなくてもお構いなしだ。朝は「起きてる?」なんて送られていた。  学校の最寄り駅には、制服姿は俺しかいなかった。遅刻したときの駅は、いつもの駅とは違ってみえる。どこかよそよそしい駅前を歩いた。  学校に着いたのは三時限目の途中だった。職員室にいた担任に遅刻届を書いてもらった。担任は、俺は今日は欠席すると思っていたらしい。 「珍しいな、中谷が遅刻なんて」 「……少し、体調が悪かったので」  担任は「そうだと思った」という。 「今日の体育は見学するか?」  担任は保険体育の主任だ。食後の五時限目は体育がある。月曜五限の体育は、一部の運動好きを省けば不人気。月曜から食後に駆けまわらせるなんて、重すぎる。 「……大丈夫です」 「そうか? もし体調が悪かったら、無理をしないで見学していいからな」 「はい」  重い足取りで二年B組の教室まで歩いた。A組の前の廊下を通ると、開けられたドアから須田の後ろ姿がみえた。  授業中の教室に入った俺を、いくつもの瞳が一斉にみてくる。身体がこわばるのを感じた。先生に軽く頭をさげ、足早に自分の席につく。窓際の一番後ろで良かった。真ん中の席だったら、もっとみられていた。  生物の教師は俺を一瞥した。 「遅刻届は書いてもらった?」 「……は、い」  大勢の前で話すのは苦手だ。小学校のときから苦手なまま、高校生になってしまった。俺は一生、こうなんだと思う。  たったの二文字ですらどもってしまう。時間をかけて、学生鞄から生物の教科書を出した。 「十六ページだよ」  俺にいま授業で話しているページを教えてくれたのは、前の席の広尾だ。広尾は少しだけ後ろを向くと、すぐに前を向いた。  生物の授業を受けながら、休めば良かったと後悔した。本当に気持ちが悪くなってきた。  四限が終っても、食欲は湧いてこない。母さんのつくってくれた弁当を学生鞄から出しもせずに、椅子に座っていた。 「大丈夫?」  広尾はいつも、昼休みはひとりで過ごす。好きな本を読みながら弁当を食べる広尾は、クラスの変わり者だ。なんとなく遠巻きにされている。クラスで友達をつくろうとしない俺も、同じく遠巻きにされている。遠巻きにされている同士、なんとなく話す関係だ。  友達というには遠い。けれど、今日のように困ったことがあれば助け合う。そんな関係のクラスメイトがひとりでもいるのは心強い。 「保健室行く? 顔色悪いよ」  保健室に行ってしまおうか。早退してもいい。朝の俺の様子を知っているから、担任も母さんも責めはしない。  席を立ったときだった。だれかがB組のドアをすぱーんと開け放った。 「智也、昼一緒に食おう」  入ってきたのは須田だ。バスケ部エースの登場にクラスがザワツいた。女子は瞳を大きくあけて須田をみている。男子だって、一目置く須田の登場をみている。  須田が部活の予定がないとき、俺たちは昼休みを一緒に過ごす。新入部員が入ってくる四月は部活の予定が多かったので、最近は一緒に昼を食べていなかった。  須田が俺の横まで歩いてくると、須田に集まった視線も俺に移動してきた。一年のときは須田と俺は同じクラスだった。四月のクラス替えで分かれた。A組の須田がB組まで来るのははじめてだ。  なんで須田くん?  智也って中谷のこと?  一年のときは別のクラスだった連中は、俺たちが幼なじみというのも知らない。好奇心旺盛な視線が痛かった。 「……今日は美術部の仕事あるから」  弁当箱の入った学生鞄を両手で抱きしめる。人目を避けたくて、足早に教室を出た。ついてくる須田は「俺も美術室行く」という。 「だめ」 「なんで?」 「今日は、その、展覧会に出す絵の相談だから」 「俺がいても良くない?」 「部外者厳禁」 「部外者って」 「バスケ部だって、そうだろ」  須田はぐっと黙った。 「今日は……一緒に食べられない」  階段を降りる。須田は踊り場で立ち止まり、追っては来なかった。  美術部の仕事なんかない。  昼休みは、美術部の先生も職員室に戻る。無人の美術室に入り込んだ。悪いことはしていないのに、心臓がドキドキする。  カーテンの開いた美術室はグラウンドから丸見えだ。そんなところで過ごす気にはなれない。美術準備室の床に座り込んだ。窓のない美術準備室なら、だれにもみられない。 「……つかれた」  このまま床に寝そべってしまいたい。鞄を枕にしたら、よく眠れる。  本当に鞄を枕にしようとして、弁当の存在を思い出した。 「弁当」  食べる気にはなれない。でも、このまま持って帰ったら腐ってしまう。自分のためにつくってもらった弁当を腐らせたら、罪悪感が二重になる。  友達の須田でヌいた罪悪感と、母さんがつくってくれた弁当を腐らせた罪悪感。二重になった罪悪感の根元は俺だ。結局、原因は俺にある。  弁当の包みを開いた。丁寧に詰められた弁当は彩りも考えられている。母さんは料理上手だ。専業主婦にはコレくらいしかすることがない、なんていいながら料理をしている。  美術準備室に座り込んだまま、玉子焼きをかじってみる。吐き気はこみ上げてこなかった。ひとくち食べると寒気も引いていく。黙々と弁当を食べた。  弁当を食べたあとも、昼休みが終わる五分前のチャイムまで、美術準備室に引きこもっていた。

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