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第9話
「な、んで」
ここは東口だ。須田の家も俺の家も西口にある。ハッとして、ファミレスの壁にかかった時計を見上げる。二十一時半になっていた。
須田は携帯を取り出すと、ぽちぽち操作する。鞄を指さされた。慌てて携帯を取り出す。携帯には不在着信が何回も入っていた。母さんと須田からのメッセージもきている。
ーそろそろ帰ったら。智也の母さん、心配してる
新着のメッセージを読んでから、ガラス窓を隔てて立つ須田を見上げた。冷め切ったポテトはほとんど手をつけていない。くちに詰め込んでから会計をした。
クロッキー帳を鞄に詰め込んで外に出る。須田は俺を待っていた。
「……母さん、心配してた?」
「うん」
「もう、帰る」
「……俺、薬局に用事あるから」
須田はじとりと俺をみる。一瞬みせた俺の安堵を見抜かれた。
「気をつけて」
「あのさ」
「あ、電話……かかってきた」
ウソだ。電話なんて、かかってきていない。ウソの電話を取るために鞄をあさった。耳元に携帯をあてる。ああ、とか。うん、とか。適当にいった。
居心地が悪い。須田が歩き出す前に、自分から背を向けた。足早に歩いていたはずが、いつの間にか駆け足になる。走って家に帰った。連絡もせずに帰宅が遅くなった俺を怒ろうとした母さんは、息を切らせる俺にトゲを抜かれた。拍子抜けだ、とばかりに肩をすくめる。
「そんなに急いだなら、仕方ないわね」
「……ごめん」
「須田くんにも連絡して。心配してたわよ。智也が帰ってくるの、さっきまで待ってたんだから」
罪悪感が胸を刺す。絵を描いて晴れたばかりのこころが曇った。
金曜日は須田のおじいさんの家に泊まる。でも、今日は泊まらないと決めていた。
放課後。バスケ部のあとで、美術部にきた須田に「今日は泊まらない」と切り出すと、須田はわかりやすく怒った。拗ねた顔ではない。怒った顔だ。
「なんで」
「今日は、その、予定がある」
「なんの」
「……ほかの、ヤツと」
「だれだよ」
「だれって……」
ウソは得意じゃない。
なのに、この一週間はずっとウソをついている。得意じゃないウソのネタは尽きた。口裏をあわせてくれる友達もいない。そもそも、ほかのヤツですぐに出てくる名前もない。友達なんか、須田しかいない。
「あいつ?」
「あいつ……?」
「前の席の」
「前の席?」
「智也の前の席」
「広尾?」
「そいつ」
須田は舌打ちをした。びくりと背が震える。整った顔が怒りを露わにすると迫力がある。いつも穏やかな顔しかみていないから、なおさらに。
「広尾と予定あんの?」
「……えっと」
広尾の名前を出したら、広尾に迷惑がかかるかもしれない。広尾とは教室で話す程度だ。一緒に遊びに行ったり、連絡を取ってもいない。連絡先すら知らない。
「昨日の電話も広尾?」
「電話?」
「ファミレス出てすぐに電話してただろ。美術部の買い物も、広尾と行ったの? でも広尾は美術部じゃないよな。帰宅部じゃなかった? 広尾は部外者じゃねえの」
「ま、まって」
「答えろよ」
詰め寄ってくる須田から視線を逸らす。絵の具で汚れた机の上には名画の画集が広げられている。今日は絵を描いても進まなかったから、美術部にある画集をみていた。
「広尾じゃ……なくて」
「じゃあだれ」
「昨日の電話は母さん」
広尾と母さんなら、母さんのほうが迷惑をかけてもいい。
連絡もせずに遅くまで帰らなかった俺に電話をかけてきた。まっとうな筋書きだ。母さんと答えたら、須田は突っ込んではこなかった。
「毎週金曜日はじいちゃんの家に泊まってただろ」
「そうだけど、いつもじゃない」
「いつも」
「春休みはそんなことなかった」
「春休みは学校休みだったから、金曜日じゃなくても泊まってただけ」
引いてくれない。いつもなら、ここまでいうと須田は引いてくれる。うつむくと、長くなった前髪が視界に入った。
「そうだけど、そんな、急に」
「いつも急だろ。じいちゃんの家に泊まるのだって、毎週前もって連絡なんかしない」
「そうだけど、でも」
「なあ、俺、なんかした?」
我慢できない、とばかりに須田はいった。押し殺した声に怒りが滲む。
「抱きしめたの、いやだった?」
うつむいていた顔を恐る恐るあげる。奥歯を噛んだ須田は泣くのを我慢している。小学校の頃、言葉が通じないせいで俺とすれ違った日と同じ顔をしていた。
「いやだったなら、もうしないから」
「……いやじゃない」
「でも、あれからだろ。智也が俺を避けるようになったの」
泣きそうな須田にみつめられると、すべてを受け入れたくなる。あの日だって、そうだった。俺だって怒っていたのに、泣きそうな須田にみつめられただけで怒りは萎えてしまった。
いまだって。気まずいという理由だけで避けていた俺が悪いと思ってしまう。須田は友人の俺に甘えただけだった。
俺が……須田に友情以上の感情を抱いているから、勘違いしそうで、辛くて、距離を取っただけだ。
「ごめん」
須田はきっと、困惑した。友達だと思っていた俺に避けられて、傷付いたかもしれない。
「ごめん、俺、その」
うまく言葉にできない。グレイの瞳を波打たせる水面をみていると、こころが締め付けられる。俺がこんな顔をさせている。俺のせいで、須田が泣きそうになっている。
「ごめん」
思わず抱きしめていた。びくりと震えた身体を思いっきり抱きしめる。抱きしめられたのがイヤで、気持ち悪くて、避けたんじゃない。わかってもらえるように強く抱きしめた。言葉では、どう伝えたらいいのかわからなかった。
「……イヤじゃなかった?」
「うん」
背中に腕がまわってくる。怒っていた空気がしぼんでいく。代わりに、拗ねた須田が顔を出した。
「じゃあ、なんで?」
「……いろいろ」
「いろいろかぁ」
ぽんぽん背中を撫でられる。ぎゅっと抱きしめられた。
「友達なら、ハグくらいするだろ」
自分でいって傷付いた。友達なら、友達なら、友達ならーー。
「そっか」
大きな手で背を撫でられる。自分の言葉で傷付いたバカな俺に、須田は気がつかない。
「じゃあさ、今日はじいちゃんち泊まる?」
「……うん」
静かにうなずくと、須田は嬉しそうに抱きしめてきた。逞しい腕に抱かれて、今度は俺が泣きそうになった。
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