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第24話

 血液が足下に吸い込まれる。キスをした須田をページで潰した。クロッキー帳を机の引き出しに押し込む。 「す、だ」 「……体調、大丈夫?」  須田は言葉を区切った。妙な間がある。俺たちのあいだに冷たい風が通った。 「……大丈夫」 「そっか」 「なんで、うちに?」 「今日、体調悪そうだったから」  須田の優しさが痛い。自己嫌悪が頭を支配した。 「智也~! 須田くんにお茶とお菓子を持って上がって」  母さんの呼び出しが救いに思えた。一階に降りようとしたら、須田は「俺が行く」いう。 「智也は体調悪いんだから」 「いい。俺が取ってくる」  須田を一階に行かせたら、そのまま帰ってしまうかもしれない。  あんなコトをしている姿をみられたのに、俺はーー須田と一緒にいたかった。  昨日。俺がお茶とお菓子を持ってあがると、須田は黙々と出されたモノをくちに入れた。  ー元気そうだから、帰るわ  引き留めようとした俺を、立ち上がった須田は見下ろした。  ーじゃあ  またな。とも、おやすみ。とも、いわなかった。  ドアを開けた須田は、振り向きもしなかった。 嫌われた。  涙は出てこなかった。涙が枯れたんじゃない。涙も出なかった。  自業自得だ。  夕飯に呼ばれたら、のろのろと一階に降りた。味のしない食事をして、風呂に入って、髪を乾かして、ベッドで眠った。  朝起きて「あれは夢だった」こともなく。  いつも通りの時間に鳴る目覚まし時計で目覚めた俺は、静かに身支度を整えた。こころは落ち着いていた。現実味がなかった。ショックが大きすぎると、脳は感情をシャットダウンする。須田にデッサンにキスをしているところをみられて、嫌われた。強すぎる衝撃に、俺の脳は機能しなくなった。  下駄箱で靴を履き替えていると、部活終わりの須田がみえた。バスケ部でかたまって話している。須田は笑顔を浮かべていた。乾いた笑いが出た。  ああ、そっか。  やっぱり、幻想だったんだ。  須田は俺といるときよりも、楽しそうに笑っていた。  昼休み。最近は、毎日のように須田が顔を出していた。一緒に食事をしたり、話しにきたり。昼休みに須田が顔を出さないのは、久しぶりだった。  自分の机で弁当を広げた。美術部には行かなかった。もしかしたら、須田が顔を出すかもしれない。淡い期待に縋った。  翌日も教室で弁当を広げた。淡い期待に縋らずにはいられなかった。  三日続くと、広尾が俺を振り返っていった。 「須田と喧嘩した……?」  疑問系だった。まるで、俺と須田が喧嘩をするなんてありえない。広尾の中での異常事態。とでも言いたげな顔だ。 「……してない」  喧嘩だったら、よかった。  喧嘩だったら、謝れば許してもらえた。  須田は俺が謝ると許してくれる。後に引きずらない性格だ。謝ると「俺もごめん」といってくれる。すぐに仲直りできた。  喧嘩じゃないから、仲直りもできない。  あなたを描いた絵にキスをしてごめんなさい?  そんな風に謝られても、須田は許さないだろう。許す許さないの問題でもない。気持ちが悪いと思われた。十年近く友人だった「男」が、自分を絵に描いて、口付けていた。避けられて当然だ。  せめて、俺が女だったら。  これをきっかけに、須田は俺を「異性」として意識したかもしれない。絵にキスをしたのをきっかけに、恋人になれたかもしれない。  俺は男だから。須田の恋愛対象の性別にもなれない。  須田の恋愛対象を聞いてはいない。けれど、様子でわかる。  運動部は性の話題も多い。エロ本を回し読みした話も、くだらない下ネタで盛り上がる姿もみた。  女に生まれたかったと、はじめて思った。 「中谷」  ぼうっとしていた。顔をあげると、広尾が廊下を指さした。 「須田きたよ」  そんなわけない。  廊下をみなかった。 「……智也」  須田の声がする。幻聴まで聞こえるようになったのか。弁当を食べよう。気が紛れる。 「智也」  肩を掴まれた。 「すだ……?」  来るかもしれないと期待していた。淡い期待を捨てられなかった。  本当に来るとは思っていなかった。あの日の「じゃあ」を最後に、二度と話せない気がしていた。 「なに、その顔」 「……え」 「きちゃだめだった?」 「そんな、こと」  須田は舌打ちをした。機嫌の悪い須田をみた教室中が静まりかえる。 「きて」  広げていた弁当を勝手に包み直される。須田は右手で俺の腕を掴み、左手で弁当を持った。強く引かれてたたらを踏む。転びそうになった俺を、須田は腕一本で支えた。  ずんずん歩く須田をひとが避けて歩く。声をかけようとしたバスケ部の部員は、須田の顔をみてくちをとじた。  屋上に着くまで、須田はひとことも話さなかった。  前にも弁当を食べた場所は、いつもの場所になった。鍵の番号も覚えてしまった。  今日は朝方まで雨が降っていた。屋上にはいくつか水たまりがある。用具入れの影の近くにも水たまりがあった。  影に腰を下ろした須田は、自分の弁当を開く。ひとりで食べるには多いサンドウィッチ。照り焼きチキンとレモンのサンドウィッチをみて、視界が歪んだ。 「座って」  大きな手が床を叩く。須田の横に座った。 「食べたかったら、食べて」  自分の弁当を開かずに食べようとしたら「そっち先に食べて」といわれた。 「智也の母さんが智也のためにつくった弁当だろ」 「……ごめん」  箸を持つ。ほうれん草のお浸しをつまんだ。しょっぱい。須田の味付けとは間逆。  しばらく昼ご飯を食べた。弁当をすべて食べた俺は、須田のサンドウィッチもつまんだ。  甘い照り焼きチキンを必死に飲み込んだ。泣いてしまいそうだった。二度と、食べられないと思いこんでいた。  泣いてはいけない。  須田は優しい。須田の前で泣いたら、慰めようとする。慰められなかったら、俺は勝手に絶望する。その他大勢にかける情けすら、かけられなくなった自分を嫌悪する。大きくくちを動かした。大げさに咀嚼する。  須田はふたつめのサンドウィッチもすすめてきた。俺がサンドウィッチを取りやすいように、タッパーをやや傾けている。 「……ないの?」 「なに?」 「気持ち悪くないの?」

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