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第27話
翌日。教室に着く前から、ひそひそ話されている気配がした。二年の教室の前で俺をみた女子生徒はわかりやすく顔をしかめる。
中谷くん、須田くんに嫉妬したんだって。
真由子が好きなんじゃない?
自分がモテないからってさぁ。
たったの半日で、噂は広がっていた。女子生徒のなかで、俺は悪者になっていた。
またか。
須田と一緒にいると、よく、こういう目にあう。俺が須田と一緒にいるのが気に入らない連中は、何歳になっても出現する。そのたびに、俺はありもしない噂を流される。
たぶん、俺がもっと、みんなに人気のある人間だったらされない。
それか、俺が……みんなじゃなくても。須田のほかにも友人をつくれる性格だったら、味方になってくれる生徒もいたかもしれない。
こういうときは、気にならないフリをする。どうせすぐに飽きる。
椅子を引いて座った。机に落書きをされたり、ゴミを入れられていないだけマシだ。
「おはよ」
広尾の挨拶に会釈だけで返した。毎朝、広尾は挨拶をしてくれる。俺は一度も「おはよう」といっていない。たったの四文字が、どうしてもいえなかった。
昼休み。教室に顔を出した須田と一緒に、屋上で弁当を食べた。珍しく、須田は弁当を持ってきていなかった。手ぶらだ。
「購買行く?」
須田は用具入れに背中を預けている。しきりに携帯をみていた。
「須田?」
母さんお手製の弁当を広げる。大きなおにぎりを須田にあげようとしたら「いらない」といわれた。冷たい声に身体がこわばる。
許されたんじゃ、ないの?
おにぎりを握った。
須田は携帯を何度もみては舌打ちをする。イライラしたと思ったら、泣きそうな顔をした。携帯のディスプレイをスラックスの上に伏せても、五秒後には電源ボタンを押している。
明るくなったディスプレイを横からのぞいた。新着のメッセージも着信もない。
「なに」
急いで顔をそむける。握っていたおにぎりをかじった。
ひとつのおにぎりを時間をかけて食べた。ちびちび食べる俺の横で、須田は携帯を何度も何度も確認している。
もしかしたら、お腹がすいているのかもしれない。
弁当にはおかずと、おにぎりがふたつ入っていた。もうひとつのおにぎりを須田に手渡す。
「弁当忘れたの?」
「……ちがう」
「購買行かないなら、これ食べて」
「いらない」
「放課後の部活までもたないよ」
強引に押しつけはしなかった。軽く手渡しただけ。須田は俺の手をはらった。ラップに包まれたおにぎりが屋上の床を転がる。
「いらねーつってんだろ!」
大声でいわれた。グラウンドまで声が響く。
瞳を見開いた俺をみた須田は、自分のくちを大きな手で覆った。
「ごめん」
「……俺もごめん、無理に押しつけるつもりじゃなかった」
「違う。ごめん。いまのは俺が悪い」
大きな手が床を転がるおにぎりを拾い上げる。アスファルトを転がったおにぎりのラップには、細かな砂がついていた。須田は砂を手ではらう。
「俺はいいから、智也が食えよ」
「須田は?」
「俺は……腹減ってない」
そういうと、須田は膝を抱えた。携帯を片手に握りしめ、抱えた膝に顔を埋めてしまう。
「須田」
「大丈夫だから、気にしないで」
気にしないなんて、できない。
須田の様子をみていたら、訴えていた空腹もどこかへいってしまった。弁当のおかずとおにぎりをみる。残してしまおうか。
「食えよ」
膝に顔を埋めたままでいわれる。ふたつの瞳意外にも瞳があるのか?
「智也の母さんが智也のためにつくったんだから。残したら、もったいないだろ」
正論。須田はいつも正しい。
どこかにいってしまった食欲を呼び戻そうとする。おにぎりをひとくちかじってみた。ダメだった。須田ばかりに意識が向く。
腹におにぎりとおかずを詰めこんだ。食べ終わっても、須田は膝を抱えたままだった。
予鈴が鳴ってやっと、のろのろと顔があがる。「教室もどろ」
「……体調悪い?」
こんな須田はみたことがない。
十年ではじめてみる須田の姿に、俺はどうしたらいいかわからなくなった。
「大丈夫」
須田は握っていた携帯をみた。携帯には、新しいメッセージも着信もきていかなった。
五限がはじまってすぐ、廊下を走る須田をみた。開けられたドアの向こうを駆ける須田に呆然とした。授業中なのも忘れて立ち上がる。
「中谷?」
「あ……」
教師は首をかしげる。広尾が顔だけを俺に向けた。
「気分が、悪くて」
そそくさと教室を出る。須田のあとを追った。下駄箱までの道を駆けた。俺は須田みたいに足が速くない。下駄箱に着いたときには、とっくにいなくなっていた。
須田祐一の下駄箱には上履きが返っていた。
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