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第10話

 須田のおじいさんは、俺たちの一週間を知らない。いつも通り穏やかに俺たちを迎え入れた。  俺は、少しだけ気まずかった。一方的に遠ざけていた須田が、俺をどう思っているのか知るのも怖かった。 「智也さ、ファミレスでも絵描いてんだよ」  夕飯の席で須田がいうと、おじいさんは瞳を細めた。須田と同じグレイの瞳がゆるむ。 「そうか。智也くんはアーティストになるのかな」 「そんな……俺の絵なんか」 「なるよ」  俺と同時に須田も答えた。後ろ向きな俺と正反対の、前向きすぎる答えだ。 「智也は将来、すっごい有名なアーティストになる」 「小さい頃から絵を描くのが好きだからなぁ」 「あの、そんな、俺の描く程度の絵じゃ」  絵を褒められるのは嬉しい。同じくらい恥ずかしい。そうじゃない。そんなことない。もっと上手い人はいると、否定したくなる。  おじいさんは朗らかに笑った。 「智也くんの照れ屋は変わらないな」 「照れ屋なんじゃなくて……」 「智也は、なにと比べてなんかっていってんの?」  てらりとしたスペアリブをかじりながら、須田はいう。 「なにとって、みればわかるだろ」 「技術的な?」 「それもそうだし」 「でもさ、俺は智也の絵好き」  スペアリブをもぐもぐする須田はまっすぐに俺をみる。お世辞じゃない。本当に「好き」といってくれている。 「……須田は」 「うん」 「須田は……俺の絵……」 「うん?」 「俺と友達だから……上手くみえるんだよ」  付け合わせのほうれん草を頬張った。今日は体調がいいのか、おじいさんはグラスのウィスキーを揺らしている。丸い氷に光が反射した。 「友達でも、好きじゃない絵とかあると思うけど」 「たとえば?」 「たとえばって……。とにかく、智也は将来世界的なアーティストになると思う」  根拠のない自信の籠もった宣言に、思わず笑ってしまった。俺以上に夢見がちだ。自分以上に夢見がちな人をみていると、俺の抱いた夢のほうが現実的に思えてしまう。 「なら、須田は世界的なバスケットボール選手?」  須田はいたずらに笑った。  須田があまりにもいつも通りだから、一方的に避けていた後ろめたさも消えていく。夕飯を食べ終わる頃には、こころの奥にあった冷たさは溶けていた。  不思議だ。  須田と話すと、いつもこうなる。  悩みがあっても、辛いことがあっても、須田と話しているうちになんでもないコトになる。  夕食後、風呂に入ったあと。床に敷いた布団に入り込んできた須田は、また俺を抱きしめた。 「いい?」 「……いいよ」  友達なら、ハグくらいするだろ。  あんなこと、いわなきゃ良かった。須田に抱きしめられるのは、俺が須田の「友達」だから。抱きしめられるたびに自覚する。思い知る。叶わない恋心を思い出す。  でも、辛いだけでもなかった。須田に抱きしめられる温もりを知った身体は、ゆっくりと熱に慣れていく。  抱きしめられるなんて機会、こんな言い訳がないとやってこない。須田が俺を恋人として抱きしめる日なんか来ない。なら、抱きしめられているいまを楽しんだほうがいい。  正面から抱きしめてくる須田の肩に頬を寄せる。広い背中に腕をまわした。ぎゅうっと抱きしめてみる。須田は抵抗しなかった。同じだけ、ぎゅうっと抱きしめられる。 「おやすみ」  ふわふわのグレイの髪を撫でる。部活で疲れていた須田はすぐに寝息を立てた。瞳をとじていると、いつもよりも幼くみえる。こんな顔をみられるのも、友達の特権だ。  陶器のように白い頬に唇を押しつける。デッサンしたファミレスの陶磁器よりもなめらかな頬が唇に触れた。  朝。ぐっすり眠っていた俺は、須田が起きたコトにすら気がつかなかった。  今日は部活があるらしい。目が覚めたときには、腕のなかには須田はいなかった。書き置きの代わりにメッセージがきていた。  ー部活行ってくる。今日は夜まで。練習試合  思わずため息が出た。なら、昨日あんなにいって、俺をおじいさんの家に連れて来なくてもいい。夜と朝のわずかな時間しか一緒にいられないのに。  身支度を整えて階段を降りる。すでに起きているおじいさんは、温かい朝食で迎えてくれた。 「祐一は朝早くに出かけたよ。部活かな」 「そうみたいです」  ニコニコしたおじいさんの勧めでパンケーキにメイプルシロップをかける。アボカドとベーコンと目玉焼きを添えられたパンケーキにメイプルシロップをかけるのは、海外出身ならではだ。  須田のおじいさん特製のパンケーキは分厚い。ふわふわしていて食べ応えのあるパンケーキは、昔ながらの喫茶店のパンケーキを思わせる。流行の薄いパンケーキや、メレンゲを含ませた軽いパンケーキでは太刀打ちできない。 「ごめんね」 「え?」  突然謝られた。メイプルシロップがたっぷり染み込んだパンケーキを食べようとしていた俺は、思わずくちをとじる。 「祐一は、智也くんに甘えているみたいだから」    おじいさんは甘いミルクココアを揺らす。ウィスキーを揺らしていたように、ゆっくりと揺らした。 「今日もだ。祐一は朝から部活に出てしまったら、智也くんはつまらないだろう。私はいつきてくれてもいいんだけどね」 「ああ……いえ、気にしてません」 「そうかな」  おじいさんは少しだけ口角を上げた。 「あの子は寂しがり屋なのに、強引なところがあるから」 「……そんなこと、ないです。寂しがり屋なのは、そうだと思いますけど。強引……ですか?」 「智也くんは祐一を強引だとは思わない?」 「はい」 「そう。なら、いいんだ」  ミルクココアのカップを空にしたおじいさんは、お代わりのついでに俺にも新しいコーヒーを淹れてくれた。  朝食のあと、須田の帰りを待たずに家に帰った。あのままおじいさんの家にいるのは、なんとなく気まずかった。  なのに、須田は夜になると「なんで帰ったの」と電話をかけてきた。おじいさんの「智也くんも予定があるだろう」と窘める声も入っていた。  ー須田も部活だったから  ーうちで待ってたらいいのに  ーそういうわけにも……じいちゃんにも迷惑かけたくない  ーじいちゃんは智也がいて迷惑だって思ってない  苦笑いを浮かべた。おじいさんのいっていた「強引」が少しだけわかった。こういうコトか。   ー明日は? 「明日は……」  ー迎えに行くから。遊ぼ 「明日は図書館」  ー迎えに行く 「予定あるから無理」  電話を切った。切らないと、いつまでも話していそうな気配がした。

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