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第19話
須田の部活が終わるのを待って、一緒に帰路についた。
「夕飯食べていく?」
これから夕飯の支度をするなら、うちで母さんの料理を食べたらいい。
「やった」
嬉しそうな須田を連れて帰ったら、母さんはまだ帰っていなかった。そういえば、今日は友達と出かけるといっていた。
「忘れてた」
家に着いてから思い出した。
「ごめん。母さん、出かけてる」
リビングの電気をつける。テーブルの上には書き置きがあった。夕飯は適当に食べてと書いてある。
「弁当買いに行こう」
なんとなく、須田をこのまま帰したくなかった。もう少し一緒にいたい。
「弁当でもいいけど、俺、つくるよ」
「弁当にしよう。疲れてるだろ、須田」
「あーでも、人様の家の冷蔵庫を勝手にみるのは失礼か。台所も、須田の母さんの聖域だもんな」
「人様って距離感じゃないだろ」
須田はあははと笑った。
「須田なら、母さんもいいっていう」
「確認も取らずに触るのはなぁ」
妙なところで遠慮してくる。電話をかけようとしたら、手を握られた。
「友達と遊んでるときに電話したら、迷惑かけるかも。いいよ。弁当にしよーぜ」
腑に落ちない。母さんなら、絶対に「いいわよ」という。
須田は苦笑いを浮かべた。
「智也のツボがよくわかんねぇんだけど」
「須田がヘンなところで遠慮するからだろ」
「遠慮っていうか、最低限のマナー? 親しき仲にも礼儀ありっていうか」
弁当を買いに、近所のスーパーに行った。買った弁当を即席の味噌汁と一緒に食べた。
「このポテトサラダうまい」
「須田のつくるポテトサラダのほうが、美味しい」
弁当は不味くはない。それでも須田の料理を食べたかったと思う俺は、矛盾している。須田が疲れているから夕飯に誘ったのに、須田に夕飯をつくらせるのは矛盾する。
「また弁当つくるよ」
「……ポテトサラダも入れて」
「うん」
弁当を食べた須田は、母さんが帰ってくる前に帰った。帰ってきた母さんに、須田が台所に立つのを遠慮したコトを伝えたら、想像通りの答えが返ってきた。
「遠慮することないのに」
「俺もそういった」
「須田くんは、なんて?」
「人様の冷蔵庫は漁れないとか、親しき仲にも礼儀ありとかいってた」
母さんは頬に手をあてた。
「須田くんらしいわね」
「ヘンな遠慮、しなくていいのに」
「それで智也は怒ってるの?」
「怒っては、ないけど」
母さんはくすくす笑った。
「仲良しねえ」
恥ずかしさで紅くなりかけた顔から血の気が引いた。逃げるように二階に上がる。
「智也?」
「宿題忘れてた」
自室のドアに背をもたれる。ずるずる座り込んだ。
ー仲良しねえ
母さんの声が頭で反芻する。母さんは……俺が須田に友情以上の感情を抱いていると知らない。まさか息子が、男を好きだとも思っていない。
もし、母さんが、俺が須田を好きだと知ったら。男に恋愛感情を抱いていると知ったら。
抱えた膝に顔を押しつけた。
好きになんか、ならなければ良かった。
なりたくなかった。
恋は、もっと、楽しいはずだ。
世間でいわれる恋はもっと、明るくて、楽しくて、ちょっとだけ切ない。
須田を想うとこころが晴れる。友達の須田は俺にはもったいない。家族以外とまともに話せない俺の、唯一無二の親友。
須田には俺以外にも友達がいる。俺以外の友達と楽しそうに話す姿をみるたびに、醜い痛みが胸を刺す。
嫉妬している。須田の友達にーー須田の大切な友達に。
友達の友達は、友達?
そんな風には思えない。俺以外は、みんな敵。須田の大切な友達なのに、そんな風にすら思う。
俺だけと仲良くしてくれたらいい。
俺だけと話してくれたらいい。
俺だけとーー友達でいてくれたらいいのに。
芽生えた嫉妬心を認めたくなかった。認めたら、胸の奥にある種が脈打ちそうで。俺はそれを、ひどくおそれていた。
けれど、もう、遅い。なにもかもが手遅れ。
俺の胸に巣喰った醜い嫉妬心は深く根をはった。手の施しようもないほど、奥に。
俺はしぬまで、こころに巣喰った醜い嫉妬心を抱いているのだろう。
須田に俺だけをみてほしい独占欲。
俺以外と話す須田への嫉妬心。
たったの十七年しか生きていない。物心つく前から須田が好きだった。一目惚れをしてしまった。一目惚れを、してしまった!
あのとき、須田が転校してこなければ。
日本語を話せない須田を無視していれば。
クラスで浮いた須田にーー親近感を抱かなければ。
嫌いになりたい。
須田を嫌いなりたい。
恋なんか、楽しくない。苦しいだけだ。
どうせ報われない恋なんか、抱いても意味がない。
こころが変になるから恋?
こころが赤くなるから恋?
どうでもいい。初恋を甘酸っぱいと思える人は、報われなくても昇華できる程度にしか相手を好きじゃなかったんだ。自分の思い出に昇華して、人生を彩った演出にできるレベルの恋だった。
それか、初恋の相手のほかにも「好きな人」がいた。
好きは恋だけじゃない。友達も好きな人だ。初恋が報われずに終わっても、痛みを分かちあえる友達がいた。初恋の痛みが薄れる日々をくれる友達がいた。
須田しか友達のいない俺は、須田への恋心が破れたら、どうなるのだろう。
このまま友達でいられたとして。須田に好きな人ができたら? 恋人ができたら? 結婚したら?
俺は生きていけるのかな。
いっそ、死んでしまいたい。
須田と好きな人の幸せを見守れるほど、願えるほど、善人じゃない。
もし、須田に好きな人ができたら。告白が失敗してしまえばいいと思う。
もし、須田に恋人ができたら。別れてしまえばいいと思う。
もし、須田に奥さんができたら。離婚してしまえばいいと思う。
それも、一番最悪なカタチで。須田のこころがヒドく傷付く終わり方をしてほしい。相手に未練も抱けない最悪の終わり方をしてほしい。いままで費やした時間と感情のすべてを、須田に後悔してほしい。
そしたらきっと、須田は俺のところに来る。
傷付いたこころを抱えた須田は、俺のところに戻ってくる。
戻ってきた須田を招き入れたら、俺は須田の最大の理解者になる。すべて相手のせいだといってやる。でも、須田はいいヤツだから。一度でも自分が選んだ相手を、俺が否定するのは気にする。くちでは否定しない。ただひたすらに、須田を肯定する。態度で示せば、須田は自分を肯定できる。相手が悪いのかもしれない。自分に否はないのかもしれないと認識する。
そうしたら、須田は、自分を肯定してくれた俺から離れられなくなる。
破局の理由が須田の浮気でも同じ。
須田の味方になる。
須田がどんな悪行をしていようと、相手を傷付けていようと、どうでもいい。俺から須田を奪った女なんか、どうなってもいい。
認めたくなかった。こんな気持ち。認めたくなかった。
一度認めたら、二度と「気がつかないフリ」はできない。
気が狂いそうな嫉妬心を抱き、独占欲にさいなまれ、これからの日々を生きていかなければならない。
ああ、でも。俺はとっくに、気が狂っていたのかもしれない。
須田以外に友達は欲しくないから、まともに他人と話さないのかもしれない。
最低だ。
こんな俺。須田はきっと、好きじゃない。
俺がこんな考えを抱いていると知ったら、須田はーー。
二度と、グレイの瞳に俺を映してはくれない。
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