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第7話
「智也、体調悪い?」
火曜日になっても、俺の体調はいいとはいえなかった。腹の奥底に罪悪感が渦巻いている。だから、須田の連絡にも返信しなかった。できなかった。俺を友達だと思っている須田の無邪気な連絡に、なんて返信をすればいいのか。
いままでは当たり前にできていたコトができない。
「智也!」
昨日は須田から逃げるように帰った。結局体育は見学した。須田は部活に行く前にB組の教室をのぞいたようで、あれから何通もメッセージがきていた。
「無視?」
「……聞こえてる」
続きをうながした。さっさと家に帰りたい。今日は美術室に行く気にもなれない。美術部は自由な部活だ。平日は毎日活動していい。好きに絵を描く場が提供されている。年に一度は部員が集まってデッサンをする。文化祭には美術部で展示をするから、年に一度は作品を提出する。ゆるい部活だ。行かなくてもいい。
「マジで体調悪い?」
前に回り込んできた須田に顔をのぞき込まれた。放課後の廊下には生徒があふれている。みんな須田をみるから、おまけの俺もみられる。不特定多数の視線を避けるように顔を伏せた。そのまま、廊下をまっすぐに歩く。止まっているよりみられない。
「体調悪いんだったら、家まで送る」
「平気。須田は部活行って」
「でも」
「平気だから」
「なら、なんで一昨日から返信してくんないの?」
拗ねた声だ。下駄箱で靴を履き替える俺を、須田はじっとみている。
「返信できないほどしんどいんだろ」
乾いた笑いが出た。須田って、純粋だよな。こぼれかけたイヤミを飲み込む。
「……うん、まあ、そう」
体調不良に乗っかった。ウソは得意じゃない。事実、体調も悪い。
「家まで送る」
部室のある体育館に行こうとしていた須田は、行き先を俺の家に変更しようとした。部活に行こうとしていたので、学生鞄も持っている。隣のA組の下駄箱から、自分の革靴を出そうとした。
「治ったからいい。ひとりで帰れる」
「でも」
「いい。それより、部活遅れるよ。新入生が入ってきたばっかりなのに、先輩が遅れていいの?」
んぐ、と黙った須田は自分の下駄箱を閉じた。
「家ついたら連絡して」
「……うん」
「あとさ、夕飯食べたら一緒にゲームしよ。ふにゃふにゃした動物がグミ集めるゲーム。あれだったら、智也もできるだろ」
迫ってくる須田から顔を逸らす。上履きから革靴に履き替えた。
「夜は……予定ある」
「三十分!」
「今夜は無理」
「十五分も?」
「みたいテレビあるから」
「ちょっとだけでいいから」
やけに食い下がってくる須田の後ろに、バスケ部の顔ぶれがみえた。須田を探しにきたバスケ部のメンバーがわらわらと群がってくる。
「ゲームなら俺としよーぜ!」
そのうちのひとりに、肩に腕をまわされた須田は「ぐえ」っといった。ふたりには身長差がある。背の高い須田は無理矢理に屈まされた。
「俺は智也を誘ってんの」
「中谷はみたいテレビあるっていってんじゃん。俺とやろーぜ」
「俺もしたい」
「なんのゲーム?」
「動物がグミの爆弾集めるゲーム」
「なにそれ」
あっという間に人だかりになった。いつもならヤキモチを焼く。今日はラッキーだ。いまのうちに逃げよう。
「じゃあ」
「あ! 智也」
「部活、がんばって」
そそくさと下駄箱をあとにする。ざわめきが遠くなると、息ができた。
友達や恋人と帰る学生に混じって、ひとりで電車に乗った。電車に乗ってすぐ、須田から「家ついたら絶対連絡して」とメッセージが送られてきた。
前までは嬉しかったメッセージが、ひどく鬱陶しかった。
「なんで連絡くれなかったんだよ」
翌日。授業のあいまにわざわざB組まで訪ねてきた須田は、開口一番にそういった。
前の席の広尾と話していたのに、堂々と割り込んできた。須田は人当たりがいい。こんなこと、いままではなかった。須田の気迫に押された広尾は前を向いてしまう。
「みたいテレビあるっていった」
「でも、家に着いたって連絡くらいできるだろ。それに、昨日は智也体調悪そうだった。心配してたのに。俺が送ったメッセージ読んでる?」
あれから、須田は何通もメッセージを送ってきた。家着いた? から体調まだ悪い? まで。心配をかけたのは悪いと思う。
「……読んでない」
ウソをついた。下手なウソ。メッセージには既読がつくから、俺が読んでいるのはバレバレ。少なくとも開いている。
「まあ、いいや。智也もいろいろあるだろうし。あ、そうだ、エプロンかして!」
「エプロン?」
切り替えの早い須田に困惑する。さっきまで拗ねていた顔はけろりとしている。
「今日調理実習なの忘れてた。智也、昨日が調理実習だろ。エプロンない?」
昨日持って帰るのを忘れたエプロンはロッカーに詰め込んである。席を立った。
「しわしわだけど」
「エプロンならいい」
須田に集まった視線が俺にも流れてくる。歩くだけで視線を向けられる。須田はいつも、こんなにみられているのか。こんなにみられても、平気なんだ。俺だったら、一日も持たない。どこか、だれにもみられない場所に逃げ込みたくなる。
震えかけた手を叱咤してロッカーを開ける。ロッカーの上と教科書の隙間に詰め込んだエプロンを引っ張り出した。
「はい」
雑に畳んだエプロンにはしわしわになっていた。須田はびろんとエプロンを広げ、しわしわのエプロンを丁寧に畳みなおす。
「智也って、几帳面にみえて雑だよな」
運動神経抜群で、語学も堪能で、料理上手で、器用で、容姿もよくてーー性格もいい。
須田のもっていないモノはないんじゃないかって、たまに本気で思う。
「洗濯して返す」
「そのままでいいよ」
「放課後でいい?」
「……ロッカー突っ込んどいて」
須田は片眉をあげた。
「今日、うちで夕飯食べよ。じいちゃんの友達が釣った魚がある。アクアパッツァつくるからさ。好きだろ、智也」
「……ごめん」
予鈴が鳴った。廊下に出ていた生徒も教室に駆け込む。
「今夜は予定があるから」
須田は「そっか」と呟いた。
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