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第22話

   満たされていたこころに引きつれた痛みが走った。 「だめ……なの?」  上位私大も国公立も。偏差値の高く専門性に定評のある大学は、東京に集中している。わざわざ上京する学生もいる。  須田は苦く笑った。 「東京だと、ひとり暮らしさせてもらえない。うちから通えばいいだろうって、いわれる」 「……じいちゃんの家から通ったら」 「それも考えた。けど、たぶん、母さんは許さない。俺に怒るだけならいいんだけど」 「けど?」 「母さんさ、俺がじいちゃんを頼ると、じいちゃんに文句いうんだよ」  これ以上、じいちゃんに負担かけたくない。  須田は感情を押し殺した。冷静に話しかけようとしている。本当は大声を出して、フラストレーションをぶつけて。だれでもいいから当たり散らして……。みっともなく泣き出したい。  そんな顔をしていた。  須田は優しい。俺の知っているだれよりも優しくて、人間ができている。だから、感情を押し殺して話している。  思わず、須田の手を握った。シーツの上に置かれていた手を強く握りしめる。 「一緒に住む?」  勝手にくちが動いた。 「大学生になったら、一緒に住もう。俺も家を出る。須田と一緒に住みたい。ルームシェア……しよう」  名案に思えた。  須田と一緒だといえば、うちの両親は納得する。 「もうすぐ成人するから、独り立ちのための練習っていえば、納得してくれるかも。須田の……父さんと母さんも」  須田の両親は甘くない。うちの両親は二つ返事をしても、須田の両親の説得は同じようにはいかない。  それでも、名案に思えた。  須田がひとりで説得するより、俺とふたりで説得するほうがいい。きっと、そのほうがいい。 「智也……」  須田は奥歯を噛んだ。眉間にシワが寄る。泣くのを我慢している須田を抱きしめた 「大丈夫だから。俺がいう」 「智也はひとり暮らしする気じゃなかっただろ。いいよ、俺は」 「する気になった」  ぎゅうっと抱きしめた。須田をひとりにしたくない。ずっと、近くに住んでいた。須田が、もし、都内の大学に進学しなかったら。大阪や北海道の大学に進学してしまったら?  俺から、須田は遠ざかってしまうかもしれない。俺の人生の中心はいつだって須田だった。遠くに行っても、俺の中心が須田なのは変わらない。断言できる。  でも、須田は?  どこに進学しても、須田なら周囲の人間に好感を抱かれる。うまくやる。すぐに人気者になる。大学生は忙しい。年に数回の帰省時にしか、須田と会えなくなる。  そんなのイヤだ。 「どうしてもダメっていわれたら、俺がひとり暮らしする。須田は、じいちゃん家と俺の家に泊まればいい」  実家にいる時間が短くなれば、須田も遠方に進学する気は薄れるかもしれない。  必死に説得した。いま説得しないと、須田が遠くへ行ってしまう。 「智也」 「やだ」  遠くに行かないでほしい。そんなのイヤだ。同じ大学じゃなくてもいい。小学校も中学も高校も同じだった。大学も、本当は同じ学校がいい。せめて、都内近郊のーーいままで通りの距離に住んでいてほしい。  必死になる俺に、須田は息を吐いた。 「俺のため?」 「違う」 「智也は智也の人生があるだろ。べつにさ、ひとり暮らしをするのがいいワケでもないよ。実家から通えるなら、そのほうがいい」 「やだ」 「智也」 「やだ……」  須田が遠くに行くと考えるだけで涙がこぼれる。行かないでほしい。考えるだけで涙が出るのに、本当に行ってしまったら。生きていけない。 「どうしても東京以外なら、俺もそっちに行く」 「馬鹿」 「同じ大学行く」 「智也」 「近くに住む」  嗚咽混じりにいった。須田の肩に目元を押しつける。 「いかないで」  いってはいけない。それだけは。  須田の人生に口出しをしてはいけない。  須田の選択を尊重するのが、本当の友達。  どうしてもイヤだった。須田が遠くに行く日が来るなんて、想像もしていなかった。須田に好きな人や彼女や奥さんができる想像はした。何度もした。でもーー。  笑える。  須田に人生をともにする相手ができても、近くにはいると思っていたのか。  須田のシャツが涙で濡れる。抱きつく腕にちからを込めた。 「泣くなよ」  頭に大きな手がのせられる。くしゃりと髪を混ぜられた。 「どこに行っても、変わんないから」 「変わる」 「変わんないって」 「変わる!」  須田は……俺が唯一じゃないから、変わらないと思うんだ。みんなに分け隔てなく接するから。友達が多いから。どこに行っても、すぐに友達ができるから。環境に馴染めるから。 「……行かないで」  止まらなかった。鼻水を啜った。俺なんかの言葉で須田が決意を変えるとは思えない。俺なんか、須田の人生の一ページも飾れない。俺の人生のページは須田だけだ。  親不孝な息子でごめんなさい。  両親よりも須田が大切だった。  ひとり暮らしの負担をかけても、須田の近くにいたい。 「そんなに泣くなって」  須田は俺の頭を撫でる。撫でられるたびに強く抱きついた。 「まだ、決まったわけでもないんだから」  選択肢があるコトすらいやだ。といっても、須田はわからないんだろうな。須田にとっての俺は、その他大勢の友達のうちのひとりだから。

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