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第25話
バカだな。
確認したら、須田は「気持ち悪くないよ」という。いうしか、ないじゃないか。優しい須田に、これ以上甘えてはいけない。わかってるだろ。
「気持ち悪いと思ってほしいの」
静かな声だった。声は少しも波打っていない。わずかにでも波打っていたら、須田の感情を読みとれた。
「智也は俺に、気持ち悪いと思ってほしいの」
繰り返される。くちにのこっていたレモンの皮を奥歯で噛んでしまった。照り焼きチキンと一緒に食べると相性のいい薄切りのレモンは、レモンだけでは苦みが強い。
「……みたんだろ」
みられてしまった。デッサンにキスをしている姿を。
須田の位置からは、デッサンの絵もみえていた。絵がみえていなければ、言い訳もできた。
自慢じゃないけれど、俺は須田の絵が上手い。須田ばかり描いたせいで上達した。遠目にみても、須田だとわかったはずだ。
「みた」
凛とした声。十年もそばにいた。須田は俺が「だれ」にキスをしたのかもみたとわかった。
「……ごめん」
謝らずにはいられなかった。
「気持ち悪いことして、ごめん」
須田はペットボトルのお茶を飲んだ。
「気持ち悪かっただろ」
「智也は俺に気持ち悪いと思ってほしいの?」
同じセリフの繰り返し。突き放された気がした。
「だって」
「わかんないよ」
須田はペットボトルのお茶をあおる。
「みたよ。でも、気持ち悪いかは、わからない」
なんだよ、それ。
須田の顔がこちらを向いた。
「智也が、気持ち悪いと思ってほしいなら」
「そんなわけないだろ!」
声を張った。大好きな須田を殴りたくなった。
「須田に気持ち悪いと思われたい、わけ、ないだろ」
気持ち悪いと思われたかったら。嫌われてもよかったら。こんなに苦しくない。
「……ごめん」
須田の謝罪にのどが引きつれる。ひゅっと音がした。
嫌われたと思った。違うのか。感情の波についていけない。膝を抱えた。
「みなかったことに……して」
須田はなにもいわなかった。
五月の空はムカつくほどに青くて、綺麗で。真っ青な空の美しさが眩しかった。
放課後。美術部には今日も、俺しか来なかった。俺にとっては好都合だ。他人の気配は恋しくても、他人がいるのはイヤだ。
顔を出した顧問は、がらんとした美術部にため息をついた。
「部長は中谷くんね」
「……できません」
「部活動に参加しない人は部長にできないわ」
「提出日には、出してきます」
顧問は眉をさげた。
顧問が美術準備室に入ってしまったので、俺は美術部を出た。壁を隔てた向こう側なのに、たったのひとり他人がいるというだけで息が苦しい。
こんなので、社会人になれるのかな。
憂鬱だ。大学ではゼミ活動もある。ひとと意見を交わせるとは思えない。
校内を歩き回った。なにかデッサンの題材になるモノをみつけたら、今日は帰ろう。帰って絵を描けば、気もまぎれる。
歩き回るうちに体育館にきていた。バスケ部の活動をみようとする女子学生がたむろしている。
「須田くんがシュートした!」
「すごい」
「かっこいい」
黄色い歓声を向けられても、須田は笑顔すらみせない。真剣な顔でバスケットコートを走った。それにまた、彼女たちは黄色い歓声をあげる。
「須田くんも気が変わるかも」
端のほうに女子生徒が数名固まっている。真ん中の女の子は泣いていた。泣いている友達を慰める声がする。隠す気はないようで、俺のところにまで聞こえてきた。
「真由子は可愛いよ」
「そうだよ、先週も告白されたんだから。自信もって」
「でも、でも」
「須田くんだって、真由子がずっと好きだって知ったら考え直すって」
「そうだよ」
励ましていた女子生徒のひとりが俺をみた。
「あ!」
イヤな予感がする。その場を離れようとしても、遅かった。
「中谷くん、ちょっといい?」
女子生徒に取り囲まれる。泣いている女の子を、俺を呼び止めた女子生徒が抱きしめた。
「中谷くんって、須田くんと仲いいよね」
また、このパターンか。
いままでにも、須田にラブレターを渡してほしいとか、須田に代打で想いを伝えてほしいといわれた。毎回断った。断ると、女の子は必ず俺に「ひどい」という。そのくらい、してくれてもいいのに。と、責めてくる。
俺も「須田を好き」なんて思わない。俺が男だから。俺が女だったら……思ったのかな。須田には俺がお似合いだと、思ってもらえたのかな。そんなはずないか。須田は人気者で、俺は根暗。釣り合わないとイジメられる絵が浮かぶ。
「聞いてる?」
「え?」
「も~。聞いて? 真由子ね、さっき須田くんに告白したの」
「……そうなんだ」
「でもね、須田くんに断られた。真由子のこと、よく知らないから、気持ちに応えられないっていうの」
「……そっか」
よくあるパターンだ。須田を好きな女の子の多くは、一目惚れをしている。もしくは、須田が何気なくみせた優しさに夢中になる。須田と親しくなくても、好きになってしまう。
「中谷くんさ、須田くんと仲いいでしょ。紹介してよ、真由子のこと」
「……それは」
俺だって、この子たちと話すのははじめてだ。クラスも違う。どうしてこの子は、俺の名前を知っているのかもわからない。
「紹介っていっても、俺も、その、きみたちのこと、知らない」
女子生徒は「いま知り合った」と笑う。背筋が冷たくなった。
「紹介っていっても、簡単でいいの。真由子ちゃんは可愛いって、須田くんにいうだけ。中谷くんの友達として真由子を紹介して?」
そんなことできない。
髪をふたつに結った女の子は期待を込めてみつめてくる。左右に首を振った。
「できない」
「なら、須田くんにA組の真由子ちゃんって可愛いよねっていってよ」
「そんな」
「他人からの評価って、意外と株が上がるんだよね。友達からの評価なら、なおさら」
きゃーきゃー騒ぐ集団から逃げたい。
一歩あとずさった。
「ごめん、できない」
女子生徒はまなじりをつりあげた。
「なんで?」
「ウソはつけない」
真由子という女子生徒が泣き出す。左右の友人が俺を睨んだ。
「紹介するだけじゃん。それくらい、してくれてもよくない?」
「……須田に告白したんだよね」
「そうだよ。真由子、一生懸命どうやって告白するか考えたんだから。昨日だって、緊張して眠れなかったの。入学式で一目惚れしてから、ずーっと須田くん一筋なんだよ?」
協力してくれてもよくない?
詰め寄ってくる女子生徒は、俺に「なに」という。
「なんで笑ってんの」
「……笑ってない」
危ない。声を出して笑うところだった。たったの一年? 一生懸命? 俺は小学生から須田一筋でいる。
「どうでもいいけど、紹介してよ」
「……告白して、須田にフられたんだよね」
「だからなに」
「告白しただけじゃ、ダメなの」
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