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第28話
放課後。廊下でバスケ部の同級生に声をかけられた。須田と話す姿をみたことがある男子学生は、俺に聞いてきた。
「須田って、今日なんか用事あるっていってた?」
話すのははじめてのはずだ。同級生でも、接点はない。A組の彼とは、一度も同じクラスにはなっていない。
「ああ、ごめん。驚かせた? 山内デス」
「……中谷」
「うん、中谷は知ってる。須田がよく話してるから」
山内は快活に笑う。運動部を絵に描いた短髪が印象的だった。
「そんでさ、須田からなんか聞いてる?」
「なんか?」
「さっき、須田、早退したんだよ」
山内は腕を組む。「うーん」とうなった。
「今日はつぎの練習試合のスタメン発表なんだよなぁ。須田がいないと場が持たないだろ?」
「……そうなんだ」
「三年は最後のインターハイだから、エースの須田がスタメン発表に欠席だと、なんつーか」
山内はうんうんうなる。
「でも、なんか重要な用事だったらしかたないだろ? 先輩も納得すると思うんだよね」
「……俺は、知らない」
「そっかぁ」
山内は俺の肩をぽんと叩いた。
「急に声かけてごめん」
「……大丈夫」
「さんきゅな!」
山内に会釈をした俺は、足早にその場を離れた。
美術室に行っても、須田のコトばかりが頭をめぐる。絵に集中できないから画集を開いたのに、画集をみようとも思えない。
結局、美術室には三十分もいなかった。電気を消して、早々に美術室を出る。今日も、美術室には俺しかいなかった。
須田が早退してしまったので、おじいさんの家には行かなかった。皆勤賞できた須田が早退した。廊下を駆け抜ける姿は、尋常な様子ではなかった。
なにかあったのかも。
漠然とした不安が胸を曇らせる。
家に帰ると、母さんはいつものように韓流ドラマをみていた。ソファに寝転がってスナック菓子を食べている。
「おかえり。智也も食べる?」
「……いらない」
流しに弁当箱だけを出して二階に上がった。
ベッドに転がって天井を見上げていた。なにもできずにいた。焦燥感ばかりつのる。
「智也ー!」
一階で母さんが呼んでいる。動けずにいると、何度も呼ばれた。
「智也。降りてきて、聞きたいことがあるの」
聞きたいこと?
イヤな予感がする。ベッドから下ろした足で床を踏みしめた。
一階に降りると、母さんは珍しく焦っていた。
「須田くんがどこにいるか、知らない?」
「え……?」
「いま、須田くんのお母さんから電話がかかってきてね。おじいさんの家に電話をかけても、いないそうなの。家にもいないらしくて……」
鼓膜がキンとする。身体から熱が引いた。
「須田、早退してた」
「……そうみたいね」
「用事があったんじゃ、ないの?」
母さんは頬に手を寄せた。
居ても立ってもいられない。二階に上がって携帯と財布をボディバッグに詰めこむ。一段飛ばしで落ちるように階段を降りた。
「智也!」
「探してくる」
母さんが呼び止める声がする。止まれなかった。運動に慣れない身体はすぐに息があがる。ひきつれたのどが痛い。大きくくちをあけて呼吸をした。
どこに須田がいるかなんか、わからない。
おじいさんの家に行く電車を待つあいだ、何度も須田に電話をかけた。メッセージも送った。反応はない。
おじいさんの家の最寄り駅までの時間がもどかしい。俺がどれだけ焦っても、電車は同じスピードで走る。
最寄り駅に着いた電車のドアが開くと同時に飛び出した。帰路につくサラリーマンと学生をかき分けて走る。自分がこんなに走れるなんて、知らなかった。
並木道を電柱の灯りを頼りに走った。途中、何度も足が止まりかけた。止まりかける足を叱咤した。叱咤して、叱咤して、叱咤して。痛むのども頭も肺もすべてを無視して走った。
汗がこめかみをつたう。拭う時間も惜しかった。
グリーンの屋根が暖色に照らされている。おじいさんの家には電気がついていなかった。庭の向こうに、真っ暗なリビングがある。
勝手に門を開けた。煉瓦の階段をのぼるたびに関節が痛んだ。視界がチカチカする。
玄関の横。ガレージにバイクがない。定位置にないバイク。暗いリビング。須田の母さんからの電話。行方知れずになった須田。パズルのピースが頭のなかで組み合わされる。
ツーリングに行っているのか。
そうであってほしい。
気晴らしのツーリングに行っているだけ。
少し待てば帰ってくる。
関節が痛い。肺が痛い。頭が痛い。のどが痛い。全部、全部、全部。俺を構成するすべてが痛む。
煉瓦の階段に座りこんだ。背を丸める。両手を膝にまわした。
冷えた汗を風が撫でる。風が肌を撫でるたびに背筋が震えた。
暗い空に雷鳴が鳴る。あっという間に、月は雲に覆われた。降りはじめた雨が身体を濡らす。身体にまとわりつく汗を雨が流した。
屋根のない場所に座りこむ俺は、五分もしないうちにずぶ濡れになる。須田のバイクを置いてあるガレージなら、雨風がしのげる。
俺は玄関の前を動かなかった。須田が帰ってきたら一番にわかる場所を動けなかった。
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