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第20話

 一度気がついてしまった嫉妬心は、一晩寝ても消えてはくれなかった。  俺の想像した通りだった。ダメなんだ。一度でも認めれば、弱いこころはどこまでも醜くなる。  学校で須田を見かけるだけで、須田に抱きつきたくなった。知ってしまった体温を味わいたくなった。  須田が他人と話す姿をみると、たとえそれが部活の話でも嫉妬した。話に割り込む度胸もないくせに、他人と話している須田が気にくわなくてーー。奥歯を噛みしめて感情を抑えた。  須田が俺に話しかけてくれると、いままでの数倍も嬉しかった。やっぱり須田は、俺と話すときが一番楽しそうだ。偏見と妄想じみた回想が頭に流れた。  狂ってしまったんだ、俺は。  十年近く抱いてきた恋心に、とうとう、狂わされてしまった。  明るく振る舞う須田に憧れていた。  友人の多い須田に憧れていた。  分け隔てなく接する須田に憧れていた。  なのにーーいまの俺は、須田がクラスメイトから嫌われてしまえばいいと思う。クラスメイトからも部活のメンバーからも教師からも嫌われて、遠巻きにされて、俺しか話す相手がいなくなればいいと思う。  イヤだ。  そんなの、須田は望んでいない。  明るい須田が好きだ。人の輪の中心にいる須田が好きだ。優等生で人望の厚い須田が好きだ。好きだ。好きだ。  廊下の外にみえた須田に、目頭が熱くなる。須田をみているだけで苦しい。無性に泣きたくなる。泣きたくなっても、瞳をはなせない。きらきらした好きな人をみていたい。  俺の視線に気がついた須田がこちらを向く。とっさに、机に突っ伏した。 「智也」  話しかけないでほしい。話しかけてほしい。どこかへいってほしい。どこにもいかないでほしい。  二律背反な感情がぶつかり合った。 「とも?」  足音が早くなる。駆け足できた須田は、俺の肩を揺すった。 「どした?」  答えずにいた。答えられなかった。一度くちを開いたら、ドロドロとした感情のすべてがくちから飛び出しそうだった。 「智也?」  肩を揺すって話しかける須田に、広尾が話しかけた。 「眠いのかも」 「え?」  話しかけてきた広尾に、須田はピリリとした。 「なんでわかんの?」  言葉に棘がある。いつもの須田の声じゃない。 「最近ずっと、考え込んでる様子だったから」 「……えっと」 「広尾」 「広尾に、なんか相談とかした?」  広尾は間を置いた。 「もし中谷が俺に相談していたら、それをここでいうのはマナー違反」  サラリというと、広尾は椅子を引いた。 「相談はされてないけど」 「まどろっこしいな。はじめから、そういえよ」  ピリリとした須田に、広尾は「はいはい」といった。 「体調悪そうだった?」 「悪そうともいえるし、普段通りでもあった」 「まどろっこしい」 「中谷は顔に出すタイプじゃないから、わからないよ」  須田は「それはそうだけど」という。 「でも、体調悪そうだったら、わかるだろ」 「須田はわかるかもしれないね」  須田は俺を抱き起こす。寝たフリをするか迷っていた俺は、いきなり抱き起こされて慌てた。 「なにして」 「起きてた?」 「……なに?」 「保健室いこ」 「べつに、体調悪くない」 「どうみても悪い」  言い切られた。抱え上げられそうになった。抵抗すると、肩に腕をまわされる。 「歩ける?」 「だから、体調悪いんじゃない」 「どうみても悪いだろ。とりあえず、保健室いこう」  有無をいわせない須田は、俺に肩をかして歩き出す。教室がざわめいた。視線が俺に集まるのがーー苦しくなかった。いままでなら息ができぬほど苦しかった胸は、昂揚した。  冷たかった頬が熱くなる。須田が俺を気にかけている姿を、もっとみてほしい。須田のなかで俺は大切にされているんだって、実感したい。  高鳴る胸。火照る頬。熱くなる目頭。  嬉しい。泣きたい。嬉しい。泣きたい。嬉しい。  こんな風に自尊心を満たす自分が情けない。それなのにーー。 「やっぱり、体調悪いんだろ」  泣きそうな俺をみて、須田は眉間にシワを寄せた。美形は眉間にシワを寄せても絵になるんだ。場に合わない感想を抱いた。 須田はゆっくりと歩いた。俺はわざと、須田よりも遅く歩いた。廊下を一歩ずつ歩く。リノリウムを踏みしめた。上履きの跡を踏みつける。  保健室に着くまで、須田は何人もの生徒に声をかけられた。クラスメイト・部活の関係者、はじめて話す生徒。話しかけやすい雰囲気の須田が病人とも思われる生徒に肩をかして歩いている。野次馬も良心のある生徒も話しかけていた。  保健室の先生は、感情の入り交じった俺の表情をどうみたのか。空いているベッドに俺を通した。 「昼休みのあいだは休んで。様子をみましょうか」  母親と同年齢の保険医は、須田にも話しかける。 「連れてきてくれてありがとう。須田くんは戻ってもいいわよ」 「智也が心配なので、俺も残ります」 「そう」  運動部は怪我も多い。保険医は須田の名前を覚えていた。 「ここでお昼ご飯を食べてもいいわよ。いまは、えっと」 「中谷です」 「休んでいるのは、中谷くんだけだから」  保険医はそういうと、時計を見上げた。 「昼休みに打ち合わせがあるの。このあいだの健康診断をしてくれた先生だから、キャンセルできなくて……」 「俺がいるので、大丈夫です」 「悪いわね。なにかあったら、そこの電話で職員室にかけて」  保険医が保健室を出ると、須田は俺の横になったベッドの横に丸椅子を持ってきた。引きずらずに、きちんと持ち上げている。 「寝てもいいよ」 「……戻らなくていいの」  いいよ、といってほしいから気を遣うフリをする。予想通り、須田は「いいよ」といった。

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